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「体調が悪いなら休む」の当たり前化が必要ではないのか


 昼のニュースでは、都心でも雪が積もる、既に積もっているという気象情報が報じられている。電車や道路にはまだ影響がないようだが、空路では既に欠航が出ているそうだ。しかし自宅は東京近郊ではあるものの、降っているのは今のところ雨だしこれまでに積もった様子もない。ただそれでも気温が低いのは事実だ。天気予報によると、今のところ今日明日更に雪が降る・積もるの恐れがあるのは、茨城・千葉の太平洋側だけのようだが、月曜日辺りには再び都心でも雪の恐れがあるようで、天気予報の内容が前倒しで訪れるとか、予報が外れるなんてのもよくあることだし、油断大敵であるという事を忘れないように行動しなくてはならない。
 雪が降る・積る「恐れ」と書いたが、確かに交通事情等に焦点を合わせて考えれば、雪が降る・積ることは好ましくない事だろうから「恐れ」なのだろうが、降雨・降雪が空気の乾燥状態を少なからず緩和し、火事や風邪を抑制してくれるという点に焦点を合わせて考えれば「恐れ」ではなく、望ましい事が起きそうな時に用いる「可能性」を用いるべきなのかもしれない。

 気温の低さや乾燥状態が続いていたこともあり、巷ではインフルエンザや風邪が流行している。その影響でインフルエンザや風邪の予防に関する報道、予防接種や罹った際の適切な対処、また最新の抗インフルエンザ薬等への耐性を備えたウイルスや菌が既に確認された事に関する記事など、関連することも多く報じられている。
 それらの報道の中でまず自分が気になったのは、ハフポストの「「咳エチケット」知ってる? せき・くしゃみの時に手で押さえてはダメ。では、どうする?」という記事だ。この記事は、厚労省が啓蒙している咳エチケットに関する内容で、


として、基本的には咳が出る場合はマスクを着用し、マスクがない場合は手で
抑えるのではなく袖で口の周り全体を抑えるようにする、という事を啓蒙している。 手で口元を抑えるのが好ましくない理由は、手で口元を抑えて咳をすると、ウイルスが含まれた飛沫が手に付着し、その手でドアノブ等周囲を触るとそこへウイルスが付着する為、感染を広げる恐れがあるからだとしている。
 これはこれでとても合理性のある話で、多くの人が実践するべきことだと思う反面、それよりも何よりも「咳が出るようなら外出を控えて自宅で療養する」ことの方を啓蒙するべきではないのか?とも思う。確かに袖で口元を抑えれば、手で口元を抑えるよりは感染を広げる恐れは低下するのだろうが、結局はウイルスを袖につけた状態であちこち歩きまわり、人と接触することになるのには変わりない。つまり咳が出る状態で外出することを前提にした咳エチケットよりも、「咳が出るようなら極力外出を控える、どうしても外出をしなくてはならないのならマスクを確実に着用する」ことを啓蒙した方が良さそうだ。

 また、このマスク着用に関しても先週は一悶着あった。事の発端は朝日新聞の「あえて「マスクなし対応」好評 市役所、風邪の職員は…」という記事だ。この記事は、青森・むつ市役所では窓口で市民と応対する職員に対し、特段の事情がないかぎりマスクをつけずに接するよう求めていると報じている。職員はマスクを基本的にしないようにという方針の理由は、
  • 本人確認のために市民・利用者にマスクを外してもらうこともある。市民にマスクを外すように求めながら、こちらがマスクをして対応してよいのか
  • 表情が見えづらく不快な印象を与えかねない
  • 会話が聞き取りづらくなって説明の内容が十分に伝わらない恐れがある
などだそうだ。個人的にとても理にかなっているように思う。
 昨日の投稿でも触れた、警察が捜査協力を任意と言いつつ実質的に強制してくる件に関して、警察官が複数人で自分の事を取り囲み、身分証の提示を求めてくるのに、警察官に所属と名前を確認できるものの提示を求めても、誰一人提示しようとしなかった際に似たような事を感じたことがある。制服を着ていてもパトカーから降りてこようとも、マニアのような知識があれば似たようなものを用意するのはそれ程難しくはなく、捜査協力と言うのなら本物の警察官という事をまず証明してもらいたいと考えるのはごく自然だろうし、また、万が一不当な取り調べ行為があった場合に追及する為の保険としても、相手の所属や氏名等どんな人物か知っておきたいと思うのは当然だろう。
 だから市役所職員も本人確認を求めるような場合は、是非マスクを外して対応して欲しいと思うし、何か不手際があった時に相手の顔すらわからないようでは追及しにくくなるだろうから、基本的にはマスクを着用せずに市民に接するべきではないだろうか。

