というツイートが話題になっている。ツイートが削除された場合に備えて添付されている画像の説明しておくと、真空パックされた丸焼き用の子豚がスーパーマーケットの肉売り場に並べられている画像が添付されている。確かに日本本土の、日本人を主な商売相手にするスーパーマーケットや肉屋で、丸焼き用の豚が商品として並べられているのを目にすることは滅多にない。しかし、豚の丸焼きやお頭焼きがお祝い料理として欠かせない地域出身の外国人向けの店ではこの限りでなく、外国人労働者が多い地域の店等では丸焼き用の子豚や豚のお頭を売っているのを見かける。また沖縄にもそのような風習があり、外国人向けでなく沖縄の人、つまり日本人向けにその手の食材を売っているのをしばしば見かける。うわっ、何怖い— ハシスタント (@hassystants) 2019年1月7日
こんな売り方してるスーパー初めて見た pic.twitter.com/KioHaS1G78
恐らくこのツイートをした人は、単に物珍しさからこのツイートをしたのだろう。そして見慣れないから「怖い」と直感したのだろう。悪気は一切ないのだろう。しかし「うわっ、怖い」「こんな売り方」という表現から、他の文化への寛容性のなさ、無頓着さを感じてしまう。「言葉尻を捉えるな」という人もいるのだろうが、このたった20数文字あまりのツイートに関しては言葉尻もヘチマもない。この短さではツイート自体が言葉尻のようなもので、これについて「言葉尻を捉えるな」と言うようであれば、それはリプライするなと言っているにも等しいのではないか。リプライされたくないようであればアカウントを非公開にすればいいのではないか。
例えば「うわ、怖い」がなくて「こんな売り方」という表現だけだったのであれば、こんな売り方の「こんな」にはネガティブなイメージが少なからずあるが、ニュートラルに用いられることもある表現なので、「言葉尻を捉えるな」という指摘にもある程度合理性を感じられるが、直前に「うわっ、怖い」というネガティブな表現があるのだから、「こんな(怖い・生々しい・残酷な)売り方」というように感じられるというのを「言葉尻を捉えただけ」とされるのは心外だ。
なぜ他の文化のへ寛容さが欠けているように思えるのか、と言えば、魚売り場では似たようなサイズの魚も丸焼き用に売っているし、捌かれて売っている牛肉や豚肉だって元は牛や豚の姿だったし、鶏に関しては日本でも首やつま先などを落としただけの丸焼き用の食材が売っているからだ。魚や鶏が丸焼き用に売っていても怖くない、元は動物の姿だったのに捌かれた状態だと怖くないのに、なぜ丸焼き用の豚は怖いのか。見慣れないという要素があることは理解するが、逆に言えば、いつも食べているものが元は動物の姿だった事、それを捌いて食肉商品化している人達の存在などから目を背けている事の方がむしろ恐ろしい。このツイートをした人が牛や豚を日常的に食べているのに、屠殺を嫌悪したり差別したり偏見の目を向けているとまでは言えないが、そのような人と似た感覚を持っている恐れがあるとは言えそうだ。
2017年11/12の投稿でも書いたが、日本ではマグロの解体ショー等がある種のエンターテインメントとして、市場やすし屋などでしばしば行われる。これを見た他の文化圏に属する者から「うわっ、怖い」「こんな事するなんて」という風に言われたら、日本人の多くはどんな風に感じるだろうか。何とも思わないという人もいるだろうが、少なくともいい気はしないだろう。なぜいい気がしないのかと言えば、そのセリフに自分達の文化への蔑視を感じるからに他ならない。日本や、他の民主的な国では「表現の自由」「思想信条の自由」「信教の自由」などが定められており、「うわっ、怖い」「こんな…」という表現を絶対にしてはいけない、することは絶対な間違いだとまで言うつもりはないが、逆に言えば、そのような表現に対して異を唱えるのもまた「自由」の範疇だろう。なにより思いやりに欠けていると言わざるを得ず、肯定的に捉える気には到底なれない。
これまで日本は長い間、あまり外国人や外国文化を受け入れてこなかったが、この30数年あまりで状況は変わりつつあるし、この10年で外国人観光客は急激に増加し、そして内容に多くの問題を孕んではいるものの、2019年4月からは新たな外国人労働者の受け入れが始まる。にもかかわらず、冒頭で紹介したような、他の文化に寛容とは言えない、無頓着さが目立つツイートが1万5000件以上リツイートされ、4万7000件もの”いいね”が付いている(2019.1.9時点)。リプライを見ると、自分と同じような印象を抱く人も決して少なくはないようなのがせめてもの救いだが、この数字は、全部が全部とまでは言えないが、日本に少なくともこの程度、他の文化に不寛容な人、無頓着な人が存在していることの証左と言えるのではないだろうか。
確かに今後外国人の受け入れが増え、外国人が物珍しい存在でなくなれば、こんな状況は自ずと改善されるのかもしれない。しかし、戦前から続く在日朝鮮人・中国人への差別が、戦後70年以上たっても尚根強く残っていることなどを勘案すれば、放っておいても構わない状況だとは思えない。