昨日の投稿「安田純平さんに対する自己責任論から考える、恣意的な解釈と無責任な言説」でも、彼に対する自己責任論が如何に矛盾に満ちているかを書いたが、それを書いた後の移動中の電車の中で、ふとこんなことが頭に浮かんできた。
紛争地域への渡航は明確に禁止されてはいないが、国は退避勧告を出している。喫煙も明確に禁止されてはいないが、国は禁煙を推奨している。安田さんへの自己責任論が正しいなら、全ての喫煙行為も自己責任だろう。ならば喫煙者が肺がんやその他の病を患っても、一切国民健康保険等の利用は出来なくなるだろう。
また、飲酒運転は推奨されていないだけでなく明確に禁止されている。安田さんへの自己責任論が正しいなら、飲酒運転で事故を起こした運転手や同乗者らが瀕死の状態になっていても自己責任だろうから、飲酒運転者が瀕死でも救急車が行く必要もないし、病院が応急処置や手術等をする必要もなく、そのまま放置して死なせてもよい、なんてことにもなりそうだ。
果たしてそんな社会は健全だろうか。自分には全くそうは思えない。
この思いをそのまま、ハフポストの「ダルビッシュ、安田純平さんへの「自己責任」批判に反論 「一人の命が助かったのだから、本当に良かった」」という記事のコメント欄に書き込んだ。自分でも少し比較対象の範囲の差が大きかったかもしれないとも感じたが、彼に投げかけられている「自己責任論」を、多くの人の身の回りにあるレベルの事柄に置き換えればそういう事になると思う。個人的には、10/24の「不摂生の医療費支払い 「あほらしい」に麻生氏同調」(東京新聞)という記事で報じられた麻生氏の見解も、根本的には同じ様な「自己責任論」に基づいた話だと思う。こんな人が副総理大臣なのだから、矛盾に満ちた自己責任論が恥ずかしげもなく論じられるのも、ある意味仕方ないのかもしれない(勿論実際は仕方ないで片付けられる話ではない)。
前述の、当該記事の自分のコメントに対して次のようなリプライがあった。
喫煙者からはたばこ税が間接的に強制徴収される。
飲酒運転には懲役刑を含む罰則が伴う。
このように、健全な社会においては、責任の取り方はそれなりに考慮されている。
安田氏は自分がかけた迷惑に対してどのように責任をとるのか?開放のために働いていた政府に謝意を示さないようでは、あまり期待できそうもない。
安田さんに向けられる自己責任論は、彼の主張する「救出・救済された上での懲罰的な責任」とは異なり、「自己責任だから助ける必要はない、見捨てられても当然」という論調が大半を占めているので、彼の言う「責任」とは意味合いが異なっている。言葉の意味の解釈を変えた反論に整合性があるとは言えない。また、その点を大目に見て考えても、彼の主張に合理性があるとは到底言えない。
喫煙は違法な行為ではなく、たばこ税に懲罰的な意味合いはない。強いて言えば、たばこを吸って副流煙を輩出することによって、他人に影響を与える事への補償的な意味合いはあるかもしれないが、たばこ税は喫煙者自身が救済される為の対価でとあるとは言い難い。飲酒運転については明確に刑法違反で懲罰規定があり、それを犯せば罰金・禁固刑等懲罰が科される。飲酒運転等交通違反の反則金・罰金は、その行為によって危険な道路交通事情を生み出した者に科される、周囲に及ぶ危険な影響への事前対策を講じる為の補償のような側面が強く、交通違反者が怪我をした場合の救護・救済の為に払う対価ではない。
一方で、日本では憲法で海外渡航の自由が保障されており、適切な理由なくそれを制限することは出来ない。勿論紛争地への渡航を一律禁止するような規制の仕方も、これに抵触する恐れがあるので難しい。当然懲罰を科すことも出来ない。なので、安田さんに懲罰的な責任を求める主張にも無理がある。
何より、彼は迷惑をかけた責任と言うが、迷惑だと言っているのは誰なのか。勿論迷惑だと主張している者がいるのは自分も知っているが、迷惑だとは思わないと主張する者も多くいる。なのに「迷惑をかけた」という彼(や一部の者)の主観的な話を、確定的事実かのように論じていることに強い違和感がある。要するに彼の主張は複数の点で、字面だけに注目した短絡的な主張としか言えず、合理性があるとも当然言えない。
何より彼は、同じ案件を取り上げたハフポストの別の記事「安田純平さんは「自己責任」? 今井紀明さんが問題提起」へ私が投稿したコメント、
安田さんが自己判断で紛争地域に入ったのだから、責任が一切ないとは言わない。しかし、3年も武装組織に拘束されてやっとの思いで返ってきた人に対して、何よりも先に「馬鹿」だの「謝れ」だの言う人の気が知れない。まさにセカンドレイプだ。に対して、 こうリプライしてきた。
「馬鹿」だの「謝れ」だの言われるであろうことも自己判断されてのシリア入国だったはず。期待に応えてさしあげないとむしろ失礼かもしれませんね。
このような一方的で勝手な解釈を彼が振りかざせば、
桐豪鱒 も「馬鹿」「謝れ」と言われる事を自己判断の上でこんなコメントをしたはず、期待に応えてさしあげないとむしろ失礼だろう。と彼が言われた場合に、彼も甘んじてそれを受け入れざるを得ないだろう。これでは「馬鹿、謝れ」という小学生レベルの言い合いにしかならなず、とても不毛だ。また、このリプライで彼は実質的に安田さんに対して「馬鹿」「謝れ」という罵詈雑言をぶつけているも同然で、彼は1つ目のリプライについてもそのような感覚を前提に論じているのだろうから、否定する為に粗さがしをしているようにしか思えない。
彼とは異なる「自己責任論」を論じている者もいるかもしれないが、自分の目には概ね彼とほぼ同じ、若しくはそれ以下の「自己責任論」が展開されているように映る。恐らく彼らは、安田さんのように現政権の意向に異論を呈する者をどうにか否定したい、若しくは、ターゲットは誰でも・何でもよくて、ただただ何かを否定することでストレスを解消したいという更にそれ以下の理由で、SNSなどへのこの手の投稿をしているのだろうと推測する。
彼らにこのような指摘をしても、結局否定の為に粗探しをしているだけなので何を言っても響かず、まともなコミュニケーションが成立しないことがとても歯痒い。