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自民党が内包している”ヤバさ”


 この1週間のうち3日も、自民・杉田氏の差別的な主張に関して書いている。まず7/23の投稿で杉田氏の発言自体に対する批判。7/25の投稿では、その深刻な差別認識・主張に対して所属政党が批判に及び腰であること、幹事長が容認する姿勢を示した事への批判。7/26の投稿では、恐らく杉田氏の発言を念頭に置いているであろう、自民・小野田氏の「権利と義務」云々というツイートへの批判だ。これだけでも自分にとっては、かなりの惨状がこの国の政界、特に与党内に広がっていると思えるが、更に火に油を注ぐ自民党政治家による主張が、自分の知る限り少なくとも2件はこの週末にあった。1人は無所属ではあるものの、自民会派に属する杉並区議・小林 ゆみ氏と、もう1人は誰もがその”ヤバさ”(敢えてこの表現を使った、見出しも同様)を認知しているであろう、元防衛大臣の稲田 朋美氏だ。


 まずは小林氏に関してだが、彼女は懸案の杉田案件について擁護する姿勢を見せ、


とツイートした。指摘するべきところは複数個所ある。まず、杉田発言を批判している人の多くは、生産性という言葉を切り取って批判しているのではなく、全ての文章を見た上でその他の点についても批判している。にも関わらず、小林氏は杉田氏同様、切り取って批判されていることにしたいらしい。例えば小林氏のツイートが、「生産性」という表現を恣意的に解釈していると言えそうな主張を例に挙げた上で、その主張に対して「切り取るな」と指摘しているならまだ考慮する余地もあるだろうが、このツイートでは何も示されていない。ということは、杉田発言に対する批判の概ね全ての傾向を論じてると言えそうだ。更に「言葉を文脈から切り取り、感情的になり過ぎてはいけませんね」とも述べており、杉田発言への批判=感情的、という印象を強調したいようだ。また、自分は冷静だというアピールも含まれているのだろう。
 しかし、彼女が適切に現状認識できない程冷静さを欠いている・感情的になっている、もしくは冷静なのに現状認識できていない、又は議員の本分である議論をするのにも確実に必要な理解力・読解力か、日本語表現能力に欠けていることが、「言葉だけ切り取らずに文脈を見ると、あの「生産性」は「子供を産めるかどうか」という意味だとわかります。」という表現からよく分かる。杉田氏の用いた生産性という表現が、子どもを産めるかどうかを示唆しているのは、その前後だけしか読まなくとも分かることだ。杉田氏は「彼ら彼女ら(LGBT)は子どもを作らない、つまり生産性がないのです」と懸案のコラムで書いている。文章の全体を読まなくとも誰にでも分かることを、批判している者は理解していないかのように、何故か今更指摘しておりとても滑稽だ。そんなことは批判している側もそうでない人も、ほぼ全ての人が当然の如く前提にしているのに、なぜ今更何周も周回遅れの話をしているのだろうか。
 小林氏がこのように書いたのは、理解力・現状認識能力などに欠けているか、本来言いたいことを伝えるだけの日本語表現能力に欠けているかのどちらかだ。彼女が「感情的」云々などと述べていたので「冷静さを欠いており、それが発揮できなかったのではないか?」と皮肉を書いたが、もし彼女が冷静であるにもかかわらず、あのようなツイートをしているなら、議員としての資質を著しく欠いていることを証明したことになりそうだ

 彼女は杉田発言に関する別のツイート、




に対するリプライとのやり取りの中で、



とツイートしている。「私の周りには小学生の頃から同性愛者の友達がおり、同性愛者の方々に向けての差別が日本にあるなんて考えたこともなく、」という部分は、本当に政治家の発言か?と目を疑いたくなる。自分の周りの1人ないし数人のサンプルだけを根拠に、日本全体に差別はないと思っていたと言うのだ。どれだけの視野の狭さなのだろうか。彼女の主張が作り話や誤認でなかったとしたら、彼女の周りの同性愛者は幸運にも差別されていなかったのだろうが、だから”日本”全体に差別はないなんて言える筈がない。彼女は政治家にもかかわらず、新聞もテレビ報道も、ネットニュースも一切目を通さないようなタイプの人間なのかもしれない。また、たった数人への聞き取りを根拠に、高プロ導入の正当性を論じた大臣のいる政党と似たり寄ったりだとも感じる。
 この程度の感覚の人が政治家として発言している事について、これまでなら愕然としたろうが、杉田氏や二階幹事長、小野田氏らの主張や、昨年「批判なき政治」なんてツイートしたアイドル議員らを見ていると、「ああ、またか」ぐらいの感覚になっている。本当はそれではまずい。国民の代表に相応しくない議員については出来る限り指摘・批判しておかないと、いい加減な条例・法律がこれまで以上に濫造される国になってしまう。


 2人目の稲田氏に関しても問題は彼女のツイートだ。

日本会議中野支部で『安倍総理を勝手に応援する草の根の会』が開催され、私も応援弁士として参加しました。支部長は大先輩の内野経一郎弁護士。法曹界にありながら憲法教という新興宗教に毒されず安倍総理を応援してくださっていることに感謝!
— 稲田朋美 (@dento_to_souzo) 2018年7月29日

憲法改正を推進する為に「憲法教という新興宗教に毒されず」などという表現を、憲法を最も遵守するべき者である国会議員が用いることに、強烈な嫌悪感を覚える。護憲派が新興宗教なら改憲派もまた新興宗教的だし、杉田氏や二階氏らを始め、基本的人権の尊重を蔑ろにした発言を厭わない者は、最早カルト的とすら言ってもよさそうだ。「毒されている」のは一体どちらだろう。
 朝日新聞の記事「「現実把握せずに答弁し続けていた」稲田氏、日報問題で」によると、彼女はBS日テレの番組に出演し、

 (南スーダンPKOの日報問題について)特別防衛監察をして分かったのは、2016年7月に(首都ジュバの)治安が悪化した時点で情報公開請求があり、そこで陸自が(日報を)出さないと決めていたこと。それと4万人の隊員が見られる状況だったこと。
 4万人も見ているんだからどこかにあるはずなのに、そういう現実を把握せずに国会で答弁し続けていた。もっと現実をみて正確な答弁ができたはずだという反省と、(自衛隊内の)陸海空の縦割りや、文官と自衛官の意思疎通の悪さといった風土や文化をしっかり理解して、防衛大臣としてものごとを解決すべきだったと思う。

と述べたそうだ。 どれだけ防衛大臣の資質に欠けていたかを自ら認めるような発言だ。適任だとして彼女を防衛大臣に任命し、更に問題が起きた後も処分せずに大臣を続けさせた者の判断能力を疑わざるを得ない。
 この段の冒頭で紹介したツイートも、この投稿を書いている途中でどうやら削除したようだ。何故削除したのかについても現時点では一切説明はない。これらの2つの案件を見ていると、彼女らは何が不適切なのか、どうして不適切な発言をしてはいけないのか、など恐らく何も理解していないのだろう。稲田氏は選挙応援で「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」などとも発言したこともあり、反省なんて全くないんだろうとしか思えない。

 このような政治家を抱えており、しかも明確な批判も示さず適切な処分も下さない自民党はこのような主張も多様性の一つとして認めるべき、なんて思っているんだろう。多様性を否定する不寛容な主張を多様性の一つとして認めれば、多様性のある状況は確実に失われてしまう。要するに、多様性を否定する不寛容な主張は多様性の一つとして絶対認めることは出来ない。政治家、しかも与党・政権を担う程優秀な人達には、こんな簡単な矛盾くらいすぐに気付いて欲しい。

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