昨日の投稿でも、お笑い芸人が事務所を通さずに反社会的な組織のパーティー等に参加して金銭を受け取っていた問題 について書いた。今日も同じことについて取り上げるが、昨日とは別の側面に注目する。
6/24に よしもととワタナベエンターテインメントは、当初「出演に際して金銭を受け取っていない」としていた、雨上がり決死隊・宮迫博之、ロンドンブーツ1号2号・田村亮、レイザーラモン・HG、ガリットチュウ・福島善成、くまだまさし、ザ・パンチ・パンチ浜崎、天津・木村卓寛、 ムーディ勝山、2700・八十島宏行、2700・常道裕史、ストロベビー・ディエゴ(ここまでよしもと所属)、ザブングル・松尾陽介、ザブングル・加藤歩(ワタナベ所属)らが、実際は金銭を受け取っていたことが発覚したとして謹慎処分を発表した(BuzzFeed Japan「吉本興業の芸人11人、“闇営業”で謹慎処分 雨上がり決死隊・宮迫ら(謝罪コメント全文)」/ お笑いナタリー「ザブングルの謹慎処分をワタナベエンターテインメントが発表」)。
この件で注目が集まったのは、この中では最も有力なタレント、雨上がり決死隊・宮迫博之、ロンドンブーツ1号2号・田村亮らの出演番組に関してだ。彼らのレギュラー出演番組は複数あり、それらに関しても取り沙汰はされたが、中でも動向が注目されたのは、2人が相方とそれぞれコンビで名を冠して番組MCを務めており、共に長い放送期間を誇るテレビ朝日「アメトーーク!」と「ロンドンハーツ」だった(BuzzFeed Japan「「アメトーーク!」「ロンハー」「行列」今後の放送、どうなる?各局に聞いてみた」/ ハフポスト「「アメトーーク!」「ロンハー」今週分の放送決定。宮迫博之と田村亮の出演部分は「再編集」」)。
どちらの番組も処分が発表された先週の放送からは、事前に収録していた分なので当初は映っていたであろう当該芸人2名が編集によってカットされていた。
田村 亮さんは元々相方の田村 淳さんに引っ張ってもらうスタイルで、番組MCというよりも淳さんのアシスタント的な立ち位置だったこともあり、ロンドンハーツの再編集にはそれ程大きな違和感はなかった。しかし、宮迫 博之さんは相方の蛍原 徹さんと同じくらい、場合によってはそれ以上の存在感があったし、しかもアメトーークではMCが向かって左、ゲスト出演者が右に陣取るという形式で収録される事が多いのだが、当該回はMCが中央に陣取ってその両側にゲスト出演者らが座るというスタジオ内の配置だったこともあって、スタジオ全体のカットもなければ、中央のMC席のカットもなく、左右それぞれのゲスト席のカットにたまに蛍原さんだけのカットが挿入されるという、左右の芸人らと蛍原さんが3つの別のスタジオでお互いに中継を介して話しているような雰囲気に見える不自然な編集になっていた(ハフポスト/オリコンニュース「『アメトーーク!』、宮迫博之の出演シーンをカットし放送」)。
アメトーークの当該回の編集が不自然だったことは否めないが、それは宮迫さんが謹慎処分になることなど考慮せずに収録したものを強引に再編集したから生じた不自然さであって、アメトーークの番組スタイルは宮迫さんがいなければ成り立たないというわけでもないだろう。蛍原さん1人、若しくは別のアシスタント的存在を加えれば十分に成り立つ番組だと思う。ロンドンハーツは、一応ロンドンブーツ1号2号の名を冠しているものの、実質的には田村 淳さんの冠番組という印象が強く、淳さんがいなければ成り立たないかもしれないが、亮さんがいなければ番組が成り立たないかどうかは言うまでもない。
そんな考えもあって、自分はハフポスト「「アメトーークとロンハーもう見れないの?」 宮迫博之らの謹慎処分、冠番組の行方に不安の声も」を読んで次のようにツイートした。
これで番組打ち切るようなら、局なのかスポンサーなのかは分からないが、「ピエ瀧電グル楽曲取り下げ騒動から、芸能業界は何も学んでいない」という事を証明することになる。どちらも当該タレントがいなくても成立させられる番組でしょ?https://t.co/WaPesvyvgP— Tulsa Birbhum (@74120_731241) June 24, 2019
「ピエ瀧電グル楽曲取り下げ騒動」とは、ピエール瀧さんが3月にコカイン吸引で逮捕され、その影響で彼が所属する電気グルーヴの楽曲が各種サービスで配信停止、CD販売店からも撤去されるという事が起き、相方の石野 卓球さんのイベント出演まで取り止めが発表されたなどの一連の騒動のことだ。
それについて書いた3/16の投稿「連帯責任の無意味さとサブスクリプションサービスの危うさ」では、SNS等で差別的・暴力的など過激な主張を繰り返している、作家でNHK経営委員も務めたこともある百田 尚樹氏(Wikipedia)と、彼のヒット作「永遠のゼロ」の例を挙げ、
作品と作家/作り手の人間性は分けて考えるべき、特に映画や番組等は中心的な人物以外にも多くの者が関わっているのだから、短絡的な「臭い物に蓋」的対応は好ましくないという持論を書いた。この話は、6/25の投稿「安倍首相問責決議案の審議に関連して」で触れた、国会でいい加減な演説をした三原 じゅん子氏(毎日新聞「三原じゅん子議員の演説をファクトチェック 年金減額、安倍政権も 年平均1348円、民主党政権の倍」/ 文春オンライン「「恥を知りなさい!」演説の三原じゅん子に、影響を与えた政治家たち」)が、HPVワクチンに関する妥当な論を示しても、勿論政治的イデオロギーと子宮頸がんの話は分けて考えるべきだろうが、どうしても陳腐に聞こえてしまう、という話とも類似性がある。
