12/8の早朝、参院本会議で入管難民法改正案が自民・公明・日本維新の会等の賛成多数で可決され成立した(朝日新聞の記事)。このブログでは
- 政府の入管難民法改正案に関する複数の矛盾
- 随所に滲み出る政府の「改ざん癖」2
- 自公維の議員たちは、特殊詐欺に騙されるタイプ
- 案の定出てきた外国人技能実習制度に関する法務省・政府にとって不都合な事実
- 炸裂!安倍氏の十八番・美辞麗句&羊頭狗肉
- 人権意識に欠ける首相・短絡的に野党の所為にするコメンテーター
国会審議が形骸化し行政機関の追認装置に成り下がるということは、民主主義を適切に機能させるための仕組みの1つ・三権分立を有名無実化させるということでもある。例えば、北朝鮮は「民主主義人民共和国」という看板を掲げつつ、実際には民主主義とは間違っても言えない状態だが、 そのような状態への第1歩が日本でも始まっているかもしれない。
政府・与党の強引な手法での法案成立・雑な国会運営は、特定秘密保護法、安保法制、共謀罪、労働法制、水道民営化、そして入管難民法改正案と、日増しにその程度は酷くなっている。特定秘密保護法、安保法制の頃から、説明が強引で合理性に欠けることはしばしばあったが、「充分な審議を尽くした」という体裁を保つために審議の時間だけはある程度確保していた。しかし今年の通常国会以降は丁寧な説明・答弁だけでなく、時間をかける事さえも怠るようになった。審議入りから数日で丁寧な説明もせず、立案の前提となった統計に不備があったこと等は認めるのに、それを勘案した修正の検討は殆どせず即採決という、あまりにも強引な国会運営が目立つようになった。これまでで最も顕著にその傾向が出たのが今臨時国会で成立してしまった入管難民法改正案だ。
このような政府や与党の姿勢・行為に対して多くのメディアが危惧を示し、決して少なくない人達が懸念を示している。しかし、自民党は選挙によって過半数の議席を獲得して与党となっている。自民党を与党にするということは安倍首相・現政権を間接的に信任するという事でもある。つまり、現在の状況に陥っている責任は安倍首相や自民党にあるのではなく、そんな強権的な政治体制・更に言えば独裁に向かって歩を進めている政党や首相を、選挙の度に信任してきた大多数の国民にあるとも言える。メディアや、政府・与党の考えに異議を唱える政治勢力は、国民の支持をある程度得なくてはならないので「今の状況の責任はお前ら国民にある」と声高には言えないだろうし、特に野党政治家らがそんな事を言えば支持が更に離れる懸念もある。自分は誰かから多数の支持を得る必要もないのでハッキリと言っておきたい。現在日本で民主主義が危機的な状態に陥っているのは安倍政権や自公ら与党の所為でなく、彼らをこれまで信任してきた国民の責任だ。12/4の投稿「民主主義も立憲主義・法治主義も完全な存在ではない」でも書いたように、民主主義は完全無欠の仕組みではなく、常に市民一人ひとりがそれを維持するように努めなければならないが、現在の日本人にはそれが足りないと言わざるを得ない。
入管難民法の改正案は、本来は労働力の確保の為に設計された仕組みではない外国人技能実習制度・各種留学が、これまで外国人労働者の導入の為に利用されていた状況を正常化する為の法案だ。正常化と言えば聞こえはいいが、実体に合わせて法制度を改めるということであって、必ずしも正常な状態をもたらすとは言えない。場合によっては状況を悪化させる恐れもある。
何故状況を悪化させかねない懸念があるのかと言えば、労働力確保の為に用いられてきた外国人技能実習制度に対して、これまで数々の欠陥が指摘されてきたからだ。国外からは深刻な人権侵害の懸念とすら指摘されていた制度なので、この制度の欠陥を改善せずに焼き直すだけで、言い換えれば同じような制度によって外国人労働者の受け入れを更に拡大させれば、現在既にある問題を解決するどころか更に深刻化させる恐れもある。
あるテレビ番組のコメンテーターが「制度が成立してしまったのは仕方がないので、今後問題が顕在化するようならば即刻制度を廃止するべき」などと発言していたが、一度受け入れ始めた外国人たちに対して「こっちの都合でも申し訳ないけど、問題が発生したから君たち今すぐ帰ってね」なんて通用するはずがない。人を受け入れるというのはそういう事だ。だから制度を成立させて運用し始める前に、出来る限り懸念されるトラブル・問題点に関する手当をしなければならないのに、与党側が「この問題は議論したらきりがないんです。いくらでも問題点が出てくるんです」と言いつつ、法案を成立させたのは大きな間違いであるとハッキリ言いたい。また法案を立案し国会に提出した政府・法務省が、外国人技能実習制度に関する問題を軽んじた統計をまとめた・データを恣意的に解釈し捏造した、と言えそうなくらい複数の点で実態を隠そうとしていたことを踏まえれば、現政権・与党は人権意識が欠如していると言っても過言ではない。
しかしここでも言っておきたい。その人権意識に欠ける安倍政権・自公ら与党をこれまで信任してきたのは紛れもなく自分を含む日本の国民だ。つまり人権意識に欠けているのは政権や与党だけではない。この状況は日本人の大多数が人権意識に欠けている事の証拠でもある。こう指摘すれば「そんなことはない」と憤る人もいるだろうが、ブラック労働環境がここまで蔓延し、以前に比べたら多少マシになってはいるものの、不平等な労働環境・搾取としか言えない様な労働環境を強いられている人がまだまだいて、環境が改善したとは到底言い難いことなどの要因がどこにあるのかという事を考えれば、それは使用者側だけでなく異論を呈さず甘んじてそのような状況を受け入れる労働者側も含め、日本人の大半に人権意識が欠けているからではないだろうか。異論を唱えた労働者に対して「我慢できない、努力が足りない」などの言葉が浴びせられがちなのも、日本人の人権意識の低さの表れだろう。
自分は入管難民法改正案の成立から、このような日本全体に蔓延る2つの感覚に強い疑問・懸念を感じる。ナチス政権が民主的なプロセスで成立したこと、障害者やユダヤ人の排除に対して当時のドイツ国民の多くが疑義を呈さなかったということ、つまり当時のドイツ国民に人権意識が欠けていた事を考えると、流石に今日明日にも政府・与党が当時のナチス政権のようになるとは思わないが、それに準ずるような状況に陥る条件は揃っているようにも思える。好ましくない状況はある日突然始まるのではなく、じわじわと気付かれない様に忍び寄ってくるものだ。これが単なる危惧で済めばよいが、万が一そのような状況に陥ってしまったら、大っぴらな迫害・虐殺が始まった時のドイツ市民、戦後それが白日の下にさらされた時のドイツ市民のように「どうしてこうなった?」と、そんな状況に陥ってから気付いても遅い。全ての日本人一人ひとりに現状がどのような状況なのかを今一度考えてみて欲しいと強く感じる。
改めて言う、民主主義は完全無欠の仕組みではなく、常に市民一人ひとりがそれを維持するように努めなければならない。現在の日本人の大多数にはそれが足りていないと言わざるを得ない。