4/21の投稿でも触れた、4/19に池袋で乗用車が暴走し、親子2人が死亡、8人が怪我をする被害を出した事故を発端に注目を浴びた「容疑者」呼称問題。この「容疑者」呼称問題に関しては、警察が逮捕するか否かの基準という視点でも考察する必要があるが、そちらについては5/10の投稿で書いたので詳しくはそちらを呼んでもらうとして、ここでは主に「容疑者」という呼称に注目して書くことにする。
この「容疑者」呼称問題が注目されるのは初めてではなく、再燃と言っても過言ではない。この事案はこれまでにも度々再燃している。自分の記憶の限りでは、2000年に当時西武ライオンズに所属していた松坂 大輔選手が免停の状態で運転、つまり無免許運転していたことが、駐車違反を犯したことにより発覚した件でも、松阪選手と身代わりで出頭した西武広報課長・黒岩氏は逮捕拘束されず書類送検で処分された為「容疑者」という呼称は用いられなかったが、当時も池袋の事件同様に「悪質な行為なのに逮捕もされず、容疑者と呼ばないのもおかしい」という声があったように記憶している。
池袋の事件にしろ、松坂選手の件にしろ、メディアはこう説明する。
容疑者という呼称は、逮捕や指名手配された場合に使用されるしかし、 2001年に当時スマップのメンバーでジャニーズ事務所所属だった稲垣 吾郎さんが、路上駐車していた自分のクルマに戻ったところ、女性警官に駐車禁止違反と指摘され、警官が免許証の提示を求めたところクルマを発進させようとし、発進を食い止めようとした警官に接触したことによって、公務執行妨害と道路交通法違反(駐車禁止)で現行犯逮捕された件に関して、現行犯逮捕されたにもかかわらず、ほぼ全てのメディアが「稲垣容疑者ではなく、稲垣メンバー」と報じた。つまり前述の「容疑者」という呼称を用いる基準と明らかに矛盾していた。
似たような案件は他にもある。2004年の暴行事件の「島田紳助司会者」、2005年の交通事故の「小泉(今日子)タレント」、2007年の暴行事件の「布袋寅泰ギタリスト」など。これらの件はどれも逮捕されておらず書類送検で処理された。しかし、小泉さんは所謂当て逃げで、しかも自ら名乗り出た訳ではない(四国新聞)にもかかわらず書類送検で済んでいる。また島田さんの場合は書類送検で処理されたにもかかわらず、「本人が非を認めた」という理由で途中から「容疑者」という呼称が用いられていた。
つまり、警察が逮捕で処理するか書類送検で処理するかの基準は明確でないし、「容疑者」という呼称をメディアが用いる基準も決して一定とは言い難い。
5/6に宇都宮市で、警察の追跡から逃げた車両が正面衝突する交通事故を起こし、ドライバー1名が死亡するという事件が起きた。警察の追跡から逃れた車両のドライバーの呼気からはアルコールが検出され、酒気帯び運転だったと判明している。死亡したのは追跡から逃れた車両ではないもう一方のクルマのドライバーだ。
この件についても、酒気帯び運転だったドライバーの呼称が一部で話題になっている。共同通信は事故後に「逃走車と衝突の男性死亡、宇都宮」で、このドライバーを「川俣勇人さん(22)」と報じた。
記事に重傷とあることから推察すると、恐らくケガの度合いが酷く、そして病院へ運ばれた為に、逃亡・証拠隠滅の恐れが薄く現行犯逮捕する必要がなかったのだろう。記事には既に川俣さんが警察の追跡から逃げたドライバーであることも、呼気からアルコールが検出されたことも書かれている。つまり警察はこの時点で既に事情を確認済みだったということでもありそうだ。
一方TBSニュースは当初「乗用車を運転していた男性(22)」と報じた(「飲酒運転で逃走、巻き添えの男性死亡」)。共同通信同様に逃走中・酒気帯び運転についても書かれており、死亡した男性は実名で報じているのに、川俣さんに関しては何故か名前が伏せられていた。
この時点では、警察の追跡に問題があったかどうかに重点を置いた報道が多かったように思う。恐らくTBSの記事も、万が一警察の追跡に問題があった場合に配慮して、川俣さんの名前を伏せたのではないかと推測する。
興味深いのは、これ以降TBSが用いる呼称・肩書が二転三転することだ。現時点(5/13正午頃)でも「容疑者」という呼称は用いられていない為、恐らく現在も逮捕拘束は行われていない。川俣さんが入院しているのなら、逃亡も証拠隠滅も出来ないだろうし、少なくとも退院するまでは逮捕する必要はないだろう。
TBSは翌5/7の記事「パトカーから逃走で事故 1人死亡、「友人と飲食店で酒飲んだ」」では、「川俣勇人自営業者(22)」としている。
