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TPP発効に感じる、それぞれの思惑


 TPP:Trans-Pacific Partnership Agreement/ 環太平洋パートナーシップ協定が2018年12/30に発効した。これをロイターは「TPP、日本含む6カ国で発効 アジア太平洋地域に巨大自由貿易圏」という見出し、朝日新聞は「TPP11発効、適用まず6カ国 果物・野菜の関税撤廃」という見出しで伝えた。
 まず、これまであんなに紆余曲折あったTPPなのに、TPP発効についてのメディアの扱いが小さい事、その影響かどうかは定かでないが、日本国民の注目がそれほど高くない事がとても不思議だ。これまで選挙の度に、有権者が投票先を選ぶ基準の第1位として経済が挙下られてきたのに、確実に今後の日本経済に大きく影響するTPP発効に対してメディアも国民も注目度が低い事や、経済政策を大きな売りの一つにしている筈の政府がこれについて大々的な発表をする姿勢、関係者がいつものように誇らしげに主張する姿が見えないのはとても興味深い。


 TPPの始まりは、シンガポール・チリ・ニュージーランド・ブルネイの4か国が2006年に締約した貿易協定・TPSEP:Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreementだが、日本で取り沙汰され始めたのは2010年のことで、当時の民主党・菅政権がTPPへの参加検討を表明したことがその発端だ。当時話題だったのは「TPP交渉に参加するか否か」で、民主党の中にも反対論があったし、当時野党だった自民党も反対の姿勢を示していた。その後の政権交代の契機となった2012年の衆院選でも、自民党は「『聖域なき関税撤廃』を前提にする限り、TPP交渉参加に反対します」という公約を掲げていた
 しかし自民党が政権の座に返り咲くと、安倍首相は「関税撤廃を前提としていないTPP交渉には参加する」と言い始め、2013年に交渉参加を決定した。確かに今回発効したTPPでは、全ての関税が即時撤廃されるわけではない。しかし日本に輸入されるキウイやブドウ・メロン、アスパラガスなどの関税は即時撤廃されるし、米・小麦には無関税枠が設けられ、牛肉の関税は現在の38.5%から段階的に下げられ、16年後には9%になる予定だ。高価格帯の豚肉の関税も10年後には撤廃される予定だし、どう考えても参加国間の関税は今後原則的に全て撤廃の方向で話が進むとしか思えない。
 関税を撤廃すれば安価な輸入品によって国内の生産者等が苦しい状況に晒される懸念がある一方で、輸出に関しては好ましい状況でもあり、人口減少傾向=市場規模の拡大が望めない日本の各種産業が国外に目を向けるチャンスにもなる。そんなことを勘案すれば、2017年に、交渉参加国最大の経済規模だったアメリカが離脱した後も、ニュージーランドやオーストラリアと共に枠組みの維持に努めた事、一気に関税を撤廃するというハードランディングでなく、徐々に・段階的に関税を引き下げていくソフトランディングの方針でTPP交渉に安倍政権が臨み、それをある程度実現したという点を評価は出来る。しかし、それでも、2012年衆院選で掲げた公約は「TPP反対」を前面に押し出していた為、「TPPを政争の具にした内容だった」と思えてならない。そんな側面があることや、農業関係者らを中心に自民支持層にも未だにTPPを良く思わない者がいる事なども、政府関係者が今回の発効を大きくアピールしようとしない理由の一つかもしれない。


 前述のロイターの記事にしろ朝日新聞の記事にしろ、全面的に肯定しているとは思わないが、「世界の国内総生産(GDP)の13%超を占める地域・巨大自由貿易圏」(ロイター)、「域内人口約5億人、国内総生産(GDP)約10兆ドルの巨大経済圏が誕生」(朝日新聞)という点を強調したり、関税が下がる事で主に食料品の価格が下がる見通しであることを示唆したり、TPPのポジティブな側面を強調しているように見える。この傾向はロイター・朝日に限らず、新聞・通信社など大手メディアは軒並み同じような傾向だ。
 しかし、TPPには手放しで喜べないネガティブな側面もある。例えばこれまで日本では、著作者の死後50年だった著作権保護期間が、TPP発効によって70年へ延長された事などがそれに当たるのではないだろうか。勿論、関税の撤廃・引き下げ同様に著作権保護期間の延長に関しても恩恵を受ける者もいれば、不利益を被る者もいるだろうが、自分には不利益を被る者の方が多いように思えてならない。
 BuzzFeed Japanは、この事について「TPP発効で再利用が難しくなる作品が大量に発生する 著作権対応めぐり署名活動が始まった」という記事を掲載した。かなり掻い摘んで要約すると、
 著作物から著作者が適正に対価を得る仕組みを整える事は、著作者のモチベーション向上に繋がるだろうし、文化の維持・発展には欠かせないだろう。しかし、長すぎる保護期間、厳しすぎる著作権保護は、多くの著作物を埋もれさせる懸念が生じる為、逆に文化を停滞・衰退させかねない側面もある。
という話だ。著作物の全てが大きく注目されるわけではなく、大きく注目を浴びるのは全ての著作物のほんの一握りである。著作物は他の人に見て貰って、親しまれて初めて文化の一翼を担う事が出来るが、厳しい著作権保護、長すぎる保護期間や非親告罪化によって利用者が過度に慎重にならざるを得ない状況になり、著作物の共有に消極的になれば、発掘されずに埋もれる著作物が増えかねない。これは注目が集まらず商売になり難い多くの著作物にとっては悪影響でしかない。つまり多数の著作物が人の目に留まる機会を奪われかねず、文化の発展に悪影響を及ぼす恐れがある。
 また2018年2/23の投稿「著作者と文化全体の利益のバランス」でも書いたが、好きなキャラクターをリデザインしてクルマをデコレートする痛車や、好きなアーティストの曲を歌ったり演奏したりする著作物の2次利用、好きなキャラクターや作品設定を用いて描かれた同人誌、好きな楽曲を再編集してリミックスバージョンを作るなどの2次創作などの活動を委縮させる懸念もある。つまり本来、文化の維持・発展が目的のはずの著作権保護が、一部の著作権者の利益の保護・拡大に偏れば、逆に文化の停滞・衰退さえ招きかねない。
 著作権保護の厳格化と同時に、クリエイティブコモンズ等のように
著作物の適正な再利用の促進も計られれば、勿論そんな懸念への手当てもできるのかもしれないが、主にアメリカの資本主義に偏った著作権観の影響が大きい、TPP発効による著作権保護期間の延長措置に関しては、そのようなことが勘案されているようにはとても思えない。

 大手のメディアがTPP発効に際してそのようなことに触れようとしないのは、彼らも権利者側の側面が強いからかもしれないなどと邪推してしまう。大手メディアには、もっとTPP発効をしっかりと伝えて欲しいし、ポジティブな側面だけでなくネガティブな側面にも触れた記事を書いて欲しい・報道をして欲しい。
 TPPは、2010年に日本で取り沙汰され始めた直後から「様々な人の思惑が垣間見える事案」だと感じていたが、今回の発効に際しても政府やメディア等それぞれの思惑が見え隠れしているように感じる。

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