昨日・5/7は、世間的には史上初の10連休明けの平日だった。あるテレビ番組では「令和の仕事初め」なんてまだ言っていてウンザリさせられた。「令和最初の」という枕詞への嫌悪感もさることながら、自分は5/1以降に既に稼働日があったので、その表現にイラっとしたという事もある。勿論、大多数の人にとって5/7が5/1以降初めての稼働日だったということは分かるが、サービス業・小売り業・流通業など、祝日に関係なく働いている人というのも決して少なくない。「令和の仕事初め」なんて言うな、とまでは言わないが、自分同様にその表現をポジティブに受け止められない人も少なくないだろうし、それを表明するのもポジティブに受け止められない者の権利だろう。
そんな5/7に、ハフポスト/朝日新聞は「10連休明け、重い足取り…。「ああ、はじまっちゃったって感じ」人々の声」という見出しの記事を掲載した。この記事にも
各省庁は令和になって最初の通常勤務となったという表現が冒頭にあり鼻につくのだが、 それはそれとして、この記事は連休明けの5/7に東京駅でインタビューをしたという内容で、概ね「連休明けで仕事に戻るのが憂鬱だ」という話が掲載されている。この手の記事は、記者がインタビュー前から予め記事の青写真を描いて望み、それに必要な回答だけを抜粋して記事化している恐れもあり、話半分くらいに受け止めておく必要もあるが、この記事に関しては概ね容認できる内容だったし、抜粋されたインタビューも殆どが頷ける内容だ。
連休最終日の5/6、あるワイドショーで「連休明け初日から仕事モードになる為にはどうすればいいか」という趣旨の特集をしており、連休最終日に翌日の仕事に向けた準備をするとか、憂鬱な気分を払拭する為に次の休みの楽しみを考えるなどの方法を提示していたが、所謂仕事出来る/出来そう系の文化人的なコメンテーターらは前者を、タレント等一般人の代表的な立ち位置のコメンテーターらは後者を推していた。
まず最初に言いたい。10日も連休があったら、その明けの稼働日はリハビリ期間のようなもので、連休明けにいきなり通常モードで仕事をしようなんていうのは、準備運動なしでプールに飛び込むような行為ではないだろうか。10連休でなくても盆休み/正月休み明けだって同じことだし、学校だって長期休み明けの日からいきなり通常通りにフルで授業なんてしない。小学校/中学校ではおよそ5日から1週間程度半日で終業するし、高校/大学だって長期休暇明け後同程度、少なくとも3日前後は授業のない期間がある。ゴールデンウイーク明けはいきなりフルタイムで授業が行われるが、多くの先生は「ゴールデンウイーク明けだから」と雑談から始めるなどのリハビリを行う。個人的には、先生は生徒の為だけでなく自分の為にもそういう慣らし授業をしているようにも思う。
学校でそんなことをするということは、「長期休み明けにいきなりフルタイムでいつも通りの仕事をこなそうなんてのは無理がある」ことの証拠ではないだろうか。
休み明けから通常モードで仕事をこなす準備をしておくのは、社会人として当然の心構えだのような事を、前述の所謂仕事出来る/出来そう系の人が言っているのを耳にすることがある。本来の「頭でっかち」という揶揄の意味を込めて、意識高い系と言ってやりたい。
以前勤めていた会社の上司は、毎日始業の1時間前には出社する人で、始業前に準備をしておくのが当然、始業時間ピッタリにくる奴はやる気が感じられない、ということを平気で言う人だった。上司が部下にそれを言うのは、暗に始業1時間前の出社を強要しているとも言えるだろう。何故なら上司は部下の評価をする立場であり、始業1時間前に出社しないことは低評価の対象だと言っているも同様だからだ。そんなことを言われたら、多くの人は仕方なく始業1時間前に来ざるを得ないだろう。
始業時間から終業時間までが労働する契約を結んだ期間であって、始業1時間前の出社を暗に強制するならば、そもそもその時刻を始業時間にするべきだ。百歩譲って始業前の出社に時間外手当が発生するならまだしも、その会社では始業時間前の出社はおろか、残業代すら支払わない会社だったし、時間外労働は本来強制されるべきものではないのに、それを強制することを平気でやる神経も理解できなかった。
「仕事の準備を休みの間にしておくのは当然」も、それと似たような話でしかない。仕事の準備とは「仕事」であって、休みの日に仕事をしろと言っているも同然だと自分は感じる。「仕事の準備を休みの間にしておくのが当然」ならば、連休最終日は実質的に休日ではなくなる。その準備に何かしらの手当が支払われるならまだ納得も出来そうだが、なぜ休みを仕事の為に献上して差し上げないとならないのかが全く分からない。仕事の準備は仕事の一部だろうから就業時間内にするべきだろう。
個人が「自分は仕事の準備を休みの間にしておこう」という意識を持ち、それを実践するのは一向に構わない。しかしそれを「それが社会人として当然」と他人に強制するような事を言うのは、前段に出てきた上司と大差ないと自分には思える。パワハラ気質のある人だなと感じる。世間では働き方改革だのなんだのと言っているが、結局この手の厄介な意識高い系の人が所謂仕事が出来る/出来そうな人として重宝される限り、働き方改革なんて絵に描いた餅にしかならないように思う。
更に言えば、その手の厄介な意識高い系の人には、仕事が趣味のような人が多いように思う。仕事が趣味の人は仕事が最優先なのは当然だろうが、全ての人にとって仕事が生活の中で最優先ではない。にもかかわらず、何故か「仕事は全ての事に対して優先させるべき」のような認識の人が決して少なくないし、それが当たり前と思っている人も少なくない。自分はキャンプや旅行などのレジャーの約束を、仕事を理由に何度か反故にされたことがある。所謂ドタキャンというやつだ。勿論、仕事を優先するという彼らの姿勢を否定はしないが、実質的に「お前との約束よりも仕事の方が大事だ」という趣旨のことを軽々しく言う人、実際に言葉では表現しなくても態度で示す人とは、それ以降相応の付き合いをする。
自分は他国での生活経験がないので、他と比べてどうというわけではないが、日本の社会には兎に角仕事優先で、他の事を後回しにする人が多すぎると感じている。そんな状況では、残業を規制しようが祝日を増やそうが、本質的な働き方・労働環境の改善など実現しないのではないだろうか。政府の方針にも強い疑念を持っているが、社会全体の風潮にも同程度の懸念を感じている。