2019年2/26午後の菅官房長官の記者会見の全体の映像だ。勿論最初から見てもいいだろうが、この会見で最後に質問した東京新聞・望月記者の部分から再生されるように設定してある。菅氏が最後に捨て台詞のように言い放った最後の一言には耳を疑った。
あなたに答える必要はありません動画を見るよりもテキストの方がいい、という人の為に時事通信の関連記事「菅官房長官「あなたに答える必要ない」=東京新聞記者の質問に」のリンクも付けておく。
望月記者が以前に行った米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設工事に関する質問を事実誤認であるとして、官邸は2018年12/28に記者クラブに対し、「当該記者による問題行為については深刻なものと捉えており、貴記者会に対して、このような問題意識の共有をお願い申し上げる」と文書で申し入れを行っていたことが今月初めに報道された。ハフポストの記事にもあるように、これに対して新聞労連が抗議し、また望月記者が所属する東京新聞も「【検証と見解/官邸側の本紙記者質問制限と申し入れ】」と題したシリーズ、
など異論を呈する記事を掲載している。
しかし残念なのは、記者クラブ全体としての抗議や反発が見られないことだ。アメリカでも、CNNの記者に対してトランプ大統領が似たような取材拒否・報道の自由を制限する恐れのある行為を示す、という事態がしばしば起きている。アメリカにはそもそも記者クラブという制度自体が存在しないが、そのようなことが起きると、FOXニュースなどトランプ氏に比較的近い論調が目立つメディアからも苦言が呈される。日本では読売や産経が政権寄りの論調、東京・朝日は政権に批判的な論調と言われる事が多い。また最近はNHKも政権寄りと言われることが増えた。朝日や、どちらかと言えば政権に批判的な傾向の毎日などではこの件に対する疑問を感じさせる報道をするが、政権寄りとされるメディアは、取り上げていたとしても、官邸の姿勢に疑問を呈するような論調ではない記事が殆どだ。
NHKはこの件を取り上げることすらしていない。国民から強制的に視聴料を集めるメディアがこのような対応なのは非常に残念だ。報道機関の独立性という観点から、NHKの視聴料は税金ではなく、あくまで受信機を所有する者から徴収する視聴料という体裁なのだろうが、これでは政府広報機関に税金を支払っているにも等しく、羊頭狗肉感がとても強い。2014年に当時のNHK会長・籾井氏が「政府が右と言っているのに我々が左と言うわけにはいかない」と発言し大きな波紋を呼んだ。それからNHKは一時期そのイメージの払拭に努めていたようにも見えたが、昨年来このブログでも再三指摘しているように、結局その姿勢は変わっていない、変わっていないどころか寧ろ強まっているようしか感じられない。
2/13の投稿「恣意的な「言論の自由」「事実誤認」の解釈をする政権首脳」でも書いたが、安倍首相は、官邸が記者クラブに対して質問制限を忖度させようとしているかのような申し入れをしていたことに関して、国会で発言を求められ、
知る権利は大切なもので尊重しなければならない。内閣の要の人物が一日二回(記者会見を)やっているのは他の国に例がないだろう。こちらも最大限の努力をしていると理解してほしいと述べた。改めて指摘する。会見をいくら頻繁に行おうが、都合の悪い質問に応えないどころか、質問をさせないように画策するようでは何の意味もない。昨日の会見では、菅氏は「あなたに答える必要はない」とハッキリと言っている。望月記者に共感出来ない人にとっては、望月記者個人が否定されただけということなのだろうが(勿論個人的な否定だったとしても許されるべきことではないが)、望月記者と同様の疑問を感じている市民・国民は少なからずいる筈だ。菅氏はそんな市民や国民、つまり「あなた(や、同様の疑問を持つ市民・国民)に答える必要はない」と言い放ったも同然だ。この状況を危惧しない報道機関、危惧しないどころか取り上げすらしない報道機関は、報道機関ではなく単なる政府広報機関でしかない。中国の国営通信社や、北朝鮮の国営放送や機関紙と大差ない。
これも2/13の投稿で指摘したことだが、菅氏や官邸は記者の質問については「事実誤認」だとして質問制限までしようとするのに、これまで何度も事実誤認に基づく発言を繰り返している麻生財務大臣兼副総経理大臣、「福島原発はアンダーコントロール」と言ったり「土砂投入に当たって、あそこのサンゴは移植している」と述べたりする安倍首相の事実誤認については一切指摘しない。更に、記者会件の進行役を務める上村 秀紀官邸報道室長は、他の記者と同じくらいの尺の質問でしかないのに、望月記者に対してのみ「質問は簡潔にお願いします」と繰り返す。また、河野外務大臣も「次の質問どうぞ」と何度も繰り返し、質問をあからさまに無視する姿勢を示している。
このような都合の悪い報道に対して抑圧的な現政権のこの姿勢は、中国など独裁的な政府のそれと大きく違わない。しかも現政権のその傾向は日に日に悪化しているように思う。統計不正問題等を受けても内閣支持率は低下していないという世論調査結果が多いが、今の時点で政府のこのような姿勢を危惧しなければ、最悪戦前に逆戻りすることもあり得る。最悪の状況とはある日突然始まるわけではなく、外堀を埋めるように市民・国民を状況に慣れさせながら、気付かれないように徐々に忍び寄ってくる。治安維持法が成立した際の日本国民や、ナチスが第1党になった時の、全権委任法が成立した時のドイツ国民も、「やましい事をしている者が追い詰められるだけで我々に害はない」と思っていただろう。しかしその後の歴史を見れば、そうではなかったことは明らかだ。
ジャーナリストの江川 紹子さんがこの件について「【官邸vs東京新聞・望月記者】不毛なバトルの陰で危惧される「報道の自由」の後退」という記事を書いている。彼女は、
本件では双方が悪手を繰り出し、事態がこじれきっている。どちらにも共感できない人たちがうんざりしている間に、報道の自由にかかわる悪しき慣習ができつつあるのも気がかりだと記事の冒頭で書いている。これは記事の論調を端的に表したものであり、彼女の見解は「官邸の対応もおかしいが、東京新聞や望月記者の主張もおかしい」のようだ。
彼女の見解が大きく検討違いなのは、彼女や、彼女と同じように東京新聞や望月記者の主張に共感出来ない者がいるのは確かだが、共感できない主張でも明らかな嘘、根拠のない誹謗中傷などでもない限り、主張すること、見解を示す事、記者会見で言えば質問をすることを制限することなどしてはならないのに、あたかもそれが出来る、されてもおかしくないかのような認識であることだ。東京新聞や望月記者の質問内容に事実と異なる部分があれば、官邸・官房長官はそれを会見で丁寧に正せばよいだけで、東京新聞や望月記者の主張がおかしいか否かは、官邸の対応がおかしい事とは別次元の話である。並列的な事案として考えること自体がそもそもおかしい。
このような認識は江川さんだけでなく、この件に関して官邸の姿勢に疑問を呈さない読売や産経、取り上げすらしないNHKにも共通しているのだろう。それらのメディアはもしかしたら内心「自分達は政権に親和的な姿勢だから未来永劫質問の制限など受けない」と考えているのかもしれないが、政府の強権的な姿勢を容認すれば、それらのメディアや政府よりのスタンスを示している人物でも、政府の都合によって急に足元をすくわれる事にもなりかねない。例えば、愛国心からドイツの為に第1次大戦で毒ガスを開発したフリッツ ハーバー氏が、ユダヤ人であるとしてナチスから迫害を受けたように。