毎月勤労統計の不正に端を発し、その他の統計調査でも不備・不正が複数見つかった事に関する問題が、国会で毎日のように取り沙汰されている。事の発端になった毎月勤労統計の不正の余波で、雇用保険や労災保険の給付額、育児休業給付の額が低く算出されていたということは既に報じられているが、朝日新聞は2/16に「育児休業給付の不足額、平均3100円 統計不正」という記事を掲載し、
雇用保険に含まれる育児休業給付の対象者はのべ約14万人で、1度の受給期間あたりの不足額は平均約3100円とした。同じく雇用保険で、対象者がのべ約1567万人と最も多い失業手当は平均約1350円とした。65歳以上が対象の高年齢求職者給付金は、のべ約183万人で平均約410円とする。と厚労省が発表した、と伝えた。金額等の数字は事前に報道機関等が試算と大きな差がある訳ではなく、その点では驚きはあまりないが、1000万人以上に影響があると改めて目の当たりにすると、事態の深刻さを再確認させられる。
同記事はこうも伝えている。
過去の受給者への追加支給の開始は雇用保険が11月、船員保険は6月になると見込む。現在受給している人への過去の不足分は、雇用保険と船員保険で4月に支給を始める見通し本来貰える筈だった支給額の不足分を正常化するというのは当然の事だろうし、直近に各種保険・給付のお世話になっていた人、現在進行形でお世話になっている人にとってはとても有難い? 当たり前の額が当たり前に支給されるだけなので、有難がるのもおかしいが、それでも生活にプラスに働く側面が強いのには違いない。
しかし、既に育児休業を終えた者や、雇用保険が必要な失業期間を終えて再就職を果たしている者にとっては、当時の不足分を今になって追加で支給されても糞の役にも立たない。全く無意味とは言わないが、収入的に苦しいからそれらの社会保障が必要だったわけで、それを今さら戻されてもそれには殆ど意味がない。「月数千円程度の支給額で生活の内容が変わるとは思えない」などと、このような見解に否定的な意見を示す人もいるだろうが、安定的な収入がない時期の月数千円と、定期的な収入がある前提での月数千円では受け止め方は確実に異なるし、そもそもその数千円程度が、生活の内容に影響しないとるに足らない額ならば、支給する必要が根本的にない金額ということにもなり得る。それでは制度の合理性自体が揺らぐことになる。
また、不足分を追加で支給すればそれでOKのような認識が政府や厚労省にあるように思えて仕方がない。厚労省は一応、1/22に関係職員の処分を発表してはいるものの、恒常的な不正が確実に存在していたにも関わらず、「組織的隠蔽とは認定できない」などとし、給与の自主返納程度の限りなく軽微な処分しか行っていない(1/27の投稿)。しかもその処分の根拠となった特別監察にも不備が指摘され再調査を余儀なくされている。
失業保険の給付や生活保護の給付を受ける際には、かなり厳しく給付を受ける為の基準の厳守を受給者は求められる。自分は数年前に失業保険の給付を受けたことがある。失業保険の給付を受ける為には、月に一回求職活動の報告を行って認定を受けなければならないが、たまたま指定された認定日(職業安定所に行って報告を行う日)と面接が重なってしまった為に、翌日職業安定所でその旨を報告したところ、
事前に連絡をして貰わないと失業保険は支払えなくなります。今回は特例として認めますがこちらのルールを守ってもらわないと支払えません。とかなり厳しい口調で言われた事を覚えている。勿論、不正に失業保険を受給しようと画策する者がいるのだろうから、性善性だけを重視した対応をするわけにはいかないのはよく分かるが、「たとえ就職活動が理由でも厳格にルールを守らないなら失業保険が貰えなくなる」と言われたように感じられた為、とても理不尽に感じられた。生活保護などに関してはもっと理不尽な対応がしばしば報じられるし、規定に沿わないと厳格な対処、つまり支給が打ち切られるなんて場合もよくあるようだ。しかも杓子定規な対応の所為で元受給者が自殺に追い込まれるなんて事も報じられている。
そんな状況が確実にあるにも関わらず、国が支給額をちょろまかした場合は「はいはい、足りなかった分を払えばいいんでしょ?」で済まされようとしているように思え、強く矛盾を感じる。関係職員に給与の返納という処分が課されたのは間違いないが、それで彼らの生活がカツカツに困窮するとは思えない。しかし失業保険や生活保護の受給者が、杓子定規な対応によって支給額を減額されたり、支給を打ち切られたりすれば生活が立ち行かなくなり、それこそ再就職すらままならない状況にもなりかねない。
結局行政や、一部の裕福な人達には「弱者に社会保障を受けさせてやっている」かのような認識があるのではないだろうか。勿論資本主義経済の社会では少なからず貧富の差が生まれ、それが直ちに不公平とは言えないのも確かだが、人生というのは確実に運の要素にも左右される。日本の義務教育で習うであろう平家物語の冒頭には、
祗園精舎の鐘の声、とある。どんなに勢いがある者もいつかは必ず衰える、と言っている。
諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。