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続・薬物使用=即依存症という誤解について


 昨日の投稿の中で、BuzzFeed Japanが3/30に掲載した「ピエール瀧さんを私がバッシングしない理由 深澤真紀さん、松本俊彦さん薬物報道を斬る(1)」という見出しの記事について書いた。その部分の冒頭でも書いたように、何回かに分けての連載記事だろうから、この初回だけで記者や対談者らの主張を判断すべきでないのかも、とも思いつつも、とりあえず初回の記事を読んだ感想でブログ投稿を書いた。そのさわりを説明すると、
  •  メディアや報道の在り方に対する記者・対談者2人の見解には強く賛同する
  •  しかし、記事の前提となっているように見える「厳罰でなく治療を」という見解は必ずしも正しいとは思えない
という内容だ。詳しくは昨日の投稿で確認して貰いたい。
 BuzzFeed Japanは3/31にこのシリーズの第2弾「1999年がターニングポイント? 時代と共に変わる意識 深澤真紀さん、松本俊彦さん薬物報道を斬る(2)」を掲載した。この回でも結局「厳罰でなく治療を」が重要だという話が、薬物事犯で逮捕される者が総じて治療が必要なレベルの中毒・依存症かのような前提で進められていた(少なくとも自分にはそう見えた)ので、再び同じテーマの投稿を書くことにした。因みに、まだ読んでいないが、第3弾の「厳罰主義が広がる時代 クラブカルチャー、そして若い世代への影響は? 深澤真紀さん、松本俊彦さん薬物報道を斬る(3)」も既に掲載されているようだ。この投稿は3/31夜の時点で書いた下書きを元にしているので、今日・4/1に掲載された第3弾については勘案していない投稿内容になっている。


 まず最初に言っておきたいのは、自分はこれから深澤 真紀さんや松本 俊彦さんが示した考えの一部について否定的・批判的に論じる。しかし彼らの主張が全ておかしい・間違っているとは思っていないし、第2弾の記事についても、第1弾の記事同様に理解出来る部分は多く、記事の趣旨自体は概ね賛同出来る内容だと思っている。昨今のネット、特にSNS上では何んでもかんでも敵と味方に無理くり分けて、一度敵とみなすと「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」になってしまいがちだが、もしこの投稿を読んでそんな風に考える人がいるとしたら、それはとても残念なことだ。


 前述したように、第1回に続いて第2回も、やはり「薬物使用者・逮捕者=総じて依存症」かのような前提で話が進んでいるのに違和感を覚える。また、「薬物や大麻によって良い作品が生まれるか」という事について、深澤さんは、アルコールを引き合いに出して、酒を飲んで創作活動するような事に近いというニュアンスも示してはいるものの、「薬物や大麻によって良い作品が生まれるという認識は勘違いだ」としている。しかし、自分は深澤さんもやや勘違いしていると思う。

 音楽や文学・絵画などを生み出す芸術家にとって、最も重要なのはコミュニケーション能力だと個人的に思っている。どんなにいい作品を作ることが出来ても、それを売りこむことが出来なければ世に出すことは出来ない。そして次に芸術家にとって大事なのは発想・アイディアの豊富さだと思う。質・量ともに重要で、どんなに楽器の技術や絵や文を描く技術があろうが、それを作品に昇華させる発想力がなければ、芸術家ではなく技術者になってしまう。
 世の中には化け物のような発想力を持った人間とそうでない人間がいる。前者は世間一般ではぶっ飛んだ人のように認識される。何故なら普通の人がやらないような事をやるからだ。それは服装や髪形だったり行動などにも現れる。特に、モード系のファッションや新しい音楽等を作る人は当初十中八九「ぶっ飛んだ人」と評価されるし、人によっては成功してからもずっとそう言われる場合もある。

 とある大麻が大きな罪にならない地域で仲良くなった自称アーティトがこう言っていた。
 自分の師匠はぶっ飛んでる。作品に対してだけでなく普段の生活も。しかし自分は素面でそんな風にはなれない。人によって、そのぶっ飛んだ状態になる為にアルコールに頼る人もいる。しかし自分はアルコールに弱く、すぐに気持ち悪くなる。しかしマリファナならそんなことはない。マリファナを吸えば普段湧かないような発想が生まれる事が多々ある。素面なら気が付かない事に気付くこともある。師匠と同じ様な発想に肩を並べるにはマリファナが必要で、師匠のぶっ飛んだ生活に付き合うにもマリファナが必要だ
と。
 彼の言うように、大麻を吸って酩酊すると、確かに素面では感じないような事が頭に浮かんでくる。発想が質・量ともに素面の時よりも豊富になるという意味で言えば、大麻によって作品はよくなるかもしれない。他の薬物は使用経験がないので知らないが、同じ様な側面があるかもしれない。それは合法なドラッグである酒で酩酊した際に、素面では思いつかないようなことが頭をよぎるのにとても似ている。勿論素面でぶっ飛んでる人の場合は、酒にしろ大麻にしろそんな効き目はないだろう。何が言いたいのかと言えば、世の中には素面なのに、普通の人が素面では出来ない発想をすることの出来るぶっ飛んだ人がいるし、芸術家の中にはその発想力に嫉妬する人もいる。
 「ドーピングした発想はその者の実力ではない」という人もいるだろうが、だとすればそもそも、私たちが文明の発達によって、明らかに自然な寿命の倍以上の寿命を獲得できる衣食住や合法的な治療薬等だってドーピングのようなものだ。違法なものに手を出すことを肯定するつもりは一切ないが、酒にだって発想力をドーピングする効果はあるし、「ドーピングした発想は実力ではない」なら、薬物や大麻以外にも禁止するべきものは増えるだろう。
 あるマクロビオティックに傾倒しストイックな食生活を実践している友人が、レッドブル・所謂エナジードリンクを飲んだ際に、その効果に大層驚いていた。彼は普段糖分の摂取を極度に抑えた生活を送っており、糖分や、彼が普段摂取しない人工的に生成された成分が多分に含まれるエナジードリンクを飲んで、普段とは全く違う感覚に陥ったのだろう。つまり、糖分を極度に制限している彼にとって、エナジードリンクは感覚をドーピングするような飲み物ということだ。日本でエナジードリンクの摂取は合法であるが、人によってはドーピングになり得る。

