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曲解



 今朝のMXテレビ・モーニングCROSSを見ていて画面に表示されたこの視聴者ツイートに強い違和感を覚えた。沖縄県が辺野古埋め立て承認撤回したことに関するツイートなのだが、自分の目には、歪んだ・歪曲した解釈、所謂「曲解」にしか思えなかった。まず「沖縄は」という括りの大きすぎる主語だ。沖縄と一口に言ってもおよそ142万人もの人がいる。いろいろな考え方の人がいる。沖縄にも「とりあえずどこでもいいから普天間から移転」と思っている人もいれば、「最低限でも沖縄県外に移転」と考えている人もいるし、「移転じゃなくて廃止を望む」人もいるだろう。番組MCの堀 潤さんがしばしば主張している「主語が大きすぎる話」という問題を孕んだツイートだ。


 更に、
 辺野古移設反対している人=普天間の危険はどうでもいい
と考えられる感覚も容認できない。率直に言って、沖縄基地問題の現実を全く理解しておらず、単に自分と異なる主張・意見に対して、それらが悪く見えるようなレッテル貼りをしたいようにしか思えない。辺野古移設に反対している人達の多くが普天間飛行場の継続利用を推進している、容認しているという事実があるのなら、彼の見解も間違いではないと言えるかもしれないが、そんな話は一切聞いたことがない。辺野古移転反対派の多くも普天間飛行場の早期除去は望んでいる。しかし相次ぐ米軍機の墜落事故等を前提に、辺野古に移設したところで危険性は除去できないという観点や、辺野古の海を埋め立てることが自然に影響を与え、別の問題を誘発するとなどと考え、辺野古への飛行場移転は得策ではない、唯一の解決策などという話は受け入れられない、普天間飛行場の危険性除去・諸問題を本質的に解決するには他の対処を検討するべきだ、と考えている人が殆どだ。
 現地・沖縄でそのような考えの人に全く出会わないなんてことは、確実に考えられないし、もし実際に出会わなかったのだとしたら、狭いコミュニティの中だけを見て「沖縄は―」などと言っているとしか言えない。

 今日は曲解としか思えないツイートがもう一つあった。
 番組ではこの週末に9/1・防災の日(大正12年(1923年)に関東大震災があった日)が含まれていたことを踏まえ、都内で行われた、関東大震災直後に「朝鮮人が放火した」などのデマを信じた住民らに殺された朝鮮人犠牲者の追悼式典に、これまでの都知事は追悼文を送ってきたが、小池都知事は昨年に続き今年も、朝鮮人犠牲者追悼式典に追悼文を送らなかったという事を取り上げた。これについて番組内で、
堀潤:人種差別あります、この国にも
安部敏樹:そもそも(日本に人種差別が)ありますという認識がどこまであるのかという話もあると思っていて、
堀潤:ないことのようにしたい(という人が少なくない)?
安部敏樹:そうですね、ネット上だけでヘイトスピーチのような言葉が溢れているが、日常ではそんな言葉はあまり聞かないわけですよ。やっぱり(人種差別問題が)論点になっていないということだと思うので、そもそも人種差別が(日本にも)あるんだよと認識するところがスタートですよね。
よもぎちゃん:そもそも生きてきて、人種差別って意識(を感じる場面)に直面したことが生活でないので、まずそういった意識を持つきっかけになる何かがあればいいのかなと思う
堀潤:(人種差別に)触れた事があれば、自分の胸の痛み、相手の胸の痛みも含めていろいろな対処法を学べるけれども、
よもぎちゃん:何ならちょっとタブー化されているみたいな印象も受けるので、触れちゃいけないものみたいな感じで、
などのやり取りがあった。安部 敏樹さん(社会起業家)、よもぎちゃん(元レンタル彼女ブロガー)らは、この日の番組コメンテーターだ。また、堀 潤さんの発言を元に「人種差別」と書いたが、厳密には人種差別だけでなく同じ人種内での民族差別も含まれる。
 このやり取りを踏まえた視聴者ツイートに、
というのがあった。個人が番組内容にどのような感想を持つかは、最終的には自由の範疇だろうが、番組のどこをどう見て「日本人が人種差別の塊のような議論になっている」と感じたのか到底理解できない。どう見ても「日本では人種差別(民族差別)がないかのような認識を持った人が少なくないが、決してそんなことはない、現実をしっかりと捉えなくてはならない、見て見ぬふりをしていたら問題は深刻化しかねない」という話だった。「日本人ほど差別意識の少ない人種はいないよ」に関しても、番組で論じられたことの本質とはズレている。差別意識を持つ日本人が多いか少ないかは論じていなかったし、もし差別意識を持った日本人が少なかったとしても、少ないから問題ではないという事にはならないし、少なからず差別意識を持った人がいることを直視して、差別が無くなるように問題意識を持たなくてはならないという話だ。

 以前にも「思い入れが強すぎると…」という投稿を書いたことがある。ここで取り上げたツイートをした人らは、何に対する思い入れが強いのか、薄々感じることはあるが、それはあくまで個人的な推測なので敢えてここでは言及しないが、何かへの思い入れが強すぎるあまり、事実や現状を適切に認識することが強く阻害されているように思う。
 再三書いていることだが、番組はこの手の適切とは言い難い認識に因るツイートを取り上げるのなら、それを全否定しなくとも、少なくとも「それは果たして適切な認識なのかどうか」と問題提起するぐらいは必要なのではないだろうか。番組でツイートを紹介するというのは、番組が「いいね」をしているように見えることもあるし、番組が肯定的にリツイートしているように見えることもある。言い換えれば、番組が間違った認識を広める手伝いをしているように見えることもあるし、実際に、間違った認識を正しい認識かのように広めていると強く感じることもある。

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