スキップしてメイン コンテンツに移動
 

今まで経験したことのないような気象


 Wikipediaの ゲリラ豪雨 の項目によると、この言葉が初めて用いられたのは1969年8月の読売新聞なのだそうだ。ただ、同じく「2008年には新語・流行語大賞トップ10に選出されている」とも記載されているように、現在のように頻繁に用いられ始めたのはここ10年ぐらいのことだ。それ以前も同じ様な気象を集中豪雨などと表現していたし、事象としては最近初めて起こったことではない。しかし30年来の自分の記憶の中で、市民生活に支障をきたすような雨量の集中豪雨がこれほど頻発し始めたのは、このゲリラ豪雨という言葉が用いられ始めてからだ。もしそうではないという根拠を知っている人がいるなら、是非私の認識の思い違いを指摘して欲しい。
 ゲリラ豪雨とは少し違うが、この週末、日本列島は西日本を中心にかなり厳しい豪雨に見舞われ、合わせると現時点で100名近い死者・行方不明者が出ているそうだ。いくつかの気象条件が重なってこのような豪雨が引き起こされたようで、NHK総合はここ数日ずっと画面の端に青い帯がついたままになっている。要するに災害に対する注意喚起が必要な状況が続いているということだ。


 夏場の雨、冬場の雪などについてここ数年、毎年のように「数十年に一度の」とか「これまで経験したことのない」という枕詞を用いる程の、注意喚起が必要な予報が示されたり、若しくは事後検証が行われたりする。この枕詞が用いら入れるのは、日本全体でということではなく、当該地域で「数十年に一度」とか「これまで経験したことのない」ということなのだろうから、毎年そのような表現が用いられてもおかしくはないのかもしれない。しかし個人的には「数十年に一度」が毎年起こるようでは、既に「数十年に一度」ではないじゃないか、とツッコミを入れたくなる。
 また「これまで経験したことのない」という表現も、史上初めての観測記録が出そうだというような意味だという事は分かっているが、そもそも観測記録などたった100年かそこらの記録でしかなく、それ以前に同じような気象があったかは分からない。危機感、防災・予防策を講じるように事前に努めて欲しい、というニュアンスでこの表現を用いていることは理解できるが、人間とは何にでも慣れるもので、この手の表現が毎年用いられるようだとその効果も薄まってしまう。自分が半ば難癖のようにこの文章を書いているのも、そんな側面の影響があるだろう。

 「数十年に一度の」という枕詞を用いる場合は、一応そのような気象が起こる恐れは検討されていたのだろう、と推測するが、「これまで経験したことのない」という枕詞が用いられる気象は、言い換えれば「想定外」の激しい気象であることを示唆しているように思う。この週末甚大な被害をもたらしている西日本を中心とした豪雨は、明らかに後者だろう。洪水や崖崩れなどの自然災害は基本的には「想定外」であるから起こることだろう。勿論中には「想定内」にもかかわらず、その想定に沿った対策が行われていなかったことによって起きる、半分人災のようなこともあるだろう。例えば先日の大阪の地震で、小学校のプールに設置されていた基準を超えた高さのブロック塀が倒れ、児童が犠牲になったことなどはそんな側面が強い。
 しかし、この週末の豪雨災害は、勿論想定内で対策を進めていたが間に合わずに起こった事案も幾つかはあるかもしれないが、流石にこれ程一度に、しかも広範囲に、1か月から1年分にも相当する雨量が数日間に集中して降る、なんてことは想定していなかったのだろう。だから約100名もの死者・行方不明者が出るような事態になっているのだろう。

 そんな想定外の豪雨災害が起きている中、昨夜・7/7の夜、千葉県を中心に震度5弱の地震が起きた。幸いなことに地震が起きた関東地方は今回の豪雨の被害が少なく、また地震でも大きな被害は出なかったようだが、万が一6/18に大阪を中心に起きた地震が、この西日本を中心とした集中豪雨と重なるタイミングで起きていたとしたら、更に被害は拡大していたかもしれない。地震の予知などまだまだ技術的に困難だということは知っているが、これらのことを総合して考えれば、「これまで経験したことのないような荒天」と相応の被害が起きるような地震が重なって起きる恐れは充分にあると言えると思う。そんなことを想定した災害対策が練られているとは到底思えない。もし、対策している事実があるなら是非教えて欲しい。

 自分は、そのような対策が取られていないことが問題だ、と言いたいわけではない。自分が言いたいのは、結局、自然は確実に人間の想定など一足飛びに超えてくる存在である、ことに間違いはない、ということだ。
 7/6の投稿で原発再稼働に向けて加速する状況を懸念するということを書いたが、原発の安全性などどうやっても誰にも保障できない、ことだと今回の集中豪雨による災害からも再確認させられる。今回の集中豪雨では原発に影響は出なかったが、今後は更に今回以上の「想定外」の豪雨があるかもしれないし、またその豪雨と、大阪で起きたような規模の、若しくはそれ以上の地震が同じタイミングで起こり、原発に影響がでることもあるかもしれない。
 原発を動かすなら事故が起こる恐れはあるという前提に立ち、事故が起こった場合の為にどのような対策が練られているのか、勿論避難計画だけでなく、事後の地域再生・復興にどの程度の時間を要するのか、どのような施策を行うのか明確化することが「福島原発の事故に学ぶ」ことの大前提なのではないだろうか。

このブログの人気の投稿

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。