【漫画】警察官をクビになった話 - 警察官クビになってからブログ がSNS等で話題になっている。自分は、作者のツイートを別の人がリツイートした事でこれを知った。その内容はかなり凄惨だ。ただ、冷たいようだが、この話が実話なのか、実話だが誇張があるのか、全くの創作なのかの判断を、現時点で自分は下す事が出来ないでいる。しかし、このブログの2017年4/2の投稿「捜査機関への信頼」や2017年8/11の投稿「警察官も人の子」でも触れ、その他にもしばしば報道される警察の証拠捏造・自白強要や、2017年8/23の投稿「強引な職務質問」で触れたタイトル通りの行為等勘案すれば、特に強引な職務質問については10/12の投稿「防犯が理由でも偏見は認められない」にも書いたように自分も実体験があるし、また、警察組織やそれと似たような消防・自衛隊・海上保安庁等の組織内、育成過程でいじめやパワハラがしばしば報じられるし、当該マンガが不当に警察の評価を貶める目的で書かれた全くのフィクションとは思えない。言い方を変えれば、概ねあり得る話だろうと思える。
しかし前述のように確信が持てるわけではないので、このマンガを基に警察組織の問題を指摘することは、ここでは避ける。その代わりに、このマンガを前提に別の事を指摘したい。
パワハラやいじめの被害者が被害を訴えたり、自殺してしまったりすると、
自殺するほどのいじめやパワハラ受けているなら、すぐ学校・会社辞めればいいのに。なぜ居続けるのかなどと言う人が必ず出てくる。 自分はこの手の発言は消極的なパワハラ・いじめだと思っている。所謂セカンドレイプのような言動に当たるとも考えている。
確かに、環境が自分に合わないようであれば、自ら環境を変える努力をするという予防策・防衛策を取ることを勧めるのは、決して間違ったことではない。明らかにいじめやパワハラではなく、他の人と反りが合わないなど、不適切な行為に寄らない相性の悪さであれば、そのような対応を勧めるのはとても前向きな事だとも思う。しかし、いじめやパワハラは、その線引きの問題は別として、いじめやパワハラが明らかに認められる場合では、間違いなく不適切な行為だ。何故不適切な行為を受けた側が環境を変えるというコストを払わなくてはならないのか。パワハラやいじめを受けた上に、更に不利益を被らなけらばならないのだろうか。どう考えても環境を変えるコストを払うべきなのは、パワハラやいじめを行った加害者側だろう。言い換えれば、学校や会社を辞めるべきなのは自殺した者や被害を訴えた側ではなく、パワハラやいじめを行った側だろう。
百歩譲って、簡単に学校や職場を変えられる環境が整っているなら「何故辞めて新しい環境を作らないの?」という話も分からなくもないが、現在の社会、少なくとも日本の社会において自己都合での転校は、特に高校生以上なら試験があったり決して気軽に出来るものではない。親に迷惑をかけたくないという意識も生まれる。また転職についても同様で、30代以上、年を取れば取るほど転職は容易でなくなる。ポジティブな理由での転職でさえかなりの労力が必要になるのに、ネガティブな理由で転職を余儀なくされた場合にかかる労力、特に精神的な労力はかなり重たい。自分はサービス残業を強制される職場が嫌で仕事を辞めたことがあるが、次に就職した職場でも同じ様にサービス残業を強いられる状況に陥り、かなり絶望的な気分になった。簡単に言えば「会社を辞めても何も解決しない」という気分に陥った。
そのような視点に立って考えれば前述のような主張は、被害者の事を思いやっている風ではあるが、実は加害者側に加担している側面があることが見えてくる。このような事を言う人本人には自覚はないのかもしれないが、被害者に寄り添った視点の主張とは到底言えず、被害者側からすればパワハラやいじめの延長にも見えてくるだろう。
お笑い芸人の松本人志さんが、アイドルグループ「愛の葉Girls」のメンバー・大本萌景さんが、所属事務所からのパワハラ行為を背景に自殺してしまったと、遺族が訴えている件(ハフポストの記事)について、テレビ番組で「死んだら負けや」と発言したそうだ(日刊スポーツの記事)。記事によれば、厳密には
自殺者が出てこういうニュースをあつかう時に、なかなか亡くなった人を責めづらい、責めれないよね。ついついかばってしまいがちなんだけど、僕はやっぱり『死んだら負けや』っていうことをもっとみんなが言わないと。死んだらみんながかばってくれるっていうこの風潮がすごく嫌なんですと述べたらしい。
SNS上ではこの発言に対して、通称・せやろがいおじさんがYoutubeに投稿したムービーが話題になっている。
このムービーでも指摘されているように、松本人志さんの「死んだら負け」にも前向きな何かが込められていると言えなくもないので、全くおかしいとは言えないが、自分には、前段で指摘した消極的ないじめやパワハラを無意識でしているようにすら見えた。要するに、本人にそのつもりがなくても話が乱暴であると感じる。
松本人志さんは芸人で、しばしば捻くれた、良く言えば独創的な視点で物事を捉え、それによって笑いを生んだり、時には何かを考えさせてくれるような側面があり、そんな一面が彼の人気の理由でもあり、彼が評価される理由の一つでもあるだろう。しかし昨今の彼を見ていると、そのような周囲の期待に過剰に忖度し、斜に構えて人とは少し違う事を言う事だけに拘り過ぎているように見えてしまう。その結果として「死んだら負けや」なんて表現が彼の口から出てきているのではないだろうか。
彼のこの発言によって、当該案件は更に注目を浴びる結果になったのも確かに事実で、ある意味では風刺的な側面もある主張と言えるかもしれない。しかし、未成年の自殺者に対して「死んだら負け」と言うのは、自殺者や遺族に対して余りにも過酷であるようにも思う。「何があっても死んではダメ」ならまだ分かるが、「負け」という必要があったのかと言われたら、自分は言葉が強すぎて適切ではないと言いたい。
芸能界屈指の大きな影響力を持つ人気芸人が、しかもそれなりに注目度の高いテレビ番組で、自殺者に追い打ちをかけているようにも見える発言をするのは如何なものだろうか。