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テロとは一体なんなのか


 新年早々、深夜の原宿・竹下通りで男性8人が車にはねられ重軽症を負うという事件が起きた。確保された容疑者の男は取り調べに対して、
  • 大阪からレンタカーに乗ってきた
  • 31日に東京に着いた。明治神宮に入ろうとしたが規制で入れず、近くで止まっていた
  • テロを起こした
  • 死刑制度に対する報復でやった
などと話しているらしい(朝日新聞の記事)。車内からはポリタンクに入った灯油と高圧洗浄機もあったそうで、事件直後の容疑者からは灯油の臭いがしていたそうだし、「事件を起こした後、灯油で車ごと燃やそうと思った」などとも話しているそうだ(テレビ朝日の記事)。


 今回の事件で死者が出なかったことは不幸中の幸いと言えるかもしれない。だが規模が小さかっただけで、事件の規模や細かい部分では相違もあるかもしれないが、10年前・2008年に秋葉原で起きた、元自動車工場派遣社員の男がまずトラックで5人をはね、その後12人をナイフで刺した事件・所謂「秋葉原無差別殺傷事件」(Wikipedia)との共通性が感じられる。
  警察当局がテロ事案として発表していない影響なのだろうが、容疑者は「テロを越こした」と言っているそうだが今のところ、この件を「テロ事件」と報じているメディアは一切ない


 近年「テロ」と報じられた事件で最も典型的なのは、2015年にフランスで発生した「パリ同時多発テロ事件」(Wikipedia)だろう。ISの戦闘員らが3グループに分かれてパリ各所で銃撃・爆発を実行し、死者130人・負傷者300人以上の被害者を出した事件だ。この事件から約半年後の2016年7月に同じくフランスのニースで、花火の見物をしていた人々の列にチュニジア出身でイスラム教徒の男性がトラックでつっこみ、少なくとも84人が死亡・負傷者202人が出る事件があったが、このニーストラックテロ事件Wikipedia)も「テロ」と報じられていた。
 多数の死者を出した無差別殺人事件と言えば、2017年に発生した「ラスベガス銃乱射事件」(Wikipedia)もまだまだ記憶に新しい。32階のホテルの部屋からカントリーミュージックフェスティバルの会場に向け、アメリカ人の白人男性がライフルで数千発を発砲し58人が死亡、546人が負傷した事件だが、この事件は「テロ」とは報じられなかった。ただ、歌手のレディ ガガさんは

「これは単純明快に言ってテロリズムだ、恐怖(テロ)は人種、性別、宗教とは関係ない。 民主党と共和党は今団結して」

とツイートしている。

 テロとは一体何なのか。Wikipediaのテロリズムのページによると、
 テロリズムとは何らかの政治的な目的を達成するために暴力や脅迫を用いることを言う
とある。しかし同じくWikipediaのテロリズムの定義のページでは、
 テロリズムの定義に関する普遍的な合意はない。様々な法制度と諸官庁が異なった定義を用いている。その上、諸政府は意見を一致させた法的拘束力のある明確な定義を下そうとはしてこなかった。これらの困難な状況は、その用語が政治的に、そして感情的に変化するという事実から生じる
としている。つまり、テロ・テロリズムとは明確な実態のない何かで、時と場合、若しくは認定する者の都合によって「何であるか」、つまり定義が変わる便利なものとも言えそうだ。