自分には複数絵描き/写真家の知り合いがいる。画家や写真家と聞くと、多くの人は「純粋に技術だけで勝負する世界に生きている人」というイメージを抱くかもしれない。しかし実際はそうではなく、何を描くか/撮るか、そしてその絵や写真に込めた描き手/撮り手の思いも含めて作品が買われる。それを如何に顧客に伝えて買って貰うか、顧客予備軍にアピールして顧客になって貰うかも、画家/写真家が大成する為には欠かせない重要な要素の一つだ。つまり絵を買う/写真を買うということは、絵そのもの/写真そのものだけでなく、それを生み出した画家/現実から切り出した写真家の人間性も含めて買っているということだし、画家/写真家のファンになるということは、絵や写真が気に入るというだけでなく、その作り手の人間性も含めて好きになるということだと言えるだろう。
これは画家や写真家に限らず、音楽家やDJ、そしてお笑い芸人や漫画家・文筆業だって同じだろうし、つまり言い換えれば芸術家/アーティスト等、価値のないものに価値を吹き込む人達全般に言える事ではないだろうか。特にアイドルはその傾向が強く、純粋に楽曲が好きだからファンになったという人もいるだろうが、ひたむきに頑張っている姿に惹かれ、楽曲の良さ・歌のうまさはよりもその子が歌っているからという事を重視して楽曲を購入するという人も多いだろう。
つまり、前述の話とは矛盾してしまうが、作品と作家/作り手の人間性は切っても切り離せないようにも思えてくる。
番組を制作する局や番組に出資するスポンサーも、視点を変えれば特に冠になるような出演者、つまり雨上がり決死隊・宮迫さんやロンドンブーツ1号2号・田村 亮さんの人間性も含めて評価して番組に起用してたという風にも考えられるので、彼らが、ついてはいけないレベルのウソをついたという事を勘案すれば、番組打ち切りを検討するのも仕方ないようにも思える。番組は彼らの作品であり、人間性に共感できない者の作品に対する出資はしたくないというと感覚も分からなくもない。
そう考えると、出演者・書き手・歌い手等の不祥事によって作品が影響を受けるのもある程度は仕方ないようにも思う。但し、絵画や写真、文章は概ね作家/作り手一人で作り上げるものだが、マンガや音楽は中心的な人物以外にも多くの人が関わって作品が作り上げられることがしばしばあるし、アニメや映画、ゲーム等は基本的には一人では作品を作り上げることは不可能なので、結局作品と作家/作り手の人間性の関係をどう考えるかはケースバイケースで、「この考え方が常に正しいと言えるようなことはない」というのが実情ではないだろうか。
ロンドンハーツについては前述の通り田村 亮さんが謹慎処分になっても特に違和感もなくこのまま番組は継続しそうだが、アメトーークに関しては、 今まで募集していた番組Webサイトでの番組収録の観覧募集が、この件を境に中止されたという話がある。
このスクリーンショットは7/2の番組Webサイトだ。但し、自分は6/24以前の状況を確認していた訳ではないので、この観覧を募集していない状況が何時からなのかについては明言できず、果たして宮迫さん謹慎処分の影響かどうかは定かではない。しかし、ロンドンハーツとは異なり、アメトーークは雨上がり決死隊の2人がそれぞれに存在感を示していた番組であることは間違いなく、もしかしたら、出演者や番組タイトルを含めたリニューアルが行われるのかもしれないという気もしなくもない。あくまでも個人的な推測でしかないが、蛍原さんを含めた雨上がり決死隊の降板なんてこともあるかもしれない。
その反面、ロンドンハーツに出演していた田村 淳さんの、この件に対する反応は実に見事だった。自分はハフポスト「ロンブー田村淳、相方・亮を叱責しつつコンビ続行を宣言 「最後の1人になっても厳しい目を向け続けたい」(声明全文)」を読んでそう感じ、以下のようにツイートした。
立ち回りが上手い。並みの芸人だったらトロサーモンやインパルスみたいに何もしてない相方も干されちゃうし、ロンブー級だって対応を一つ間違ったら同じ事になりかねない。なのに自分の立場を確保しつつ、相方の復帰の可能性まで最大限確保してる。流石としか言いようがないhttps://t.co/iUHId2qowV— Tulsa Birbhum (@74120_731241) June 25, 2019
今回の件では、昨日の投稿でも触れたように、よしもとのマネジメントの至らなさ加減や芸人に対するギャラ配分の低さの影響を指摘する声も決して少なくない。流石に宮迫さんや田村 亮さんらは相応に稼ぎもあっただろうから、テレビへの露出があまり多くなかった他の芸人らとは状況が明らかに異なるだろうが、そうであっても、これまで芸人として生きてきた者から生業を取り上げてしまえば、彼らの生活は壊れてしまうだろう。ある意味でそれは自業自得でもあるが、何か法を明確に犯したわけではなく、あくまで道徳的/倫理的な問題として処分を科されている側面の方が強く、そう考えると、ある程度何かしらの処分は仕方ないとしても、その後の彼らのことも考えなくてはならないのも実情だろう。
そんな視点で見てもロンドンブーツ1号2号・田村 淳さんの立ち回りは流石だ、バランス感覚に優れているな、と思えた。