 酒にしろ大麻にしろ(そしてエナジードリンクにしろ)、人間は何にでも順応してしまうので、あまりに頻繁に使い過ぎるとそれが普通になってしまい、発想力のドーピング効果は限りなくゼロに近くなる。前述のアーティストはそれも理解していて、バカみたいに吸い続けるタイプの人間ではなかった。そしてそのような、ある程度節度を持って接するタイプの大麻利用者は意外に多かった。一般的な日本人の多くが酒を程々に飲む、つまり嗜むようなものだ。
 勿論中にはアルコール・ニコチン依存症の人と同じ様に、常に吸い続けるようなタイプの人がいる事も事実ではある。結局は人によりけりということだろう。それが個人的な経験による「大麻・薬物使用者=総じて依存症」とは言えないと考える理由だ。


 この話をブログに投稿するべきか否か迷った。何故なら現在の日本では「ダメ、ゼッタイ。」政策の影響で、薬物・大麻=1度使用したら即中毒・依存症になってしまう悪魔の物質のような認識を持っている人が多く、「大麻の吸引が合法の地域で使用した経験がある」と言うだけで、非人間扱いされかねないからだ。
 昨日の投稿の最後に、
 そもそも、日本で専門家を名乗る者の多く、特にテレビにコメンテーターとして出演する者の多くが、大麻吸引の経験すらないのに専門家を名乗っているのはどうなのだろうか。薬物は難しいかもしれないが、大麻については吸引が合法的に出来る地域があるにも関わらず、摂取の経験もなく専門家を名乗るのは適切なのだろうか。大麻・薬物の摂取=即中毒・依存症のような誤解があるから、大麻吸引の経験もなく専門家を名乗れるような状況なのだろう。勿論不安定な精神状態で大麻等を摂取すれば依存症や中毒状態になる場合もあるだろうが、それはアルコールやたばこだって同じことだ。アルコールの影響を研究する者は、少なからず自分もアルコールを嗜むのではないだろうか。
と書いた。 しかし実際は、専門家を名乗る人達の一部は、大麻の吸引経験があるのかもしれないとも思っている。自分と同じ様に「大麻の吸引が合法の地域で使用した経験がある」と言うだけで、非人間扱いされかねないという懸念持っているから、単に公言出来ないだけなのかもしれないとも思っている。ただ、深澤さんや松本さんのように、薬物事犯で逮捕される者が総じて治療が必要なレベルの中毒・依存症かのような前提で話を進める専門家・コメンテーターを見ると、経験もなくそのような立場にいるのだろうとも思う。

 果たしてそんな状態で薬物や大麻に関する適切な議論が出来るのか、自分は強く疑問を抱いている。現在の報道等に関して疑問を抱いているような人達でさえ適切な認識が足りていないようなので、ということは、「ダメ、ゼッタイ。」政策の下では、どうやっても薬物や大麻についての適切な議論や検討など殆ど期待できないのではないか?と感じてしまう。
 最後にこれだけは言っておきたい。この投稿の趣旨は「違法だけど別に大麻吸ってもいいだろ?」ではない。今の日本で違法なのは知っている。ただ、「ダメ、ゼッタイ。」の影響で適切でない認識が広がっていること、適切な議論が進まないことに疑問を感じている。薬物はまだしも、大麻吸引の経験すらなく「厳罰よりも治療を」とするのもまた、適切でない認知によるものではないのではないか、ということだ。



追記:
 この投稿をした後、4/1の夜に、冒頭でも触れた当該連載記事の第3弾「厳罰主義が広がる時代 クラブカルチャー、そして若い世代への影響は? 深澤真紀さん、松本俊彦さん薬物報道を斬る(3)」も読んだ。そこには、この投稿や昨日の投稿で自分が示したのと似たような、松本さんの見解が記されており、自分が感じていたことは取り越し苦労な部分もあったと分かって少し安堵した。
 しかし、3つの記事を全ての人が全部を読むわけではないので、初回から3回目の内容が感じられるようになっていればいいのにとも感じた。薬物使用者・薬物事犯=全員中毒とか薬物を使用すると即依存症になるかのような誤解を生まない為にも。その認識がなければ、使用者・逮捕者への寛容さは生まれ難い。

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