自営業という情報がどこから出てきたのかは定かでないが、周辺への取材か若しくは警察への取材によって川俣さんが自営業者だという判断に至ったのだろう。どこのどんなガイドラインなのかは知らないが、報道機関は犯罪を犯した恐れのある者には基本的に「さん」等の敬称を用いない。しかし逮捕されたわけでないので「容疑者」という呼称を用いるわけにもいかず、「川俣自営業者」なんて不自然な呼称になったのだろう。
普通ならここで話は終わりそうなものだが、TBSは今日の記事で再び呼称を変えており、「飲酒暴走事故で犠牲、遺族の思い」では「ガス機器販売会社・川俣勇人従業員(22)」と呼んでいる。
どうして急に自営業から従業員に変わったのだろうか。 個人的にTBSの報道はいい加減だなと感じる。自営業と従業員を間違えることはあるだろうか。自分なら誰かが嘘でもつかない限り、その2つを間違えることはないだろう。TBSが独自取材に基づいてこのような相反する2つの呼称を用いたなら、裏付けが取れていないことを事実かのように報じた恐れがあるし、警察の発表に基づいて報じたのだとしても、警察の発表を鵜呑みにして裏付けを取らずに報じた事になるだろう。裏付けが取れていなかったことを認める意味でも、なぜ呼称を変えたかについて説明するべきではないだろうか。
この自営業か従業員かというのは些細なことであって、この間違いが誰かに大きな不利益を与える恐れはそれ程高いとは思わない。しかし間違えた点が彼の所属先などの場合には思わぬ不利益を与えてしまう恐れもある。それに、逮捕されたか否かで容疑者と呼ぶかを変えずに、事故を起こし嫌疑がかかっている者を全て容疑者と呼ぶとか、間違いが起きる恐れに配慮して全て「さん」で報じる、若しくは所謂容疑者かどうかにかかわらず、報道で人名を取り上げる場合全て呼び捨てにするとか、おかしな呼称を使わなくて済むような方針であれば、相反する2つの呼称を使用することもなかっただろう。
最初に紹介した共同通信の記事で「さん」付けで呼ばれていることに注目し、SNS上などでは「事故を起こした者になぜ敬称「さん」をつけるのか」、大雑把に言えば「犯人に「さん」をつけるな」という趣旨の主張が複数見られる。
個人的に、犯人だろうがなんだろうが人名を報道する場合は全て「さん」付け、若しくは「氏」でいいと考える。日本では概ね呼び捨ては失礼に当たるとされ、親しい間柄でない限り、というか場合によっては親しい間柄であっても、年下年上に関係なく「さん、君」などの敬称をつけて呼ぶ。「敬称」という字面に引っ張られがちだが、尊敬していなくても「敬称」を用いるのが基本的だ。
例えば、クラスの生徒を呼び捨てで呼ぶ先生もいるが、全て「さん」付けで呼ぶ先生もいる。その通常全て「さん」付けで呼ぶ先生が、喧嘩をして同級生を殴った生徒のことを急に呼び捨てで呼ぶようになったらどうだろうか。万引きをしてしまった生徒のことを呼び捨てで呼ぶようになったらどうだろうか。喧嘩や暴力を止める際や、叱る際などに一時的に呼び捨てにするのではなく、その後クラス内でその生徒だけを呼び捨てにしたり、その生徒だけを「○○生徒」などと呼び始める場合を想定して欲しい。自分はそんな先生は尊敬できない。
その生徒は本当に悪いことをしたのかもしれないが、もしかしたら先生が殴った生徒や万引きをした生徒が悪いと決めつけているだけで、その生徒は他の誰かに命令されてやらされているのにそれが見えていないだけかもしれない。そんな状況で先生がその生徒を呼び捨てにしたら、もしくはその生徒だけ別の呼称、例えば「○○生徒」なんて呼び始めたら、第三者に相当する生徒からも、その生徒が何か悪い事をしたように見えるだろう。つまり呼称を変えるということは、要らぬ先入観を与えかねない側面がある。
余談だが、先月イチロー選手が引退を発表し、引退会見から、それまで概ねイチロー選手・もしくはイチローと呼び捨てだった呼称が「イチローさん」に変わった。スポーツ選手の敬称は概ね「選手」、もしくは何も付けずに呼び捨てにすることが多い。「何故スポーツ選手は呼び捨てで報道するのか」を不思議に思い検索すると、毎日新聞校閲グループの「選手の名前、敬称は必要か」というページが出てきた。
そこに書かれているスポーツ選手を呼び捨てで報じる理由が全く理解できないということはないが、それにしても引退すると急に「イチロー」が「イチローさん」になるのも変な感じがする。毎日新聞の記事には「選手をぞんざいに扱おうという意図は全くないので、その点はご理解をいただきたいと思います」とあるが、場合によっては、この慣習とは関係なくスポーツ選手をぞんざいに扱っている記事・報道もしばしばあり(毎日新聞が、というわけではない)、普段からスポーツ選手へ敬意が充分だと思える報道ばかりなら、この変な感じも生じないのではないか?と思う。