安倍首相は現内閣発足の際に行った会見で、
この内閣は、それぞれのポジションで腕を磨いてきた実務型の人材を結集しました。いわば、明日の時代を切り開くための「全員野球内閣」でありますと述べた(10/3の投稿)。彼は、9月の自民党総裁選中から、「再選後に発足させる新内閣の人事は適材適所で行う」という旨の意思表示を行っていた。これまでの彼が発言に用いる台詞には、代表的なのは「真摯な受け止め・丁寧な説明」等だが、美辞麗句、若しくは言っている事とやっている事、又は実際の状況とが異なる羊頭狗肉と言えるものが多く、そのような例は枚挙に暇がないし、何より、森友学園問題に関連して財務省内で起こった公文書改ざん問題について、調査の結果政府が「改ざんを主導した」と認定した人物の国税庁長官への起用は「適材適所」と、彼や副首相が言い張っているのだから、詳しく言えば、公文書を行ったタイミングよりも後に、その人物を国税庁長官に任命したことを「適材適所」と言い張っているのだから、安倍氏の言う「適材適所」は、少なくとも標準的な日本語の「適材適所」とは別の意味なのだろう。
10/2に発足した新内閣では、桜田五輪担当相・サイバーセキュリティ担当相は、「それぞれのポジションで腕を磨いてきた実務型の人物」と太鼓判を押せるような資質がない事を指摘され、それを自ら証明するような数々の振舞いを露呈しているし、首相が「2人分も3人分もある持ち前の存在感で、女性活躍の旗を高く掲げてもらいたい」という期待感を示した片山地方創生担当相も、国税庁への口利き疑惑(疑惑というか、彼女がしているのはかなり苦しい言い訳・毎日新聞の記事)、複数の政治資金収支報告書の不備(朝日新聞の記事)、複数の屋外広告物に関する不正、公職選挙法に抵触する恐れのある配布物(カレンダー)の問題(朝日新聞の記事)など、1人で2人分も3人分も、発揮してはならない存在感を示しているような状況だ。
このような状況を見れば、多くの人は「全然、全員野球じゃないし、実務型の人材を結集出来てもいない」と思うだろう。彼らの人選を「それでも適材適所」と言い張るのは、彼らの身内か、標準的な日本語の意味以外で「適材適所」を使っている者だけだろう。
安倍氏が言う「真摯な受け止め」とは「真摯な受け流し」のようだし、「丁寧(な説明)」も「必ずしも内容を伴わなくともよく、重要なのは時間を割いた事」という意味のようだし、「適材適所」も「自分に都合がよい人材の配置」等の意味のようなので、彼が喋っているのは、標準的な日本語とは別の、特定の場所で通じる方言のようなものの様だ。こんな事を書くと、彼のルーツである山口県の人達から「山口でもそんな意味でそれらの言葉を用いることはない」とお叱りを受けそうだが、だとしたら彼は一体どこで通じる方言を使っているのだろうか。
結論を言えば、彼は、かなり限定的な場所でしか通じない、言い換えれば、彼や彼の太鼓持ちの間でしか通じない日本語のようで日本語ではない言語を、しばしば公式会見等でも用いていると言えそうだ。国を代表する人物が、国民に向けた会見で標準的な日本語ではない言葉を用いているのはかなり問題があるし、諸外国に向けた意思表示に標準的な日本語ではない言葉を用いられると、誤った日本語を広めることにもなりかねず、更に問題は深刻になる。
しかしそのような事態がもう何年も続いている。しかも彼が与党総裁・内閣総理大臣を務めている影響で、彼が喋るのと似たような日本語の様で日本語ではない言葉を使う政治家が増えているようだし、その悪影響は一般的な国民にも及んでいると思える。
外国人・外国籍の日本居住者・日本国籍を有するが日本以外へルーツを持つ者などが、「日本語が満足に使えない」という偏見による就職差別をしばしば受けるという話を耳にする。しかし、首相や彼と似た政治家・関係者等の影響なのか、ツイッターなどSNS上では、日本語を話しているようで、日本語を適切に理解できない者をしばしば見かける。極端な主張をする人に特に見られる傾向で、彼らが示した極端な見解について「どう合理性がないのか」を指摘しても合理的な反論が返ってこず、彼らは同じ話をループさせたり、最悪「低能、病院に行け」などの人格否定に走る。日本人の両親の元に生まれ育ち、日本国籍を有し、見た目も典型的な日本人であっても、日本語を適切に使う事ができない、適切に理解できない人は思った以上に多い。
個人的には、安倍首相は日本人風なのに日本語を適切に使う事が出来ない者の筆頭だと思っている。このような人物が自分が生活している国のトップであることを強く危惧する。