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安倍首相、ハンセン病家族訴訟の控訴断念を明言、法の下の平等とは


 国の隔離政策で差別を受けたとして、家族たちが起こしていた「ハンセン病家族訴訟」に関して、政府は、国の責任と一部賠償を認めた熊本地裁判決を受け入れ、控訴しない方針を7/9に示した(BuzzFeed Japan「「青春を返してほしい」ハンセン病、家族たちの現実。裁判が終わっても」)。
 この訴訟は、戦前に始まり1996年まで続いたハンセン病患者の隔離政策に関する訴訟だが、1998年に訴えが起こされた、患者ら本人への賠償を求めた「らい予防法違憲国家賠償訴訟」(Wikipedia・「らい」とはハンセン病のこと) とは異なり、患者の家族らが「国の政策によって患者と同様に差別や偏見にさらされた」という訴えを起こした訴訟だ。

 投稿冒頭のイメージはGoogle画像検索「Leprosy」の結果である。英語ではハンセン病のことを、病原菌の発見者に因んでHansen's diseaseと呼ぶ。又は患者の皮膚の様子が鱗状に見えることに由来してLepra/Leprosyとも表現する。


 まず認識しておくべきは、ハンセン病に関する基礎知識と日本のハンセン病問題の概要だろう。それを説明するとかなり長くなるので、いくつかのリンクを紹介してその代わりとする。
さわりだけをかなり大雑把に説明すると、日本のハンセン病問題は優生保護法と密接に関わる問題で、ハンセン病の感染リスクとは見合わない過剰な隔離政策、つまり患者への人権侵害が、国によって戦前から1996年まで続いたという事案だ。
 現在話題に上っている訴訟は、患者への過大な人権侵害を国が犯した結果、患者だけでなくその家族にも蔑視・差別・偏見が引き起こされたので、その責任を国に求めるというのが訴えの趣旨だ。

 この件について、次のようなツイートがタイムラインに流れてきた。


 このツイートのハッシュタグはMXテレビ・モーニングCROSSの番組ハッシュタグであり、同番組でもこの件を今朝扱っていた。因みに、自分がフォローしている番組MCの堀 潤さんがこのツイートに「いいね」をしたことによって、それが自分のタイムラインに表示された。一応注釈しておくと、堀さんは「いいねは肯定でなくメモの場合もある」としばしば言っている。ただ個人的には、その行為には見過ごせない影響もあるのではないか、ということを5/21の投稿で指摘した。
 この訴訟に関して国が控訴断念したことについて、自分は昨日・7/9の昼頃に誰かがリツイートした沖縄タイムスの記事「ハンセン病家族訴訟、控訴せず 国の賠償確定へ、首相の政治決断」で知った。その記事を読んだ第一印象を次のようにツイートした。


見れば分かるように、前述のツイートと一見大きな差はない。しかし実は大きな差がある。
 どちらのツイートも
  • 首相が控訴しないことを決めた背景に選挙対策の側面があること
  • 背景はどうあれ控訴断念自体は最低限の評価に値すること
の2点については共通している。しかし大きく異なるのは、選挙対策によって政府の対応が変化する恐れがあることが果たして妥当か否かという点だ。さとぼんさんのツイートにはその妥当性に関する明確な意思表示はないが、「それで良いのでは?と思ってる」と締め括られており、自分には「充分とは言えないが妥当性はある」と感じているように見えた。
 なのでこのツイートに対してコメント付きで次のようにリツイートした。



 選挙中/選挙直前のタイミングであるから、安倍首相は控訴しないという判断に至ったのではないか
という見解は彼と自分の共通認識である。それが実際にそうか否かは断定できないが、自分達以外にも同様の見解は少なくない。つまり決して少なくない人が、選挙中というタイミングではなかったら、首相が同じ判断をしたかどうか怪しいと思っているという事だ。
 その推測の妥当性を更に補強しておきたい。安倍氏はこの件について、昨日・7/9の昼前に官邸で記者に対して自ら見解を述べた。TBSニュース「ハンセン病元患者の家族訴訟、国が控訴を断念」によると、安倍氏はその中で
 筆舌に尽くしがたい経験をされたご家族の皆様のご苦労をこれ以上、長引かせるわけにはいきません。異例のことではありますが、控訴をしないことと致しました
とコメントしている。


