子どもと一緒に公園で遊んでいると、子連れの父親を目にするのだが、話しかけにくいのだという。BuzzFeed Newsにこう話す。これは、BuzzFeed Japanの記事「パパにこそ知ってほしい。"罪"を背負った父が全国に広げた斬新な「遠足」」 の一部だ。記事は、子育てする父親の同士、所謂パパ友がほしいと思っている父親の為に企画された #ゆるゆるお父さん遠足 というイベントが注目されている、という内容だ。「ゆるゆる」と題しているように参加表明もいらなければいつ来てもいつ帰ってもよいイベントだそうで、参加者であることを示す為に「今は話しかけても大丈夫」のサインとなるリストバンドを腕につけるのだそう。発起人によれば、「自分と子どもの気が向いたら(他の参加者に)話しかけ、そうでなければ話しかけないのもあり」とのこと。
「子育てに対するスタンスが、わからないんですよね。休日に奥さんから『あんた公園に連れてってよ』って言われている人なのか。『行ってくるわ』って子どもを率先して連れて来ている人なのか」
スタンスがわからないが故に、話しかけて良いのか、何を話せば良いのかを考え、結果として話さないで終わってしまいがちだというのだ。
自分が注目するのは「男性の育児参加とその環境について」ではなく、日本人のコミュニケーション下手さ加減についてだ。
子育てする父親は以前に比べれば増えてはいるようだが、それでも、平日日中に父親が子どもを公園に連れて行ったら「誘拐か?」と疑われたとか、幼稚園や保育園の保護者間でも、意識的・無意識的に男性を排除するようなケースがある、なんて話もまだまだある。この記事はそのような話とは少し毛色が違うが、冒頭で記事から抜粋した部分で表現されている感覚は、そんな体験や似たような体験の影響も少なからずあるのだろう。
しかし、「スタンスがわからないが故に、話しかけて良いのか、何を話せば良いのかを考え、結果として話さないで終わってしまいがち」という部分から自分は、
話しかけないなら相手のスタンスが分からないのは当然だと強く感じた。勿論その悪循環を解消する為に発起人が同イベントの開催を呼びかけ、同じ様な認識を持つ者が集まったことでイベントが注目を浴びているのだろうから、自分達のコミュニケーション下手な部分をカバーする仕組みを設けようとする姿勢は素晴らしいことだと思う。
昨今、ナイトクラブ通いをする人や、何かにつけて、例えばハロウィンなどに渋谷や六本木に集まってくるような人達をパリピと呼ぶ。自分も20代はほぼ毎週末、最盛期には週の半分ぐらい寝る間を惜しんでクラブで遊んでいるような、今風に言えばパリピだった。
クラブ通いをする人達は大きく2種類に分けられる。まず一方は異性との出会いを目的とする人達、言い換えればナンパ目的・ナンパ待ち目的の人達だ。もう一方は世間の人達が持つパリピのイメージとはやや異なるかもしれないが、自分の家では到底出せない大音量を求めてクラブ通いする人や、自分の好きなDJ・ジャンル等音楽を追求する為にクラブ通いをする音楽目的の人達だ。当然それらは主目的であって、ナンパ目的の人も全然興味のないジャンルのイベントには行かないだろうし、逆に音楽が主目的でクラブに来ていても、気になる女の子がいたら声をかける人はいる。ただ、どちらにも共通して言えるのは、彼らは概ね見ず知らずの人と盛り上がれる人達、気軽に話かけることが出来る人達だという事だ。
しばしばパリピは馬鹿にされるが、彼らはコミュニケーション能力に秀でているとも言えるだろう。但し、クラブという場所に集まる者同士、特定の音楽のジャンルに絞ったイベント、目当てのDJが出演するイベント、ハロウィンなどの名目で集まった者同士などの共通点があるので盛り上がりやすい、見ず知らずの人でも話しかけやすいという意味では、ゆるゆるお父さん遠足 と似たような側面もある。参加表明もいらなければ、いつ来ていつ帰ってもよい点も共通している。
