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eスポーツと既存スポーツのいくつかの共通点


 昔は、目が悪くなる、運動不足になる、過激な内容のものは教育上よくない等のネガティブな評価、若しくは「大人がやるもんじゃない、単なる子どもの遊び」のような冷めた評価が支配的だったテレビゲーム。世界的にはテレビゲームではなくビデオゲームと呼ぶ方が一般的なのだそうだが、今ではGAMEという表現自体がそれを指す場合も多い程定着し、ビデオゲーム黎明期に子ども時代を過ごした世代が40歳前後、つまり親世代になったこともあり、前述のような必要以上の過小評価がされる機会も殆どなくなった。勿論未だにゲームやアニメをやり玉に挙げたい大人、しかも政治家なんてのも存在してはいるが(J-Castニュース「「座間事件」の容疑者はアニメ、ゲームの影響を受けた? 発言の山本議員に「現実と妄想の区別がないのはオマエ!」の声」)。
 この数年、ビデオゲームの競技化・大会がeスポーツと呼ばれ盛り上がりを見せている。ほんの十数年前までは考えられなかったプロも決して珍しくはない存在になった。00年代前半までは、日本の企業がビデオゲーム業界を席巻していたと言っても過言ではないが、壊滅状態ではないものの、明らかに当時に比べて現在は勢いを失っている。相変わらず任天堂とソニーのゲーム機はゲーム専用機としては高い人気を誇っているが、これまでマニア向けだったPCゲームの市場が拡大し、更にスマートフォンという新たなプラットフォームが登場したことで、まだまだ一定の存在感は示してはいるものの、ゲーム専用機=ビデオゲームのメインストリームではなくなってきている。また、eスポーツというムーブメントも、且つてのゲーム大国だった日本発でなかったことも興味深い。


 とは言え、最盛期の勢い程ではなくても、まだまだ日本製(というか日本企業製)のゲームには世界的な人気を誇るタイトルは多いと言える。そして前述したような古い考え方の政治家もいるし、2018年2/17の投稿でも書いたように、他のスポーツ・競技・趣味・嗜好品でも依存症のようにのめり込む者は相応にいる筈なのに、ビデオゲームは未だに槍玉にあげられがちで、中にはドラッグか何かのように認識している人もまだまだいるようだが、遅ればせながらというか、時流に乗ってというか、日本でもeスポーツは徐々に盛り上がりを見せている。今年度・2019年の国民体育大会「いきいき茨城ゆめ国体」では、「全国都道府県対抗eスポーツ選手権 2019 IBARAKI」を行い、レースゲームのグランツーリスモスポーツ、サッカーゲームのウイニングイレブン2019、パズルゲームのぷよぷよeスポーツの都道府県別対抗戦が行われる。

 今朝のMXテレビ・モーニングCROSSでは、この日のコメンテーターだった松浦 シゲキさんがeスポーツについての持論を論じていた。彼は「外野から感じるeスポーツの弱点→提言」と題して、
  • 商品を基に成り立つ商業主義スポーツ
  • パブリック性がなく情報量が多い
という2つの点をeスポーツの弱点と指摘し、その改善が今後の更なる普及・拡大には必要なのではないかとしていた。
 彼はまず、eスポーツの話になると必ずと言っていい程話題になり、以前から各所で議論されている「eスポーツは”スポーツ”なのか」というテーマに対して、JeSU:日本eスポーツ連合のeスポーツの定義

 「eスポーツ(esports)」とは、「エレクトロニック・スポーツ」の略で、広義には、電子機器を用いて行う娯楽、競技、スポーツ全般を指す言葉であり、コンピューターゲーム、ビデオゲームを使った対戦をスポーツ競技として捉える際の名称
を紹介し、「あくまでもコンピュータゲーム・ビデオゲームはツール」とし「スポーツとは何か」について、プロ/アマ、健常者/障害者、大人/子供など身体能力に差があっても必要とされる判断力には差がないという点に注目した