彼は控訴しないという判断は「異例」だと自ら言っている。ということは、「普通なら控訴する案件だが、今回は特別にしないことにした」と言っているとも考えられる。
 更に注目したいのは、彼が「筆舌に尽くしがたい経験をされたご家族の皆様」と言っている点だ。ハンセン病患者の家族に「筆舌に尽くしがたい経験」をさせたのは、合理性のない隔離政策を何十年も続けた日本政府だ。確かに彼はその当時は政治家でも首相でもないが、現在は間違いなく日本の首相である。つまり、合理性のない政策によって悪影響を受けた者に対しての責任を第一に負う立場である。ならば「筆舌に尽くしがたい経験をされたご家族の皆様」ではなく、「国が筆舌に尽くしがたい経験をさせてしまったご家族の皆様」とするべきではなかったのではないか。その言葉が出てこないという点から、彼には国の代表、責任の主体であるという意識はなく、まるで他人事として認識しているように見える。
 その点からも、「熊本地裁の判決は受け入れ難く、国に責任があるとは思ってもいない。なので本来は控訴するべきだが、今回は原告に忖度して控訴しないことにしてやった」のような認識なのだろうと、非常に残念だが推測できてしまう。

 安倍氏はコメントで、「ハンセン病患者家族が筆舌に尽くしがたい経験をしたということを考慮して控訴を取り止める」としているが、前述のように「これは選挙期間中だからなされた判断だ」と考えている者は決して少なくない。それが実際に即しているかどうかは別として、そのように見えているなら、
 選挙期間中という理由で判断が変わるのならば、選挙期間中でなければ同様の案件であっても責任を認めずに控訴するということになるので、それは日本国憲法第14条に定められた「すべての者は法の下に平等である」という規定に反する
という認識になる筈だ。つまり、確かに今回の件に限れば「控訴しない」という判断に至ったことに関しては最低限の評価ができるが、選挙期間中でなかったらその判断は下されなかったということになる為、「それで良かった」とは決して言えないだろう。


 このような内容の前述の自分のコメント付きリツイートに対して、さとぼんさんは次のようにリプライしてきた。


 このツイートの前半部分は、「背景はどうあれ控訴断念自体は最低限の評価に値する」というこれまで通りの趣旨なので何も異論はない。残念なのは後半部分の「むしろ現野党が政権政党の時に手が下せなかったことを悔やんだらどうですか?」だ。
 話が急に与党の対応/野党の対応という政局の話になったこと自体がまず解せない。これまでに一切そんな切り口でのやり取りはなかったし、明言はしていないが、自分がしていたのは与党批判ではなく、安倍氏の姿勢・政府への批判である。同じ姿勢を別の首相/政権が示したとしても間違いなく同じ批判をする。
 この一節が出てきたということは、結局彼が「それで良かった」としたのは、安倍氏/自民党/現政権の擁護という側面が強いということなのだろう。つまり、やはり彼は、安倍氏の判断が選挙目当てだったとしても「充分とは言えないが妥当性はある」と考えているということのようだ。
 前政権云々などと言うのならば、ハンセン病患者の家族に関する問題に対応してこなかったのは、彼の言う旧民主党政権以前の自民政権も同じだ。自民か否かに関わらず、対応してこなかったこれまでのどの政権も評価できない。また、結果として控訴断念という判断に至ったということだけは最低限評価できても、その判断は選挙で良い結果を得る為に切った、法の下の平等という憲法の規定に反する恐れのあるカードであることを考えれば、概ね評価などできないとするのが妥当ではないか。

 法の下の平等を犯すというのは、法治国家/民主主義を壊しかねない最悪の事態だ。そんな者が選挙の争点は「憲法改正」だと訴えていて、その者が長を務め、彼の所属政党で構成されている政権の支持率が不支持率を上回り、50%以上もあるというのはかなり危機的な状況だと思えてならない。

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