苦しい経験も、過ぎ去ってしまえばその苦しさを忘れてしまう。また、苦しいときに助けてもらっても、楽になってしまえばその恩義を忘れてしまう。
コトバンク/デジタル大辞泉が解説する「喉元過ぎれば熱さ忘れる」の示す内容である。自分は毎日新聞の記事「テレ朝 女性社員を処分せず 前財務次官セクハラ問題」を読んで、この慣用表現を連想した。この記事は、財務省の福田事務次官がテレビ朝日の女性社員にセクハラ発言を行っていた件に関する話だ。今年の4月に週刊新潮が報じたことで事案が発覚し、麻生大臣を始めとして自民党議員や矢野財務大臣官房長らが、被害を受けた女性に対する配慮を欠いた発言を重ねたこともあって大きく注目された。更に、女性がテレビ朝日の上司に相談していたにもかかわらず、その上司が握りつぶそうとするような態度だった為、女性社員が新潮社に情報を提供して報道されるに至った経緯をテレビ朝日が認めたのだが、毎日新聞の記事に書かれているのは、それテレビ朝日の対応に関する内容だ。
毎日新聞の記事は7/3の夕方5時半頃に掲載されている。調べてみると朝日新聞や産経新聞なども記事を掲載したようだ。しかし、テレビの昨日の夜のニュース、今朝のニュースでこの案件が取り上げられたのを自分は見かけなかった。勿論全ての番組を隅から隅までチェックしている訳ではないが、発覚直後の過熱していた報道姿勢と比べると、新聞もテレビも確実にトーンダウンしているようにしか見えない。だから「喉元過ぎれば熱さ忘れる」という言葉が頭をよぎった。厳密に言えば、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」は当事者が忘れてしまう事を示唆しているのだろうから、「人の噂も七十五日(コトバンク)」の方が適した表現かもしれない。
SNSなどを中心に「マスコミは偏向報道」などと極端な見解を主張する人達がいる。そんな主張をする人達の中には国会議員もいる残念な状況だ。3月には公文書改ざん問題を抱えた副首相が、流石に「偏向報道」という表現は使用しなかったが、事実と異なる「新聞はTPPを一切取り上げない」なんてことを主張し、「マスコミは偏向報道している」という印象を強調しようと躍起になっていた。6/26の投稿 でも取り上げたように、副首相はその後も似たような発言を繰り返している。率直に言って、彼らの用いる「偏向報道」と言う表現の大半は、自分の主張と対立する報道とほぼ同義だろう。若しくは都合が悪い報道なので排除したいが、排除するべき大義名分が見当たらないので「偏向報道」という言葉でそれらしく語っている場合が殆どだ。それは嘘つき副首相の発言にも滲み出ている。
しかし、福田次官のセクハラ発言に対してあれだけ批判的な姿勢で取材を繰り広げ、批判的な記事を書き、批判的にニュース番組で報じていたのに、テレビ朝日が当該女性社員とその上司を処分せずという見解を定例会見で示しても、この程度にしか取り上げらないことに注目すれば、マスコミ各社・特にテレビ局も身内に甘い体質であるように思えてしまう。流石に「偏向」とまでは言えないが、福田氏のセクハラ問題に関しても、セクハラを無くそうという崇高な視点ではなく、視聴率が稼げるから煽るだけ煽ろうという視点で批判していただけ、と解釈されかねないのではないか?と感じられた。
テレビ朝日の女性社員が次官を取材した際の情報を、自社でなく週刊新潮に提供したことに関して、それが4/19に行われたテレビ朝日の緊急記者会見で明らかになった際に、女性社員の姿勢には報道機関に所属する者として問題があるのではないか、というような素っ頓狂な批判が一部から呈された。自分が知る限りでは、テレビ朝日の女性社員が上司に相談したにもかかわらず、握りつぶされそうになったから週刊新潮にセクハラ案件の話を持ち込んだようだが、もしその行為に問題があるのなら、それは言い換えれば女性社員に対して、セクハラ行為があったとしても泣き寝入りしろ、と言っているようなものだ。握りつぶそうとした上司の処分が検討されるのは当然だろうが、女性社員の処分を検討する必要など一体どこにあるのだろうか。
毎日新聞の記事 によると、見出しにて伝えられた女性社員だけでなく、握りつぶそうとした上司も不問となったようだ。また、女性社員には取材情報の取り扱いに関して、握りつぶそうとした上司には情報共有の重要性について指導を行ったそうだ。この記事の表現が実体と大きく乖離していないのであれば、結局テレビ朝日は不可解な喧嘩両成敗的な裁定で幕引きを図ろうとしているように思える。表現に麻生氏や自民幹部・矢野官房長らのようなドギツさはないが、まるで女性社員も何か間違った事をしたかのような裁定で、テレビ朝日も財務省や与党と似たり寄ったりの体質なのだろう、という印象を覚える。
4月にセクハラ問題が持ち上がった際には、野党議員らは声高に批判を繰り広げていたし、ネット上でも多くの人が福田次官や、セカンドレイプとしか思えない発言をした麻生氏・一部の自民議員、矢野官房長らを強く糾弾する主張を繰り広げていた。勿論それについては自分も同じように感じていたし、適当な批判・非難だと思う。しかし、本当にセクハラについて真摯に考えるのならば、当時彼らを批判していた人たちは、昨日示されたテレビ朝日のスタンスに関しても懸念を示し、場合によっては批判するべきなのではないだろうか。
ワールドカップだったり、他の政治的な案件に注目が集まっていることは当然理解してるが、森友加計問題を「長引きすぎ、飽きた」などと言うべきではないのと同様、財務次官のセクハラ問題、テレビ朝日が案件を握りつぶそうとした件も有耶無耶にしてはいけないことだと自分は感じる。