スポーツで磨かれるのは判断力
という持論を示し、つまりeスポーツもスポーツの1種で、少し前に話題になった「eスポーツは学校教育に適すか否か」(例:ハフポスト「eスポーツが部活動に。導入した高校からは「勝負に勝つための思考力や戦略を立てる力なども身につく」の声」)という点についても「取り入れてもいいかな」という認識を示した。

 そして「基本的にはeスポーツ賛成」としつつ、
 ゲームは、たとえば将棋とか囲碁とかチェスなど、古来からあるゲームはみんな同じルールだし、(必要な道具は)誰が作ってもいい・同じだ。一方でビデオゲームには、現在プロライセンスを受けているビデオゲームがあり、
(eスポーツは)商品を基に成り立っているスポーツだ。例えばウイニングイレブンはサッカーのゲームだが、サッカーのゲームは他にもいろいろある。操作方法も微妙に違う。(今のeスポーツには)特定のゲームに基づいて行われているという状況がある。結局それ(その競技)を楽しむ為にはそのソフトウェアを買わなくてはならない。勿論将棋や囲碁もライセンスを出している道具はあるが、ある意味では自由。例えば、落ちものパズルゲームはぷよぷよがプロライセンス認定されているが、テトリスでもいい(のに特定のタイトルに限定されている)。ある意味商業主義ベタベタなところがあるんじゃないか。オリンピックが商業主義と言われるが、(eスポーツは)もっともっと商業主義だ。それは果たしていいのか。外から見ていると、そのような部分をパブリック化していかなければならないのではないか(と感じる)。
 現在eスポーツには以下のような種類がある。
いろいろなバリエーションがある中で、操作方法が微妙に違うというのは果たしていいのか。また、eスポーツの用語は多岐にわたる為、実況アナウンサーも大変らしい。専門用語が多すぎる。将棋や囲碁もある程度ルールを抑えておかなければ盛り上がれないのは大前提だが、eスポーツはシンプルな部分に欠けているのではないか。(中略)実況アナウンサーが魅力を伝えようと頑張っているが、固有の用語も多く、それですら伝わらないと思えることも多い。(中略)分かりやすさという部分でもう少し頑張って欲しい。
 この「パブリック化」と「分かりやすさ」を進めなればeスポーツへの理解は進まないのではないか。 
というオピニオンを示した。

 松浦さんの口語を文字化するにあたって少し表現を変えてはいるが、大きくニュアンスを変えたつもりはない。概ね彼の主張のニュアンスはこのような内容だった。この松浦さんの視点にはなるほどと感じた一方で、果たしてそれがいいのか悪いのかは分からないが既存スポーツにも似た状況はあるようにも思える。
 松浦さんは「ビデオゲームは競技の為のツール」としているのだが、特定のソフトを買わないとその競技に参加できないのは変だというニュアンスも示している。例えば、どんな球技にも協会や大会の公認球が存在するし、他のスポーツでも公認の道具というものは存在する。いくつかのブランドが公認の道具をリリースし、一見自由競争の原理が働いているように見える競技も多いが、大会毎に使用するブランドが限定されたりする場合も多い。例えば、サッカーワールドカップではもう何十年もずっとアディダスのボールが公認球として用いられており、他のブランドも公認球を販売してはいるものの、本大会と同じ物を使用する方が有利という意識が働くからか、ワールドカップ以外の大会でもアディダスを大会公式球にしていることが多いし、練習用にもアディダスのボールが多く用いられる。つまり、アディダスのボールを買わないと競技を楽しめないということはないが、アディダスのボールを使った方が有利に働く状況は確実に存在する。しかも、大会毎に公認球は新しいものがリリースされる。そうやって新たなボールの購入を促すのは、eスポーツの大会で使用するゲームが年単位、若しくはもう少し長いスパンで続編に置き換えられるのと似ている。
 ウイニングイレブンイレブンという競技ではなく、サッカーゲームという競技として捉え、ウイニングイレブンイレブンはサッカーゲーム大会の公式使用タイトルだとすれば、ウイニングイレブンイレブンと人気を二分するサッカーゲーム・FIFAシリーズは、アディダス以外の公認球と考える事も出来る。何故なら、アディダス以外のボールを使用するローカル大会が存在するように、FIFAシリーズを用いたサッカーゲーム大会も存在しているからだ。松浦さんは「操作が微妙に違うのは果たしていいのか」と言うが、サッカーボールの公認球もブランドによって微妙に硬さや重さに差はあり、自分にはそれは「微妙に異なる操作」のようなものに感じられる為、「操作が微妙に違う」のに大きな問題性を感じない。ウイニングイレブンイレブンもFIFAシリーズもどちらもサッカーゲームという点で共通しており、FIFAシリーズで培ったノウハウは100%ではないがウイニングイレブンイレブンにも活かせる部分があり、逆もまた然りだ。アディダス以外のボールでサッカーを練習したとして、その練習がアディダスのボールを公式球とする大会で全く役に立たないとうことはない。しかし微妙なタッチや加減などの部分では、アディダスのボールで練習した方がより有利であることには違いない。ウイニングイレブンイレブンが公式使用タイトルの大会にエントリーするなら、ウイニングイレブンイレブンを買って練習する、というのはそういう事なのではないか。

