2018年の暮れ頃から「平成最後の」という枕詞が飛び交い始めたが、平成最後の月・2019年4月に入るとそれは更に顕著になった。そして4/25の投稿で、改元が終われば今度は「令和最初の」が飛び交うのだろうと書いた。まだ天皇の譲位が終わって、つまり改元されてからたった1日だが、既に令和最初の大洪水である。昨日の投稿でも書いたように、テレビは天皇の譲位と改元に因んだ企画・番組が溢れている。自分がたまたま見た中で特に顕著だったのは、昨夜のTBS・NEWS23のスポーツコーナーで、プロ野球の試合結果を伝える際に、「令和最初の試合・勝ち星・ヒット」など全ての事象にと言っても過言ではない程「令和最初の」を連呼していた。あまりにもしつこいので途中で電源を切った。
この傾向はテレビだけではなく、Webニュースも新聞も程度の差はあれど同じだ。これまでも何度か書いたように、自分は、改元によってまるで何かが変わるかのような社会の雰囲気に全く馴染めない。改元で変わるのは天皇だけで他は何も変わらないのに、あたかも何かがリセットされるかのような雰囲気になっている事には、寧ろ警戒感すら感じる。この天皇の譲位にまつわる企画・記事と改元にまつわるあれこれの氾濫は、前述の通り事前にある程度予測がついていたものの、いざ目の当たりにしてみると、それは自分にとってかなり大きなストレスになっている。この2日間テレビも新聞もWebもニュース番組・記事・サイトを見る気にもならない程ウンザリしている。
このウンザリ感は、改元で何かがリセットされたかのように演出したい人が望むものでもあるだろう。ウンザリして報道全体から目が逸れれば、その他の報道も目に入らなくなる。つまり実質的なリセットが実現する。逆に改元で「何かが変わる」かのように浮かれてくれるのも、それ以外の都合の悪いことから目が逸れるので、その手の人の思惑通りだろう。
こんな事を大して注目も集まらない個人的なブログでこうして書いているのは、そんな人達へのささやかな抵抗だ。
東京工業大学の社会学者・西田 亮介さんも、自分と同じ様に改元のお祭り騒ぎを肯定的に受け止められないようで、「令和への期待を盛んに報じるメディアが陥った陥穽」(RONZA)という記事を書いている。4/1に新元号を発表しただけで、他に大したポジティブな要素もないのに、幾つかの世論調査で政権支持率が5-10ポイントも上昇するような社会であることを考えれば、当該記事で西田さんが示している危惧が取り越し苦労とは全く思えない。
新元号が公表される以前は、「自分は全く使う気はないが使いたい人が使う分には構わない」程度にしか新しい元号の事を考えていなかったし、4/4の投稿でも書いたように、新元号を肯定的に受け止める人達がお祭り騒ぎに興じるのも好きにすればいいと思っていた。しかし、これ程までにテレビでも新聞でもWebでも肯定的な話しか報じられない状況に置かれると、それは作り出された虚像のように思える。何故なら自分は決して肯定的に受け止められないし、自分の周りには冷ややかに受け止めている者は確実にいるし、その量は決して少ないとは言えない状況だからだ。
自分の環境が世間一般と乖離しているのかもしれないが、乖離していようがそれは現実であって妄想ではない。
昨日のMXテレビ・モーニングCROSSの中では、改元初日にもかかわらず、「令和元年が韓国断交元年になればいいな」(削除されたのか当該ツイートは見当たらなかった)という視聴者のツイートが表示されていた。このツイートを探すのに「断交元年 令和元年」でツイートを検索したところ、同じ様な事なツイ―トが複数ヒットした。このような人達はなぜ、めでたい門出の日のはずなのにそんなことを言うのだろうか。韓国が嫌いなのは仕方がないが、わざわざ新元号に絡めてそんな事を言う必要があるだろうか。放送時間内にツイートされた全ての番組タグ付きツイートを画面に表示するわけではないのに、そんなツイートを画面に表示する番組の気もしれない。
当該番組は昨年10月から放送時間が30分短縮され1時間になった。それがこの春の改変期で元に戻ることはなかったが、それもある意味当然だろうと思える。今朝も、ジャーナリストの志葉 玲さんが、入管の非人道的な対応や日本の難民認定の問題について論じていたのだが、それに対しても批判的な視聴者ツイ―トが多く表示され、批判的なだけならまだしも人権を無視する差別的なツイートも少なくなかった。
最近はあまり番組内では言わなくなったが、当該番組は公式ツイッターアカウントでも「視聴者からのご意見も随時番組内で紹介してタブーなきニュース番組を目指します」としている。タブーなき番組を目指すのは大変結構なことではあるが、「朝から胸糞が悪くなるようなツイートをわざわざ見せられたくない」と思う人は決して少なくないのではないか。人権を無視したような内容のツイートや、大きな誤解を招きかねないようなツイートを放送画面に表示して、批判や注釈すら交えずに垂れ流すようでは、内閣府 政府広報室が国民の意見を募る「国政モニター」で、差別的な内容や中傷のような意見がインターネットで公開されていた(朝日新聞の記事)ことに対して、適切な管理が足りていないという批判が集まった件などを教訓にしておらず、同じことをしていると言わざるを得ない。
番組MCの堀 潤さんはしばしば番組で「議論しましょう」と言う。議論とは様々な意見を持ち寄ってそれを吟味することであり、意見を垂れ流すだけでは議論とは言えない。つまり、差別的なツイートや事実に即しているとは言えないような内容のツイートも視聴者の意見として画面に表示するのなら、少なくとも彼や番組、他の出演者らの見解を交えなければ決して「議論」と言えない。それが出来ないなら、画面に視聴者ツイートを常時表示するのは止めたほうがよいのではないか。あたかもそれらを番組が肯定しているかのように見えてしまっている。