昨日・9/8の朝、ツイッターのトレンドワードの上位に
最初の安倍氏自身の発言以外は、「自民党内の一部の行き過ぎた声であって、安倍氏の意向ではない」と見ることもできる。しかし、現在の安倍氏は党総裁であり、現首相でもある。ならばそんな声が出ないようにもっと不快感を示してもいいようにも思うが、彼がそういう態度を示したという話はマスコミからも、積極的な彼の支持者らからも全く聞こえてこない。それでは自民党内が安倍氏を中心に、独裁のような状態に向かっているという懸念が生じても仕方がないように思う。
しかし現在の状態で、安倍氏が純然たる独裁者かと言えば、確実にそうとは言えない。前段で示したように「独裁に向けて動いている恐れ」はあるかもしれないが、「独裁者」と断定的に言い切るのは適切とは思えない。
2年前頃から「アベ政治を許さない」というスローガンが、政権批判に用いられているが、許してはいけないのは厳密には安倍氏の政治ではなく、公平性を欠いているなど適切とは言えない政治である、という事を8/12の投稿にも書いた。「アベ政治」には、現在の安倍氏の政治姿勢・政策という意味が含まれており、絶対的におかしいとは言えないが、政権の積極支持者らは「安倍首相を毛嫌いしているだけで、単なる感情論」とか、「個人攻撃で人権を無視している」というように字面に引っ張られて認識するだろうし、字面に引っ張られるのは政権に批判的な者も同様だろうから、アベ政治を許さない、という表現は好ましいと思えない。スローガンには分かりやすさも必要だが、誤解を生むようでは上手いスローガンとは言えないと自分は考える。だから #安倍晋三は独裁者 というハッシュタグにも全く賛同する気にはならない。
このハッシュタグについては、
— hato (@hatoPlat) 2018年9月7日のように、実際に独裁体制が敷かれた社会では、指導者批判の言動は抑圧されるだろうから、この手のハッシュタグが出回る筈がない、という旨のツイートも散見される。この手の主張もハッシュタグがトレンドの上位に来ていた頃から見られたので、タグへの賛同・批判の相乗効果でタグが上位に押し上げられたのだろう。
自分は北朝鮮の情勢を詳しくは知らないが、流石に北朝鮮ではこの手の主張をすることは出来なさそうだ。しかし共産党による独裁が敷かれている中国ではどうだろうか。流石に #習金平は独裁者 とあからさまにはネット上に書き込めないだろうが、あからさまな隠語を用いた投稿は、以前の中国では出来ない主張だったかもしれないが、現在ではあり得ないとまでは言えないのではないか。それとも上記のような主張をする者は「中国は独裁国家ではない」と考えているのだろうか。
確かに” #安倍晋三は独裁者 ではない”は現在は正しいかもしれない。しかし、独裁政党的な発想が既にいくつか与党内に見えることまでは否定できないし、#安倍晋三は独裁者 というハッシュタグが存在出来なくなってからでは、そんな批判は出来なくなり時既に遅しということになる。批判するにしても、だからそう主張できる内に懸念を示している、という事を考慮しない批判では意義が薄いと自分は感じる。
この手の主張をしている人のタイムラインを眺めて見ると、「マスコミは偏向している」という主張もしていることが多い。どう偏向していると言っているかと言えば、大概「マスコミは政府・与党を過剰に批判している」と言いたげだ。一方で独裁的ではないと言いつつ、一方ではマスコミに政府よりの報道を求めるという、独裁に加担するような主張をしているのを目の当たりにすると、違和感を覚えずにはいられない。
また、彼らの中には中国に対して批判的な者も少なくない。中国のどこを批判しているのかを明示せず、大概「中国はー」と全否定するような勢いだ。自分には、冒頭で指摘した自民党内の状況は中国共産党的だと強く感じるが、彼らはそれを独裁的ではないとする。彼らがそれに矛盾を感じないのがとても不思議だ。
結局、#安倍晋三は独裁者 というハッシュタグも単なるレッテル貼りになってしまっている側面があるし、それに対して反論している側にも、「マスコミは偏向している」「中国はー」と大きく括ってレッテルを貼っているだけの一面が確実にある。8/12の投稿のタイトルにもした、「短絡的なレッテル貼りの応酬は非建設的」ということを再確認させられる。