 このような状況は、他のジャンルのゲーム・eスポーツでも少なからず似たようなものではないだろうか。野球・レース等サッカーゲーム同様に実際のスポーツを模したジャンルはほぼ同じだろうし、格闘ゲームには格闘ゲームの文法が存在し、FPSも同様にFPSの文法というものは確実に存在する。パズルやカードゲーム系は最もタイトル毎の独自性が強い側面があるかもしれないが、例えばスノーボード競技と一口に言っても、スロープスタイル、ビッグエアー、ハーフパイプ、スラローム、スノーボードクロスなどルールの異なる複数の種目が存在しており、落ちものパズルゲームの中にぷよぷよやテトリスがあってもそれ程違和感はないし、大会によって実施する種目が違ってもそれ程不思議でもない。
 また「オリンピックは商業主義的と言われるが、eスポーツはもっと商業主義的」という見解も示されていたが、商業主義的なスポーツ自体に問題性があるのではなく、商業主義的なのにも関わらず、そうではないふりをして大会に公的な資金、つまり国の予算等が投入される事が問題なのだろう。松浦さんがeスポーツの国体競技化を前提にそのような見解を示したなら同意もできるのだが、そのような前提の定義がなかった為、スポーツの商業利用=悪と主張しているように見えてしまったので、そこに違和感を感じてしまった。

