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2019年の参院選に向けて


  現自民政権は「選挙だけ上手い」政権だ、と今朝のMXテレビ・モーニングCROSSを見ていて感じた。いきなりこれだけを言えば「お前は極端だ」と言われるだろう。別の人が「現自民政権は「選挙だけ上手い」政権だ」とだけ主張してるのを見れば自分も十中八九極端だと感じるだろう。番組のどの部分でそう感じたのかといえば、今朝のコメンテーターの1人・古谷 経衡さんが語った「2019年の参院選をうらなう」という話を聞いてそう感じた。
 日本の国会は衆議院と参議院の二院制だが、制度上衆議院に優越的権限が与えられており、更に参院選は衆院選とは異なり全議席でなく1度に改選されるのは定数の半分の為、衆院選に比べて大きな変化に繋がり難い傾向にあるという一般的な認識は、必ずしも正しいとは言えない、という話から古谷さんは説明を始めた。


過去の事例
  1. 第一次安倍晋三 - 2007年参院選で敗北し 求心力激減で辞任
  2. 菅直人(民主党)- 2010年参院選で敗北 菅おろしで辞任
  3. 橋本龍太郎 - 1998年参院選で敗北し 引責辞任
  4. 宇野宗佑 - 1989年参院選で敗北し 引責辞任

  古谷さんはこのスクリーンショットのフリップを提示して、参院選での敗北の影響で退陣に追い込まれた過去の政権の例を挙げ、参院選を軽く見てはいけない理由をまず示した。
 次に古谷さんは参院選の一人区・実質的な小選挙区の多さを指摘し、


小選挙区と同じ特性の一人区が多いという事は、 野党が分裂状態であれば与党・自公に太刀打ちできないという、ごく当然の指摘をした。
 小選挙区での選挙において野党勢力が分裂状態では与党に勝てないという事は、昨年・2017年10月の衆院選を見ても明らかだ。2017年の衆院選では、選挙目前に民主党が空中分解し、その受け皿になるかと思われた新政党・希望の党は小池代表の所謂「排除の論理」で総スカン状態に陥った。結果的に漁夫の利を得るかたち(勿論野党側が団結していたとしても選挙に勝てたかどうかは定かでないが、ほぼ戦わずして勝てたという意味)で、与党・自公が圧勝とも言うべき勝利を納めたのはまだ記憶に新しい。
 彼は、来年の参院選の行方を左右するのは「野党が団結できるか」どうかだと指摘し、現在の状況を勘案すれば来年までにそれが実現するとは考え難く、このままいけばまた自公が勝利するだろうという見解を示した。確かにその通りだと感じた。更に、自民党と旧民主系政党の大きな差は「選挙の上手さ」だとも感じられた。

 前民主党は、例えば現国民民主党や維新の一部など、かなり自民党と考え方の近い政治家も、例えば現立憲民主党など自民党とは一線を画すような人達も織り交ぜて一つになっていた政党で、党内での勢力争い等の影響でその時々の党首の足を引っ張るような傾向がしばしば見られた。政権の座に就いていた頃はまだマシだったが、自民に政権を譲って以降は完全にまとまりのない烏合の衆に成り下がっていた。その成れの果ての姿が2017年衆院選直前の空中分解であり、そしてそれから現在も続く野党勢力の分裂した状況だろう。旧民主の一部が身を寄せた希望の党は、その後も更に分解を続けてしまっている状態だ。
 一方で現在の自民党、というかこれまでも自民党はずっと巨大政党であり、旧民主程ではないにせよ様々な主張を持った政治家が存在している。適切かどうかは分からない個人的な評価だが、極右と言っても過言ではないような政治家から、中道右派と言えそうな政治家までが1つの党の中に共存している。今も複数存在する党内派閥の存在からもそれが分かる。
 つまり、旧民主勢力も自民党もイデオロギー的には決して一枚岩の勢力ではない。自民党は現在公明党と連立を組んでおり、公明党は自民党に比べれば確実に左派傾向であることを考えれば両者のイデオロギー的な多様さに大きな差があるとは思えない。にもかかわらず、現政権与党がこれほどまでに選挙で勝ち続けているということは、現与党側が選挙巧者で、野党側が選挙下手と言えるのではないだろうか。

