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しゃぶしゃぶ鍋パワハラ問題はテレビの悪影響なのか


 とある芸能事務所の3年前の忘年会で起きた、当時社員だった男性が社長に「何かおもしろい事をやれ」と命じられ、火にかけられたしゃぶしゃぶ鍋に顔を押し込まれる、というパワハラ案件、というか傷害事件と表現する方が妥当なのでは?と思えるような事案について、当該男性が刑事告訴・損害賠償請求を検討している事が話題になっている。
 これは週刊新潮が報じて明るみになった案件で、自分は新潮のWEBサイト・デイリー新潮の予告記事(現在は短くまとめた続報も掲載されている)でこの件を知ったが、当初は記事に関する動画もまだ掲載されておらず、映像から切り出された画質の低いスクリーンショット1枚と短い文章しかなかったので、芸能ゴシップ的な大袈裟な記事なのか、深刻度の高い案件なのか判断がつかないという印象を受けた。しかし、週刊新潮の当該記事掲載号発売と共に当時の様子を複数のカットで撮影した動画が公開され、またタイミングを同じくして当該男性が記者会見を開いて詳細を語ったことにより(Buzzfeed Japanの記事)、冷めた鍋を火にかけたばかりで撮影するといった演出ではないのであれば、冒頭でも述べたように傷害事件に相当する深刻な事案だと思えた。


 この件についてツイッター上では、テレビのバラエティ番組の演出としてしばしば行われる熱湯風呂やアツアツおでん等の悪影響だと言う人がいるようで、どちらの芸・演出にも関わりのある、日本テレビが1980年代から90年代にかけて放送していたバラエティ番組・スーパーJOCKEYのメインMCを務めたビートたけしさんは、現在レギュラー出演するTBSのワイドショー番組・新・情報7daysニュースキャスターの中で、熱湯風呂のリアクション芸について
あれ、本当は熱くないからね
と述べたそうだ(ハフポストの記事)。 記事では「お笑い番組が植えつけた負の遺産」「芸人を熱湯風呂に落として喜んでる番組があったよね。何処が違うのかな?テレビの方が罪だと思う」などの見解がツイッター上で示されていることも紹介している。

 1988年に東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件が発生し、その犯人が、部屋の半分がビデオテープで埋め尽くされるような程のアニメオタクだった事などが注目され、アニメの悪影響が声高に叫ばれた。また、1997年の神戸連続児童殺傷事件では、犯人が未成年者だったことと共に、愛好していたアニメや漫画の影響で「酒鬼薔薇聖斗」という名前を犯行声明で用いたことなどにも注目が集まり、ここでもアニメや漫画の悪影響が指摘された。更に1999年に米国で起きたコロンバイン高校銃乱射事件でも、犯人の高校生2人が好んで聞いていた退廃的な歌詞が特徴のメタルバンドや、FPS(ファーストパーソンビューシューティング)と呼ばれるジャンルの銃撃戦ゲームの影響などが指摘された。
 アニメや漫画、ゲームなど比較的新しい表現方法に関する「悪影響」はしばしば論じられる。テレビ番組、特にバラエティ番組の悪影響も、少なくとも1970年代頃から指摘はある。というか、当時はバラエティ番組に限らずテレビというメディア全体の悪影響がしばしば論じられていた。付け加えれば、激しい表現の歌詞を用いるロックやヒップホップもしばしば悪影響が論じられる。

 例えば殺人事件の容疑者が「刑事ドラマ・サスペンスを見て犯行を思いついた」と供述したら、ドラマや映画、小説の悪影響という論じられ方がされるだろうか。自分はされないと思う。また部活動、特に運動部での下級生などに対するいじめ・体罰などがしばしば明るみになるが、部活動自体の悪影響とか、野球やサッカー等の競技種目の悪影響なんてことが論じられるだろうか。「野球やサッカーはいじめや体罰と関係ない」という人もいるだろうが、柔道部だったら、剣道部だったら、ボクシング部だったらどうだろうか。それらの競技で使う技等を用いた暴力行為があっても、それらの競技の悪影響という話が声高に論じられることはなく、「技等をいじめ・体罰・暴力に用いる者が悪い」という認識が広く示されるだろう。
 自分は明治・大正の頃の映画や小説の黎明期を知らないし、詳しく調べたわけではないのであくまでも推測だが、それらの表現方法も黎明期は一括りにした「悪影響説」が論じられたのではないかと考える。それらは今でこそおよそ100年前後の歴史のある表現手法になっており、世間一般で所謂市民権を得るに至り、一括りに「悪影響」などと論じられることがなくなったのだろう。つまりアニメや漫画・ゲーム・テレビの悪影響という話の大半は、保守的な人達が「得体のしれないもの」という感覚を前提に、説明し難い行為の要因を、その「得体のしれないもの」の所為にして一蹴しているに過ぎないのではないだろうか。
 ドラマや映画・小説だと悪影響と言われないのに、アニメや漫画やゲームだと悪影響だとかって槍玉にあがるのはとても奇妙だ。テレビの娯楽番組も「フィクションである」と大多数が分かって見ているのに、勿論全く影響がないとは言わないが、「悪影響」と槍玉に挙げるのもなんだかおかしな話のように思う。テレビやアニメや漫画やゲームをスケープゴートして、「不適切に真似する者が間違っている」ことから目を逸らすようなことは止めた方が良い

 ハフポストが1/8に掲載した、昨シーズンの年末年始に大きな話題になった、年末のバラエティ特番に端を発する、黒人に扮する際に顔を黒く塗るのは問答無用で差別に該当するか、に関するフリーライター・黒岩 揺光さんのコラム「日本のお笑い界に「人権感覚」を求めることは、八百屋に魚を売れと言っているようなものです。」の中で、彼は
 人を叩いたり蹴ったりする暴力が容認されるという面でも、日本のお笑い界は世界でもとても珍しい空間だ。私は15歳で渡米し、(ダウンタウンの)浜田が松本を叩くように、向こうの同級生の頭を親しみを込めて叩いたら、激怒された。が、友人に突っ込むことがすでに習慣付いていたため、この癖を完全に治すまでに数年かかった。
と言っている。 1/11にこのブログへ投稿した「続・顔黒塗り=人種差別?」でも触れたが、黒岩さんがアメリカの友人に激怒されたのは黒岩さんが叩いたからで、それをお笑いの所為にしようというのは単なる責任転嫁でしかない。恨むなら、未熟な彼に「テレビやお笑いを真似て人を叩いてはいけない、あれは信頼関係がある前提で行われている」、ということをしっかり教えてくれなかった親や先生を恨むべきだろう。

 例えば、いじめなどの問題について学校の責任ばかりが追及されがちだ。学校の中で起きた問題だろうから学校や教員にも責任はある。しかし、未成年者を主に監護する義務を負うのは保護者、つまり親だ。学校や教員が見て見ぬふりをしていたり、時には一緒になっていじめに加担しているケースも少なくないし、学校への責任追及の全てがおかしいというつもりはないが、親やいじめを行った当該生徒の責任について言及した報道はあまり目立たず、自分はバランスが悪いように感じている。学校や教員の責任ばかりを過剰に追及するから、学校側に隠そうとする傾向が出ている側面もあるのではないだろうか。
 テレビやアニメ・漫画、ゲームなどへの責任転嫁も、その背景には誰かの責任逃れの為にそのような話が声高に論じられる側面があるのではないかと感じる。

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