6/3、「「職場でのハイヒール強制なくして」1万8千筆の署名を厚生労働省に提出」」(BuzzFeed Japan)という話がSNS上などで話題になった。BuzzFeed Japanの記事を例として挙げたが、他にもいくつかのメディアはこの件を取り上げていたし、それらの記事が掲載される以前から、自分のツイッターのタイムラインに署名を募っていることをアピールするツイートがいくつか回ってきていたので、このような動きがあることは知っていたが、1万8000件もの署名が 集まっていることは記事で知った。
掻い摘んでこの動きの内容を紹介すると、サービス業などの職種で女性スタッフにハイヒール着用を義務付ける企業の多さがまず背景にあり、外反母趾の主な原因の一つにも挙げられる靴の着用を企業が従業員に強制すること、つまり健康を害する恐れのある靴の着用義務に強い疑問を感じた女性が声を上げ、署名を募って厚労省にその意を伝える、という内容だ。
これに対して根本厚生労働大臣がどんな見解を示したのかが昨日話題になった。個人的な感覚だが、6/3よりも昨日・6/5の厚労大臣の反応に関する話の方が注目度が高かったように思う。自分は厚労大臣の反応を、共同通信の記事「根本厚労相、パンプス強制を容認」で知った。この記事にはこうある。
女性にハイヒールやパンプスを強制する職場があることに関し、根本匠厚生労働相は5日の衆院厚労委員会で「社会通念に照らして業務上必要かつ相当な範囲」と述べ、事実上容認する考えを示した。ネット上で反対活動が広がっており、発言は波紋を呼びそうだ。因みに共同通信は他にも「パンプス「業務で必要」と容認 厚労相発言、波紋呼びそう」という見出しの記事を掲載しているのだが、この記事の見出しは現在「パンプス着用、社会通念で 厚労相、容認とも取れる発言」と一歩トーンを下げた内容に差し替えられている。因みに、BuzzFeed Japanの記者・籏智 広太さんは、各社がこの件に関する記事に掲げた見出しをまとめてツイートしている。
根本大臣の「パンプス義務づけ」をめぐる「社会通念に照らして業務上必要かつ相当な範囲」発言、各社表現まとめ— はたちこうた Kota Hatachi (@togemaru_k) 2019年6月5日
朝日:容認する姿勢
共同:事実上の容認→事実上の容認とも取れる
産経:事実上容認
BFJ:同上
ハフポスト:述べた
NHK:とどまるべき
毎日:触れず(パワハラについて指摘)
読売:同上
実際に根本氏がどのように発言したのかについては、BuzzFeed Japanの記事「「社会通念を考え直してほしかった」ヒール強制の容認発言、声を上げた女性の思い」に掲載されているので、どの見出しが事実に即しているのかをそれぞれ考えてみて欲しい。
自分の受け止めは、BuzzFeed Japanの別の記事「これって「社会通念に照らして業務上必要な範囲」ですか?」に書かれているのとほぼ同じで、
また一つ厚労省が「厚生」を名乗るのにも「労働」を名乗るのにも相応しくない案件が増えたと考えている。 更に言えば、現政権は「女性活躍」とか「すべての女性が輝く社会づくり」(首相官邸)なんて言っているが、それは単なる美辞麗句であって、女性が働きやすくなる社会を実現するつもりなどないという事がよく分かる件、とも言えるだろう。
何故厚労省が「厚生」を名乗るのにも「労働」を名乗るのにも相応しくない案件が「また」一つ増えた、と考えているのかと言えば、厚労省が
- 働き方改悪に与するデータ捏造隠蔽
- 年金の管理もまともにできない
- 勤労統計はいじる
- 障害者雇用は担当省庁にもかかわらず水増しする
「厚生」生活や身体などを豊かにすることに努め、為の国家機関と言えるだろうか。厚生労働省は最早「厚生省」でも「労働省」でもない、と断じても決して言い過ぎではないだろう。
「労働」者の権利を守る
更に言えば、緊急避妊薬(アフターピル)に関する政策でも、厚労省が当事者感覚を欠いた対処をしていると言わざるを得ない。詳しくはYahoo!ニュース個人「緊急避妊薬オンライン処方「ただし性犯罪被害者に限る」は性被害者を救わない」を読んでみて欲しい。厚労省や現政権が如何に女性の立場を軽視しているかがよく分かる。
せめてもの救いは、ハイヒール強制について、女性としての見解を求められた高階 恵美子・副大臣が「強制されるものではないのだろうと思います」と述べたことだ。このような事からも、政治家や官僚、そして企業の役員等で男女比を適正化することに重要性があることがよく分かる。現在の不合理な状態を解消する為には、ある種の荒療治でもあるクォーター制の導入が近道なのではないか。
一部の女性(だけでなく男性も)がハイヒール強制に対して声を上げた事について、「男性だってスーツやネクタイ、革靴着用を強制されているのに何言ってんだ?」的な批判をする者が少なからずいるようだが、そのような主張をするということは、スーツやネクタイ・革靴の実質的な強制に疑問を感じているということだろう。ならばハイヒールの強制に対して声を上げた女性たちと同様に、スーツやネクタイ・革靴の着用強制に対して疑問の声を上げるのが妥当な筋であって、なぜ「俺たちも我慢しているんだからお前らも我慢しろ」のような発想になるのだろうか。全く理解に苦しむが、恐らく日本の「我慢・耐える事・他の人と同じ事を美徳とする教育」の弊害で、その色に染まってしまっているのだろう。
4/16の投稿でも触れたが、日本の就職活動等では画一的なスーツが蔓延している。蔓延していると書くと悪いことのようだが、決して悪いことばかりではないかもしれない。しかし自分の感覚では、良い面よりも悪い面の方が大きいと思えるので敢えて「蔓延」とした。学生が所謂画一的なリクルートスーツを着る動機は、企業が求めるからという側面もあるだろうが、何とか取り繕って少しでも自分を良く見せたい、つまり実際の自分を隠したいから着る側面もあると思う。ということは企業は、寧ろスーツを着てこない学生こそ採用する価値があるのではないだろうか。しかし日本では未だに波風立てない協調性こそが最も重要といった価値観があるようで、そんな風潮にはならない。その辺にこそ、日本で多様性や個性の尊重が浸透しない理由があるのかもしれない。
多様性や個性の尊重が浸透しない限り、少数者の権利も確立しないだろうし、差別や偏見も決してなくならないだろう。そんな社会では、確実に少数派となる外国人を受け入れれば軋轢が生じるのは間違いない。というか、片言の日本語でサービス業・小売り業(飲食店やコンビニ等)で働く外国人に対して罵声を浴びせる大人げない客を見かけることは決して珍しい事でなくなっており、既に軋轢は生じていると言えそうだ。
今の日本社会に最も必要なことは多様性や個性の尊重を浸透させることだ。自分達の多様性すら尊重出来ない国・社会に、文化的な背景が異なる人達、つまり外国人を受け入れれば確実に深刻な問題が起きる。というか厳密に言えば「受け入れられるはずがない」。それは欧米社会を反面教師にすれば誰にでも分かることだ。
追記:
紹介したメディア各社の見出し比較については、「女性への「ヒール・パンプス強制」めぐる大臣答弁、メディアの報じ方が"真逆"に?その背景は」という見出しで記事化もしたようだ。