 自分には、移民や難民、またはISの脅威の影響なのかイスラム教徒らが無差別暴力・殺傷事件を起こせば「テロ」と呼び、それ以外の者が起こす事件は「テロ」とは呼ばない傾向が明確に感じられる。ラスベガスの事件は確かに政治的な主張や認識が背景にあった形跡は薄く、「テロ」とは言えないかもしれないが、2018年2/4の投稿でも書いたように、イタリアのマチェラータという町で、反移民を掲げる野党・北部同盟から地方選に立候補した経歴のある28歳の白人男性がアフリカ系の住民や与党・民主党の事務所を銃撃した事件は、報道で「テロ」の可能性について言及されることはなかったし、この年明け・2019年1/2にドイツで発生した、男がクルマで新年を祝う人々に突っ込み、4人が負傷した事件(AFPの記事)に関しても、警察が事件について「運転手の外国人に対する敵意を動機とした標的型の襲撃」という見解を示し、そして負傷者全員がアフガニスタンかシリアの出身だったにも関わらず、「テロ」という言葉を用いて報じている報道機関は自分の調べた限りでは見当たらない。
 冒頭で触れた原宿の事件に関しては「殺そうと思い、通行人をはねた。オウムの死刑に対する報復でやった」(テレビ朝日の記事)と容疑者が話しているそうで、死刑に対する反対・報復行為なら「政治的な目的を達成する為に用いられた暴力」だろうし、前段のイタリアやドイツの事案のように、移民や難民の受け入れに反対する為に起こされた事件ならば、それも同様に「政治的な目的を達成する為に用いられた暴力・脅迫」に当たるだろう。このようなことを勘案すれば、警察や行政は、そしてマスメディアも、「テロ」という表現を便利に使い過ぎている、厳しく言えば自分たちにとって都合がよければ「テロ」認定し、都合が悪い場合は「テロ」かどうかについて言及しないと思えてならない。
 東日本大震災の影響で福島原発事故が起こった際の政府や東電の発表・NHKの報道で、実際にはメルトダウンが発生し、それを把握していたにも関わらず、「メルトダウン」という表現を一切使っていなかったのが思い出される。NHKは「炉心溶融」とは報じており、実質的には「メルトダウン」と同義だが、当時は決して一般的な表現でなかった。「メルトダウン」の方が確実に実状を広く伝えることが出来たはずだ。


 また「テロ」で思い出されるのは、2017年に内閣が国会に提出して審議が行われ、野党らが強い懸念を示し、世論調査でも決して国民の支持が得られたとは言い難い結果が複数示されていたにも関わらず、与党らの賛成多数によって可決・成立した「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律等の一部を改正する法律案」、所謂「共謀罪法案」だ。政府や与党はこの法案の成立が必要な理由を「テロ対策」と説明し、一般的に共謀罪と呼ばれていた(というか今でも多くの人がそう呼んでいる)「テロ等準備罪」をこの法案で新設した。この法案は本当にテロ対策として有効なのだろうか。
 原宿の事件では容疑者が「テロを起こした」と言っているし、前述のように政治的な目的を示唆しており、その為に行われた暴力事件だし、フランス警察当局によってテロ事件と認定されたニースの事件の手法とも共通性がある。個人的にはニースの事件がテロであるなら、原宿の事件も小規模ながらテロ事案であると言えると考える。勿論日本の警察とフランス警察の認定基準が同じとは限らず、もしかしたら今後日本で北アフリカ出身者がトラックで何十人もひき殺すような事件が発生しても、日本の警察や政府は「テロ」と認定しない可能性もある。また、所謂「共謀罪法案」が想定していた「テロ」とは従来型の組織的なテロリズムであって、原宿の事件のような所謂一匹狼型の事件は想定していなかったのだろうが、それでも組織的なテロへの対策が一切必要ないという事にはならず、所謂「共謀罪法案」が必要なかったことが証明されたことにもならない。
 しかし、当時政府や与党は法案の「テロ対策」としての有効性を声高に叫んでいたのに、世界的に見てもテロ事案は既に計画的に行われるものでない傾向にあり、ということは所謂「共謀罪法案」はテロ対策として有効性が高いとは言えない、と言えるかもしれない。言い換えれば、弊害の懸念される有効性の低いテロ対策法案を政府や与党が可決・成立させたとも言えるのではないだろうか。

 更に言えば、前述のように都合の良し悪しで自在に認定したりしなかったり出来る「テロ」という便利な表現が、政府や国家権力にとって都合のよい法案を成立させる為に恣意的に用いられたという側面もあるかもしれない。原宿の事件を警察当局が「テロ事件」と言わないのも、それを受けてマスメディアが軒並み「テロ」と報じないどころか、その恐れについて殆ど言及しないのも、テロ対策と説明した法案を半ば強引に成立させたのに、「テロ」が起きた責任をどう考えるのか、という指摘をされたくない政府の思惑、それを忖度した報道機関の選択なのではないか?と思えてならない。


 トップ画像は、 kalhhによるPixabayからの画像 を加工して使用した。

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