 一方で松浦さんの言う「シンプル化」の必要性については納得する部分が多かった。自分はモータースポーツ観戦が好きでよく見るのだが、モータースポーツはクルマの性能によって大差がつきがちで、その所為で、F1やMotoGP等の超人気カテゴリーを除けば、これまでいくつものカテゴリーが盛り上がりを見せては、その後開発競争過多になり、特定のチームが勝ち続ける状況や予算の少ないチーム・メーカーが撤退するような状況に陥り、人気が落ち込んで衰退するという歴史が繰り返されている。昨今はそれを防ぐためにBOP:バランスオブパフォーマンスという制度で性能の良すぎるクルマにハンデを課して均質化を計り、開発競争過多になることを防ぎ、レースを面白くするという取り組みをしているカテゴリーが多い。それによってよりドライバー/ライダーの腕の比重が高まっている。
 ただモータースポーツの主役はドライバー/ライダーだけでなく、確実にクルマもその主役の一つである。条件の均質化を計るという意味で最も合理的なのは全ての選手が同じクルマを使う所謂ワンメイクレースなのだが、それでは面白くないというモータースポーツファンも多い。また、BOPによる均質化を好意的に受け止めないファンもおり、BOP以外でレースを面白くしようとする試みも複数行われている。例えば、1つのラウンドで2-3回のレースを行い、その1部をリバースグリッド、スタート位置を予選で速かった者順ではなく、逆に遅かった者を前方からスタートさせたり、モータースポーツではタイヤ交換・給油などのピットストップで順位が入れ替わることが多く、レース中のピットストップを義務付けたりするなどの試みも行われている。
 このようなルールはある意味ではレースを盛り上げる為の仕組みなのだが、モータースポーツ初心者にしてみたら複雑な仕組みでもある。特にピットストップの義務付けは、ピットストップのタイミングが各車で異なる為に実質的な順位がとても分かり難い。早めにピットストップしたクルマは一時的に下位に沈むが、基本的には後からピットストップしたクルマをピットストップ中に追い抜くことになり、実質的に上位にいるのに見た目上は下位にいるように見えるタイミングがあったりする。リバースグリッドについても全ての順位があべこべになるわけではなく、例えば1-10位のみリバースだったり、カテゴリーによってはリバースになる順位が毎回抽選で変わったりするケースもある。それは次のレースのリバース狙いでレースをすることを防ぐ為の仕組みなのだが、初心者には分かり難く、場合によってはとっつきにくいと受け止められる恐れのある仕組みだ。
 これはeスポーツにも同じ傾向があるように思う。大会やゲームを盛り上げようとしてバージョンアップごとに新しい要素が追加されることがしばしばあるが、その所為でゲーム自体が複雑化し、初心者のとっつきにくさとなり、そのタイトルのプレーヤー以外に分かり難くなってしまえば、所謂内輪ノリの状態になりかねない。しかもそれが定着するような効果的なシステムならばいいのだが、効果的でないシステムの場合に短い期間でそれが廃止され、また別のシステムが登場するというような場合もある。モータースポーツのレギュレーションでも同じ様な事がしばしば起きるので、システムデザインや大会の運営など枠組み・ルール設定の重要さ、そして難しさを再認識させられる。 


 そんなことを考えながら、今朝の松浦さんのオピニオンを聞いていた。当然のことなのだが、彼の見解には理解できる部分もあれば、同意しにくい部分もあった。
 最後に一つだけ付け加えておくと、松浦さんがオピニオンを論じた後に、サブMCの宮瀬 茉祐子さんはeスポーツ・ビデオゲームについて、
 ゲームは一瞬ちょっとハマってすぐ飽きちゃうを繰り返している。これがキッチリ判断力が上がるとか、学校の教育の中に入ってきたりするのであれば、ちょっと考え方も変わってくるのかなと思う。(松浦さんに「応援したいと思う?」と問われ、)はい。
と述べていた。これを聞いて自分は、「学校教育に採用される」という権威付けは、宮瀬さんに関わらずeスポーツの印象を左右する要素なのだろうと思った。この場合は学校教育による権威付けなのだが、1/15の投稿でも書いたように、スケートボードという競技では「オリンピック競技」への採用という権威付けの結果、宮瀬さんのような立場の人のスケートボードに対する認識が変わったように思う。そのように考えれば、商業主義的側面も強いeスポーツではあるが、それでも国体種目という権威付けを求めたり、オリンピック種目化を目指したりするのもある意味では当然なのかもしれない、と思えた。

 1/15の投稿でも書いたように法律で同性婚が認められたら、国が認めるという権威付けによって、世の中での風当たりは確実に変化するだろうから、国には率先して同性婚、若しくはそれに準ずる制度の法制化を早急に行って欲しい。ハフポストの記事「同性婚訴訟の審理始まる 差別とは何か?改めて乙武さんと考えてみた。」で触れられているように、
  • LGBTばかりになったら、国はつぶれる
  • 今のように、社会の理解が深まっていない段階で改正したら、色々なことで軋轢がおこりかねない
  • 理解を深めることが最初に来るべきでないか
などと、到底理解を深めるつもりもなく、そして社会の理解が深まっていないとする根拠も示さずにこんな事を言う、自民党の平沢 勝栄衆院議員のような政治家が与党内にいるのはとても残念だ。

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