クラブ通いをしていたこともあり、日本人以外の知り合いもそれなりにいるのだが、日本にいる外国人は総じてコミュニケーション能力が高い。自国を離れて他国に出てくるような人達のコミュニケーション能力が高いのはある意味当然かもしれないが、それでも日本人は概ねコミュニケーション能力が低い傾向にあると感じる。アメリカでは結構知らない人、通りすがりの人から「そのTシャツいいね、どこで売ってるの?」とか、「カッコいいスニーカーだね」みたいに声をかけられた。
自分は海外での生活経験があるワケではないので、アメリカでは売って無さそうなものが単純に珍しかっただけかもしれないと思い、アメリカでの生活経験のあるオーストラリア人の友人にその体験について聞いてみたところ、彼はクルマ好きなのだが、アメリカでは見ず知らずの人から「カッコいいクルマだね」と褒めて貰えることが結構あったそうで、「その感覚は的外れではないと思う」と彼も言っていた。勿論日本でも珍しいクルマに乗っていれば、もしくはかなり手間をかけた目立つクルマに乗っていれば、見ず知らずの人も声をかけてくるだろうが、彼がアメリカで乗っていたのはスバルのインプレッサというごく普通の大衆車で、ホイールを変えて車高を少し下げていた程度だったそうだ。
誤解のないように言っておくと、アメリカ人にも他の国にも間違いなく内向的な人はおり、全員が全員コミュニケーション能力が高いわけではない。ただ、全体的な傾向から言えば、日本人は他に比べてコミュニケーション下手な人が多いという話である。
6/13の投稿「「間違うこと」よりも「間違いを認められないこと」の方が絶対的に恥ずかしい」の中で、
みんなと同じ横並びを過度に奨励し、失敗を極力避け、間違いは極力起こしてはいけないという認識を子どもの頃から植え付けている側面が、日本の教育には確実にある。と書いたが、 日本人がコミュニケーション下手なのは、つまり、見ず知らずの人に気軽に話しかけられないのは、「なんだコイツ?と思われたらどうしよう」とか、「相手の時間を邪魔してはいけない」とか、やはり失敗を極度に恥と捉える感覚があるからかもしれないと感じる。また「変な奴と思われたくない」という、横並びを重視する側面の影響もあるかもしれない。そんな風潮が自己主張をすることを妨げてもいるのだろうし、コミュニケーション能力不足にも繋がっているのだろう。
結局のところ、何事も経験だし、全ての人が自分の事を肯定的に受け止めてくれないのも当然で、もし見ず知らずの人に「なんだコイツ?」と思われてもその後の人生には殆ど影響しない。寧ろ「なんだコイツ?」と思われるかもしれないリスクをとらなければ、相手がどんな人なのか、どんな考えを持っている人なのかなど永久に分からないし、人間関係は殆ど広がらない。
勿論「人間関係など広がらなくても一向に構わない」という人はそれで構わないのだろうが、冒頭で抜粋したBuzzFeed Japanの記事で紹介されているような、人間関係を広げたいのに「相手のスタンスが分からないから話かけられない」と言っている人を目の当たりにすると、「若い内にナンパの一つもしてこなかったからそういうことになるんだよ」と感じたりもする。
よくある話だが、ナンパを繰り返せば見ず知らずの人に話しかけることに抵抗はなくなるし、無視されてもだんだんそれ程気にならなくなる。無視されても続けていれば、どう話かけると無視されづらいのかなどの傾向も見えてくるし、話を聞いてくれなさそうだと思っていた人が実は聞いてくれたりすることなども分かる。
世の中には色々な人がいるのだから、1000人に話しかけて100人が話を聞いてくれて、その内の10人と仲良くなれれば御の字だろう。逆に言えば、見ず知らずの人にでも気軽に話かけることができなければ、仲良くなれる人と出会う確立はかなり下がる。勿論人それぞれ傾向に差はあるだろうが、子どもの頃は多くの日本人も、公園にいた見ず知らずの子と仲良く遊べたはずだ。なぜ大人になるとそれが出来なくなるのだろうか。やはり日本型教育に何かしらの問題があるのだろう。