 しかし、それだけでは冒頭で示した「現自民政権は「選挙だけ上手い」政権だ」とまでは言えない。なぜ「だけ」と思えたかと言えば、安保関連法制にしろ、共謀罪法案にしろ、自衛隊日報隠蔽問題にしろ、裁量労働制・高プロ導入方針にしろ、森友加計学園問題での政府側の説明にしろ、辺野古基地建設の強行にしろ、そして入管難民法の改正案にしろ、政府が重要法案とするような法案や、現政権の国会運営、首相や副首相の態度に関して、複数の世論調査で現政府の方針に懐疑的、場合によっては明確に反対する意見がしばしば上回ってきたのに、どういう訳か選挙では軒並み勝利を納めるからだ。つまり政策や政治的な方針では過半数の支持を得られないのに、選挙だけは勝てるのが今の政権・与党という事だ。だが視点を少し変えて言い換えれば、政策・方針で多くの支持を得られないような政権・与党にすら選挙で勝てない程、野党側は驚異的に選挙が下手くそだとも言えるだろう。
 12/10の投稿「入管難民法改正案を成立させたのは、安倍政権でなく日本の国民」や12/12の投稿「政治家・議員・大臣らの傍若無人な振舞いが許される状況について」では、国民がいい加減な判断をしている、若しくは投票権を行使せず判断を下す事を放棄している恐れがあるという方向性で文章を書いた。ただ、この投稿のような視点から現状を見れば、前述のように「現政府・与党は選挙だけは上手く、政策の内容・政治的方針への支持は兎も角選挙だけには滅法強い」とも言えるだろう。しかし逆に言えば、現野党勢力が目も当てられない程選挙下手ということでもあり、それはここ数年の選挙の結果を見れば誰の目にも明らかで、そんなレベルで選挙が下手というのは政治勢力として致命的であるとも言えそうだ。政治は単なる多数決ではないので多数派が必ずしも素晴らしいとは言えないが、議席の数は一定の、一定のというより確実に大きな力であることは間違いない。議席が獲得できないようであれば、たとえ適切な考えであっても政治に反映することはままならず、獲得議席数で支持を証明することが出来なければ、何を言ってもむなしいという側面も確実にある。

 古谷さんは、現野党第一党である立憲民主党が他の野党勢力との合同に消極的な姿勢を示していることを指して、
 この人は入れていいんだけど、この人は入れないみたいな、小池さんの踏み絵みたいな事を、枝野さんもやっているような気もしないでもない
と評していた。確かに古谷さんの言う通り、野党が参院選で存在感を示す為には一人区での候補一本化は確実に必要で、その為に立憲民主党は他の野党勢力とどうにか折り合いをつける努力をする必要があるだろう。
 ただ立憲民主党・枝野氏は、旧民主党の失敗、これまで選挙結果を重視して行われた野党合同がどんな結果を生んできたかを、当事者として目の当たりにしてきた経験から現在の姿勢を示している側面もある。イデオロギーの話を後回しにした選挙目当ての姿勢が前面に出てしまえば、合同したところで思ったほどの支持を得られない恐れもあるし、最悪の場合、現在得ている支持すら失う恐れもある。そしてもし選挙に勝てたとしても、考えの違いから思うように政策が進められない状況に陥るかもしれない、つまり旧民主党政権の二の舞になりかねないという不安もあるだろう。
 個人的には、現野党第一党である立憲民主党が、参院選に向けてどれだけの候補者を準備できるかが参院選の結果、というか参院選の先にある政治状況を左右するように思える。参院選での野党勢力の選挙協力が実現するにしても、野党第一党の存在感によって勢力全体にまとまりが出るか否かは変わってくるのではないだろうか。似たような勢力・支持率の党がまとまる場合と、他よりそれなりに有力な党を中心にその他が連立するのでは話は変わってくるだろう。それは現在の自民と公明の関係を見ても明らかだ。

 何はともあれ個人的には、現在の政権の、実際の不誠実な振舞いを取り繕う為に調子のいい言葉ばかり並べる姿勢や、首相や副首相を始めとして閣僚らが恥ずかしげもなく傍若無人な態度を示すような状況にはウンザリしているので、政権交代は無理だとしても、相応に牽制力を持てるような選挙結果を野党側に期待したい。

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