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長嶋 一茂氏の「我々」「何もできない」は間違い


 最も影響力のある芸人の一人・ダウンタウンの松本 人志さんがレギュラー出演している事などで注目度の高い、フジテレビ・ワイドナショー。以前からWebメディア等は同番組放送後に、番組での松本さんの発言、その他出演者の発言をしばしば取り上げてきた。
 10/29の投稿でも書いたように、番組の看板出演者である松本さんの同番組での発言が、斜に構えて人とは少し違う事を言う事だけに拘り過ぎているように見えてしまい、また出演する他のゲストもその路線に引っ張られる傾向が強くなったように思え、自分はこの半年ぐらいあまり積極的に番組を見たいとは思わなくなっていた。
 松本さんには以前からその傾向はあったし、彼が芸人であることを勘案すればある程度は捻くれた見解を述べることは、ある意味では風刺の側面もあるのだろうが、流石に未成年の自殺者に対して「死んだら負け」という表現を使ったのは、当事者や遺族に対する配慮がなさ過ぎてかなり残念だった。


 10/4は、自分が毎朝見ているMXテレビ・モーニングCROSSのMCを務める堀 潤さんが出演するというので同番組を見た。週末ワイドショー番組なので、その週にあったことを取り上げるのは他局の同種番組と同様で、渋谷ハロウィーン騒動が番組のトップを飾っていた。
 次に取り上げられたのは、武装組織による拘束から3年ぶりに開放され、シリアから帰国を果たした安田 純平さんが開いた記者会見だった。この件についての、この日のコメンテーターの一人・長嶋 一茂さんの主張に愕然とさせられた。彼は、彼の前にコメントした千秋さんの「外国人の視点での取材し、英語等外国語で書かれた記事を誰かが翻訳した情報だけでなく、日本人が日本人の目線で現地で取材し、日本語で直接書かれた情報も必要ではないのか」という旨のコメントを受けて、
 (安田さんのようなジャーナリストが紛争地域に行って取材することで) 日本人に対してどれだけ利益・還元性があるのか
と述べた。これに対して堀 潤さんは「日本は中東からの原油輸入にある程度依存している、中東で起こっていることは日本と決して無関係とは言えない、中東情勢が日本に伝えられる事には相応の還元性がある」という旨を示唆する発言をしたところ、今度は、
 その情報で我々はどうしよも出来ない。中東に内戦が勃発したってじゃぁ何が出来るの?ってなっちゃって、僕らが思うのはシリアとか行かなきゃいいなという事
と述べた。
 ハッキリと1つだけ言える事がある。それは長嶋 一茂さんは「中東情勢に興味がない」ということだ。一応彼も興味がありますという素振りを見せてはいるものの、原油の輸入や難民の受け入れ等、日本も決して無関係ではないという話に対して、「我々はどうすることも出来ない、中東やシリアに行かなければいい」と言えるということは、言い換えれば「中東で何が起きようが知ったことではない、無関係だから勝手にしてくれ」と言っているようなものではないだろうか。

 まず「我々は」などと日本人代表ヅラするのは止めて貰いたい。長嶋さんは何もしていないだろうが、シリアや紛争の為に何かしようとしている人、紛争の解決に向けて、また現地の人々の為に何かをしている人の中には日本人も確実にいるし、少なからず政府単位での尽力・外交努力もあるだろう。「何も出来ない」は明らかな間違いだ。簡単に言えば単に彼(や彼のような考えの人)がシリアや紛争解決に向けて「(自分たちは)何もするつもりがない」と宣言しているだけに過ぎない。それを「我々は」などと日本人の総意かのように主張されるのは心外だ。「シリアに行かなきゃいいだけ」も、彼がシリア・紛争・中東情勢に興味がない事の何よりの証拠だ。
 こんな事を言っていたら、今後万が一日本政府が武力などで国民を弾圧し始めたとしても、他国にも国連にも「日本で人権弾圧が起きても我々は何もできない」と言われてしまうだろう。災害が起こった際も「何もできない」と見放されるだろう。彼の主張はあまりにも自分本位な主張だと言わざるを得ない。他国メディアに注目されないことをただただ祈るばかりだ。


 同番組は「この番組は普段スクープされる側の芸能人が個人の見解を話しに集まるワイドショー番組です」というコピーを掲げている。その影響か否かは分からないが、2018年2月に同番組で三浦 瑠璃さんが、相応の根拠も示さず「北朝鮮のテロリスト分子、スリーパーセルがソウル、東京、大阪に潜んでいる。今大阪がヤバイと言われている」などと発言して批判されるという件があった。確かに10/4の長嶋さんの主張も、2月の三浦さんの主張も、松本さんの「死んだら負け」も個人の見解かもしれないが、個人の見解という免罪符があれば何を言ってもいいという事にはならない。テレビで根拠も定かでないデマまがいの話を放送すれば、SNS上などでの主張よりも確実に影響力があるし、 また個人の見解であっても誰かを著しく傷つけるような事を言うのは確実に適切とは言えない。
 昨日の番組放送後、ツイッターのタイムラインに以下のツイートが流れてきた。



何を以てバッシングと言っているのかは定かでないが、この人は「個人の見解」を批判するのはおかしいと思っているようだ。しかし、番組で出演者が示すのが個人の見解なのと同様に、番組に対してWebやSNSで示される批判もまた「個人の見解」である。彼自身もその個人の見解を批判していることを、彼はどう考えるのか。このツイートをバッシングと言われたら彼は否定するだろうが、ということは、彼の言葉を借りれば、彼も「心に余裕のない人」という事になりそうだ。

 大事な事なので最後にもう一度言いたい。「個人の見解」は万能の免罪符ではない。個人の見解として頭の中で考えることと、それを公に主張すること、特にテレビ放送等でその見解を述べる事を全く同列と考えるのは確実に適切ではない。個人の見解だろうが誤った認識を示せば批判されるし、人を傷つけるような主張も同様に批判される。表現の自由は誰かだけに認められる特権ではない。誤った主張に対する批判も表現の自由の範疇である。

 適切な批判と、誹謗中傷などの区別がつかない人がしばしばいるのはとても残念だ。

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