2013年に特定秘密保護法を成立させて以降、2015年の集団的自衛権の行使容認を含む安全保障関連法、2016年のカジノIR推進法、2017年の共謀罪法、2018年の働き方改革関連法、改正入管難民法など、今の政権と与党は数の力を背景に、充分な議論がなされないまま採決を強行するという姿勢が目立っている。与党支持者らの目には強行採決には見えないのだろうが、例えば戦後これまでどの政権も集団的自衛権の容認は憲法9条の規定に反する恐れがあると解釈してきたにも関わらず、最も憲法に縛られるべき国家権力の中枢である内閣が、憲法の条文を改訂するという作業をすっ飛ばして解釈の変更だけでそれを容認し、それがなければ成立しなかったであろう安全保障関連法の採決は、どう考えても合理的な説明がなされたとは言えず、強行に採決が行われたとしか言いようがない。
事実として安全保障関連法については成立後に内閣の支持率と不支持率が逆転した。それを受けて首相は、「理解が得られるよう丁寧な説明を今後も続けていく」などと述べていたものの、その後安全保障関連法について「丁寧な説明」が行われた記憶は全くない。その後内閣支持率と不支持率が再び逆転したことも、その2年後の衆院選で再び与党自民党が大勝したことも事実ではあるが、それは「安全保障関連法に対する丁寧な説明の結果」でないことは、2017年の選挙で自民党に投票した者の多くが、経済政策をその理由に挙げていたことからも明らかだ。
つまり2017年の衆院選で自民党が大勝したのは、2018年12/21の投稿でも示したように、「現政府・与党は選挙だけは上手く、政策の内容・政治的方針への支持は兎も角選挙だけには滅法強い」、そして「現野党勢力が目も当てられない程選挙下手」ということの結果でしかないだろう。
今朝、共同通信が「3割、国会役立っていない 若者調査、関心の低さも」という記事を掲載した。記事によれば、17-19歳の男女800人を対象に意識調査をしたところ、
国会は国民生活の向上に
- 「役立っていない」30.0%
- 「役立っている」20.9%
- 「分からない」49.1%
国会が有意義な政策論議の場になっていると思うか
- 「思う」5.0%
- 「思わない」54.8%
この手の調査結果が報告されたという記事が掲載されると、ネット上、特にSNS、特にツイッターではすぐさま与野党の積極支持者らが双方を口撃しあう、場合によっては罵り合うようなことが始まる。口汚くはなくとも、やれ与党が悪い野党が悪い、というマウントの取り合いが始まる。彼らが大きく勘違いしている。この調査の設問は「国会で与党(又は野党)は国民生活の向上に役立っているか」でもなければ、「国会で与党(又は野党)は有意義な政策議論をしているか」でもない。それを恣意的に解釈してどちらか一方だけを批判の対象にしたり、どちらか一方だけに責任があるかのような事を言い始めるのは決して適当とは言えない。それと同じ様なことを与野党ともに国会でやっているからこそ、「国会は国民生活の向上に役立っていない」「国会が有意義な政策議論の場になっていない」という調査結果が示されたのではないだろうか。
与党は与党で議論もせずに強行に採決を行う姿勢が強く、野党は野党で政府与党の方針を適切に批判しきれず支持を国民からの支持をとりつけられないでいる。勿論政府関係者らが適切に質疑に応じなかったり、与党が参考人の招致を認めないから適切な批判が出来ないという側面もある。つまり国会で適切な議論が成立しないことの理由は与党にも野党にもあるだろう。
野党が適切な対応をとっているなら、確実にこの数年間で野党各党の支持率は上がっているはずだ。しかし2017年の衆院選を目前に起きた民進党の分裂劇や、希望の党を中心としたその後の茶番劇、それ以前の、民主党が政権の座にあった時から民進党を経て分裂に至る寸前、というか分裂後に至っても、野党勢力内で責任のなすりつけ合いが漫然と繰り返されてきたことを多くの国民は知っている。個人的にはそれでも現政権の方がマシなんて全く思えないが、そんな現野党勢力よりも現政権の方がマシと捉えている人が少なくないというのが現状であって、それが野党らの支持が今も上がらない大きな理由の一つだろう。
また、もし野党側の言っていることが一方的におかしいのなら、与党が強行に採決を行っても「国会が有意義な政策議論の場になっていない」という調査結果にはならないはずだ。与党側の主張が圧倒的に正しいと認識されていれば、野党側が何を言おうが採決が強行されたという認識にはならず、有意義な政策議論の結果採決が行われたという判断になるだろう。つまり「国会が有意義な政策議論の場になっていない」という判断が示される理由は、議席の大多数を占める与党側が充分に議論を尽くさず、数の力で強引に議論を打ち切ることにもある。それを無視して、「野党が揚げ足取りをしている」かのような事を一方的に言うのは短絡的だ。場合によっては単なる中傷でしかないかもしれない。
この調査は選挙権を得たばかりの18-19歳、そしてまだ選挙権のない17歳への調査結果だが、別の年齢層で調査を行ってもそれ程大きな差は生まれないだろうと個人的に推測する。もしその推測が正しければ、実はそんな見解を示す国民もまた無責任な存在と言えそうだ。
調査を行った日本財団は「若年層の国政への関心の低さを表している」 としている。もし他の年齢層でも同様の結果が出るのだとしたら「国民の政治への関心の低さを表している」ということになるだろう。それは近年の選挙の投票率が決して高いとは言えないことからも推測出来る。しかし議院内閣制の日本において、国会議員や首相ら内閣の面々を選んでいるのは国民である。つまり「国会が生活の向上に役立っていない責任」、「国会が有意義な政策議論の場になっていない責任」は、国会議員を選んだ国民にも確実にある。日本財団の分析が正しくない恐れもあるにはあるが、「国会が有意義な政策議論の場になっていない」のは国政への関心の低さが国会に反映された結果であるとも言える。
つまり、その存在が有意義とは言えない状況に国会・国政が陥っているのには国民にも確実に責任があるにも関わらず、一方で国政への関心が低いというのは大きな矛盾、というか悪循環に陥っているとも言えそうだ。
この悪循環は今に始まった事ではなく、70年代後半頃から既に若者は「しらけ世代」などと言われ始めている。その最初の世代は現在50代だ。その後の世代も政治に強い関心を示してきたとはとても言えない。バブル崩壊による就職氷河期を経験した世代ですら政治に対する関心が高かった・若しくは現在高いとは言えない。政治に対する関心の薄さはこの国の病のようなものだ。勿論全ての若者・全ての国民がそうであると一括りにして言ってしまうのは極端だろうが、この調査や投票率の低さから考えれば、そのように表現しても的外れとは言えないだろう。
若者に限らず国民一人ひとりが
「国会が有意義な政策議論の場になっていない」のは自分達の責任であると認識することこそが、国会を有意義な政策議論の場にする為に必要な第一歩なのではないだろうか。統一地方選や参院選を目前に強くそう感じる。