 しかしねとらぼが記事化したように、朝日新聞は、
 むつ市役所は体調が悪い職員には「窓口対応をさせない」「自宅で休ませる」ことを徹底した上で「ノーマスク」を推進している
とも紹介しているにも関わらず、そして「特段の事情がないかぎりマスクをつけずに接するよう求めている」としているにも関わらず、
  • インフルエンザ流行時期にこそ職員の健康管理という観点からも予備的にマスクはさせるべき
  • 発症に気づかない職員からお客様に感染させる可能性もある
  • 私は花粉なのでこんな『同調圧力』は絶対にやめて欲しい
などの批判的なSNS投稿が相次いだそうだ。ねとらぼ調べでは、ネガティブな投稿の方が圧倒的に多かったようだ。

 これらの主張を見ていると勘違いが多いように思う。なによりまず「体調の悪い職員を自宅で休ませることの徹底」が謳われている事を無視しているように思うし、抵抗力の弱い小さな子どもが家庭にいるなどの理由で「病原菌を家庭に持ち帰りたくない」という場合もノーマスクの例外としている、と朝日新聞の記事にはあるし、更にマスクを着用することはインフルエンザの予防には殆どならない(BuzzFeed Japanの記事)そうだし、発症に気づいていなくとも咳が出ていなければそれ程広く感染を広げるとは言えないし、花粉症などを考慮して「特段の事情がないかぎり」と注釈しているのを見落としているなど、いいがかりっぽい批判ばかりのように見える。勿論ねとらぼが取り上げたこれら以外の、まともな批判もあるかもしれないが、それでも多くの批判は
 体調の悪い職員が休まずに窓口業務に当たることを前提とした批判
なのではないだろうか。

 最近は以前に比べたら減ってきたかもしれないが、日本の学校や会社では、無遅刻無欠勤(欠席)を「皆勤賞」などの名目で表彰する。基本的に休むことは日本人にとって概ね悪い事だ。悪い事は言い過ぎかもしれないが決して褒める対象ではない。例えば「有給をとって旅行に行く」と言うと、未だに「サボりやがって」的な揶揄をする人が決して少なくない。体調を崩しがちで休みがちな人に対して「アイツは自己管理がなってない」的な事を言う人も多い。確かに、例えば重要な商談や会議などがある前日に深酒をした所為で二日酔いになり遅刻する等の場合は、自己管理がなってないで正しいだろうが、風邪を引きやすいか否かは、自分でコントロールできる範囲には限界がある。自分が風邪を引くのは3-5年に一度あるかないかだが、年に数回体調を崩すようなタイプの人もいる。また自分は歯磨きさえしていれば虫歯にならないが、世の中には歯磨きしていても虫歯になってしまうタイプの人もいる。歯磨きがいい加減というわけではなく、寧ろどちらかと言えば自分以上にケアをしているのに虫歯になってしまう人の方が多い。彼らは自己管理がなっていないのかと言えば決してそんな事はない。寧ろ自分よりも自己管理に気を使っているように思える。しかしそれでも体調を崩したり、歯医者に行く為だったり、自分よりも病欠が多い人もいる。

 個人的に思うのは、自己管理をしようと啓蒙することは大事だが、病欠を短絡的に自己管理の低さと結びつける風潮は確実に好ましくないという事だ。そういう風潮が風邪等で具合が悪くても休む事を許さない風潮に繋がり、そんな風潮は逆に風邪やインフルエンザの流行を広げる要素の一つになるだろう。そもそも、感染を広げない為に、病状を悪化させない為に休むことの方こそが自己管理なのではないのか。
風邪薬のこういう宣伝コピーも、本当にどうかしていると感じられてしまう。

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