河野外相は昨日・12/11の閣議後の記者会見の中で、北方領土・ロシアとの交渉・外交に関する記者の質問に応えずに「次の質問どうぞ」と4回ほど繰り返し、実質的に記者の質問を無視した(ハフポストの記事)。SNS上では「外交に関しては答えられない質問もある」などと彼を擁護する主張も見られるが、答えられない質問だと考えるならばその旨を説明した上で「コメントを差し控える」旨を伝えるべきで、本来出来る限りコメントを差し控えずに質問に答えなくてはならない立場なのに、そのような説明すらしないという態度は決して擁護できるようなものではない。
彼は、質問した記者に対して示した態度は、記者だけに向けて示した態度と認識しているかもしれない。しかし記者の向こう側には記者の書く記事を読む国民がいるし、会見を捉えたカメラの先のテレビ・パソコン・スマートフォンの画面の前には多くの国民がいる事を彼は知っているだろうか。つまり彼が示した態度は記者に対してだけ示した態度ではなく、その先にいる多くの国民に対して示した態度でもある。自分には「河野氏は国民から何かを聞かれても、都合が悪ければ無視するタイプの政治家」なんだろうと思えた。
更に昨日は、麻生副首相兼財務相が、12/9に北九州市で開かれた自民・大家議員の会合での挨拶の中で述べた
あれで暴力と言われたら、とてもじゃない。この種の話で、はめられたり、いろいろ作られたりする話はしょっちゅうだという発言を撤回した(毎日新聞の記事)。この発言は、大家氏が12/7の参院本会議で野党議員に暴言を吐くなどしたことが前提になっている。産経新聞の記事「麻生太郎氏「あれで暴力?」 自民党議員を擁護」でも触れられているが、自民党は大家氏の暴言を認めて立憲民主党側に謝罪し、今国会の閉会後に大家氏の議院運営委員会理事辞任という措置を行っている。麻生氏の発言はその措置の適切性に疑義を呈する側面があり、平たく言えば話を蒸し返すようなものだった。
麻生氏はこれまでにも数々の不適当・誤認・恣意的な解釈に基づく発言を繰り返している。麻生氏は発言撤回すればチャラになると思っているとしか言えない程何度も、不適発言>撤回という流れを繰り返しているが、同じ事を繰り返すということは反省していないという事だし、そもそも撤回しなければならないような発言を頻繁に繰り返す時点で、大臣はおろか政治家として能力に欠けている、という認識が彼にあるのだろうか。あったらこんなことにはならないし、首相も同様にそんな認識がないから彼を処分しないのだろう。 彼らの積極的支持者らがSNSなどで暴言を吐いているのをしばしば見かけるが、副首相の影響は決して少なくないだろうと推測する。
毎日新聞は今回の件をきっかけに、麻生氏の放言癖が一向におさまらない事を危惧する記事「麻生氏発言に寛容すぎ? 言いたい放題の「権力者」 あきらめに潜む危機」を掲載している。次の画像はその記事に掲載されたもので、これまでの彼の放言が纏められている。
麻生氏の放言に関してはこのブログでもこれまでに何度も触れてきた。これ程までに彼の放言が止まらないのは一体どういう事だろうか。端的に言って、放言を続けても咎められない環境が彼の周りにあるからに他ならない。放言が止まなくても任命した首相は彼を咎めないし、そんな首相を、彼が総裁を務める党に多数の議席を与えるという間接的なプロセスではあるが、国民が信任し続けているのだから、つまり彼の放言が止まらない遠因は日本の国民にもある。
言い換えれば、彼は決して少なくない一部の国民の胸の内を包み隠さず言い放っているようでもある。彼が副首相で居続けられるのは、決して少なくない国民が彼と似たり寄ったりの考えを持っているからなのかもしれない。厳しく言えば、日本国民の多くは彼同様に人権意識・遵法意識に欠けているということなのかもしれない。これは、12/10の投稿「入管難民法改正案を成立させたのは、安倍政権でなく日本の国民」とも似た話だ。
素朴な疑問を扱うNHKのバラエティ番組・チコちゃんに叱られるの11/3の放送では、「どうしておじさんは“おやじギャグ”を言う?」という疑問を取り上げていた。番組が調査の結果示した見解は「歳を取ると脳のブレーキがきかなくなるから」だった。
おじさん(男性)に限らず女性にも同じ傾向があるようだが、人間は歳を取ると脳のブレーキがきかなくなるから、思った事を言わずにいられなくなるという事だった。つまり年齢を重ねると、理性でなく本能的な部分が優先されがちな傾向が現れるようになるという事のようだ。例えば介護士の女性などに高齢男性がセクハラ発言・行為をしがちなのも、駅員・店員に老人が必要以上にキレているのも同じ理由なのかもしれない。
麻生氏は現在78歳だ。なぜ麻生氏は「放言」を言う?のかと言えば、
麻生太郎(78歳)は脳のブレーキがきかなくなっているからかもしれない。しかしそれでも首相は、彼が副首相兼財務相であるのは「適材適所」だと言う。首相は勿論の事、そんな首相/副首相に疑義を呈さない他の閣僚や自民党議員らも「脳のブレーキがきかなくなっていても(反省もなく放言を繰り返していても)、大臣としての資質はあるので適材適所だ」と思っているのだろうから、彼らも首相/副首相と同様に恐らく脳のブレーキが壊れているのだろう。そしてそんな自民党議員に投票する国民も、自民党議員ら同様に脳のブレーキが壊れているのだろう。
選挙の度に30代以下・若年層の投票率の低さが伝えられる。極端な言い方である事は理解しているが、皮肉を込めて敢えて書かせてもらう。
中高年の脳のブレーキが壊れていて、若年層が政治に無関心であるならば、日本の民主主義は崩壊の危機に直面している民主主義が崩壊し始めているのは、河野氏や麻生氏のような政治家が大臣という国家の要職を続けられることや、水道法・入管難民法の改正案の成立に関して、与党を中心に国会が単なる政府の追認装置に成り下がっている事からも感じられる。
個人的な感覚では多くの国民はまだ危機感をあまり感じていないように思えるが、自分は、このままでは5年後・10年後の日本も、中国共産党による一党独裁体制のような状況になってしまうのではないか、と強く危惧している。