スキップしてメイン コンテンツに移動
 

BTS・原爆シャツ問題に感じる事、批判する側の矛盾


 韓国の男性アイドルグループ・BTSのメンバーが、原爆投下時の画像がプリントされたTシャツを過去に着ていたことを批判され、テレビ朝日・ミュージックステーションへの出演をキャンセルされたという話が話題になっている(朝日新聞の記事)。
 懸案になっているTシャツのデザインは、被爆国の日本人の視点で見れば決して気分のいいものではない。自分もそのTシャツを着ている人が周りにいたら「デザインの意味わかって着てるの?」って言ってしまうだろう。そんな意味では一部の日本人が不快感を示しているのも理解出来なくもない。しかしその一方で、この件に乗じて、彼らのこれまでの他の振舞いについて、無理矢理差別・偏見と結びつけるようなブログ記事・動画等も多く見られ、適切な批判をしていない者も少なくないように見える。


 前述のように懸案のTシャツは日本人の視点で見れば好ましいものではないが、Tシャツ等に描かれているデザインの意味も分からず着ている、若しくはデザインの意味をよく考えもせずに着ている若者、若者に限らず年配者も、韓国に限らず日本にも、そして世界中にも大勢いる。例えば、漢字文化外の漢字Tシャツや漢字の刺青のデザイン等、日本人の目に滑稽に映るものは少なくない。
 逆にかつて日本では、”Bitch”(アバズレ)という単語と女性の頭に銃を突き付けるピクトグラムの入ったデザインが何故か人気になり、Tシャツなどが流行った事もあった。このBitchはスケーター系のファッションブランドなのだが、まずGirlというスケーターブランドがあり、そのブランドやスタッフに反感を持った人が「Girl(というブランド)は、少女でなくアバズレだ」という意味を込めて、Bitchという名称でGirlブランドを示すピクトグラムに銃を突き付けるデザインにしたという風刺的な背景があるようだが、背景を知らない英語圏の人がそのデザインだけを見れば、確実に女性蔑視に見えた筈だ。現に当時「日本人は意味わかって着ているの?」という人もいた。
 「他にもその手の人がいるから、BTSが配慮に欠けていても何もおかしくはない」などと言うつもりは全くない。しかし、いささか批判・否定の度合いが過ぎるとは感じる。

 日韓ワールドカップの頃から韓国の一部で旭日旗に対する嫌悪感が高まり、10/5の投稿でも触れたように、先日韓国で行われた国際観艦式で、正式な自衛艦旗である旭日旗の掲揚自粛を韓国側に求められ、自衛隊が不快感を示して参加を見合わせるという事態にもなっている。過去の歴史を軽視するわけではないが、自分も旭日旗に関する韓国側の主張はいささか行き過ぎ・過剰だと思える。
 旭日旗の件について「韓国側の旭日旗に対する過剰反応は看過できない」と積極的に訴えている人達がいる。10/5の投稿で示したように、韓国側の過剰反応に対して「日本は韓国を侵略などしていない」などという歴史を歪曲したような主張する人もいるなど、批判の度が過ぎている場合もあるが、旭日旗への韓国側の過剰反応の件については、確かにその過剰反応は概ね批判されて然るべきだとも思う。

 しかしこれらの件について自分が強い違和感を感じるのは、韓国の一部にある旭日旗への過剰反応を積極的に批判している人達と、BTSの原爆Tシャツに過剰反応を示している人達は、概ね重なっているように見える事だ。
 彼らは、自分たちが「おかしい」と声高に批判している過剰反応と、似たり寄ったりの過剰反応を示している事に気付いていないようで、非常に滑稽に見える。一部の韓国人の旭日旗への過剰反応を「馬鹿げている」と考えるなら、同じような「馬鹿げた過剰反応」を示さず大人の振舞いをするべきだ。批判対象と同じレベルに成り下がるのは考えが足りないとしか言いようがない。

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。

フランス人権宣言から230年、未だに続く搾取

 これは「 Karikatur Das Verhältnis Arbeiter Unternehmer 」、1896年ドイツの、 資本家が労働者を搾取する様子を描いた風刺画 である。労働者から搾り取った金を貯める容器には、Sammel becken des Kapitalismus / 資本主義の収集用盆 と書かれている。1700年代後半に英国で産業革命が起こり、それ以降労働者は低賃金/長時間労働を強いられることになる。1890年代は8時間労働制を求める動きが欧米で活発だった頃だ。因みに日本で初めて8時間労働制が導入されたのは1919年のことである( 八時間労働制 - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

馬鹿に鋏は持たせるな

 日本語には「馬鹿と鋏は使いよう」という慣用表現がある。 その意味は、  切れない鋏でも、使い方によっては切れるように、愚かな者でも、仕事の与え方によっては役に立つ( コトバンク/大辞林 ) で、言い換えれば、能力のある人は、一見利用価値がないと切り捨てた方が良さそうなものや人でも上手く使いこなす、のようなニュアンスだ。「馬鹿と鋏は使いよう」ほど流通している表現ではないが、似たような慣用表現に「 馬鹿に鋏は持たせるな 」がある。これは「気違いに刃物」( コトバンク/大辞林 :非常に危険なことのたとえ)と同義なのだが、昨今「気違い」は差別表現に当たると指摘されることが多く、それを避ける為に「馬鹿と鋏は使いよう」をもじって使われ始めたのではないか?、と個人的に想像している。あくまで個人的な推測であって、その発祥等の詳細は分からない。