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マンホールでなくメンテナンスホール?固定観念を生み出すのは表現ではなく人の意識


 カリフォルニア州バークレー市議会は条例で「マンホール(manhole)」を「メンテナンスホール(maintenance hole)」と呼ぶことに決めたそうだ。トップ画像はMET JeongによるPixabayからの画像を使用した。
 AFPの記事「「マンホール」とはもう言いません、ジェンダー配慮で用語変更 米バークレー市」によれば、トランスジェンダーや従来の性別の概念に当てはまらない人々への配慮で、性別による区別のある表現を区別のない表現へ置き換える条例が可決されたらしい。マンホールはあくまでも1つの例であり、他にも「マンパワー(manpower、労働力)」は「ヒューマンエフォート(human effort、人力)」に、保証人を意味する「ボンズマン(bondsman)」は「ボンズパーソン(bonds-person)」に変更されるそうだ。また「妊婦(pregnant woman)」も「妊娠中の従業員(pregnant employee)」に置き換えられ、女子学生の社交クラブ「ソロリティー(sorority)」と男子学生の社交クラブ「フラタニティー(fraternity)」は共に「ギリシャ式学生会館(collegiate Greek system residence)」となるらしい。
 英語に明るくないので、英語を母国語とする者がどう感じるのかはよく分からないが、個人的には少々過剰なのではないか?と感じられる。


 極めつきとして、同市の公的な文書・公的な場では
 「彼」「彼女」などの代名詞の使用も避けることが求められる
とのこと。
 WebやSNS上でのコミュニケーションが増えてから、性別の定かでない人とやり取りをする機会も増え、第三者の代名詞を彼とすべきか彼女にすべきか迷うことがしばしばある。自分は相手の性別が定かでない場合は基本的に「彼」を用いることにしているが、「私」や「あなた」のように、性別を問わずに使用できる第三者を示す代名詞があればいいな、と感じることは確かにある。ただ個人的には、「彼」は、例えば「彼の地」のように、性別を問わずに用いられる場合もある為、女性に彼を用いてもよいと思っている。
 「man」も確かに男性性を主に表現する単語ではあるが、「彼」と同様に人全般を示す場合もあると捉えることもできるだろう。

 しかし、「man」は人間全般を示す表現なのかについて検索していると、「「MAN」についての考察 - 山久瀬洋二ブログ」というブログ投稿が出てきた。それによると昨今英語では、人を「man」と表現することを、男性と女性を差別する要素があるとしてタブー化しつつある状況らしい。前段の例の中にもそのケースがあったが、「man」のかわりに「person」が主に使われるようになり、「議長」を意味していた「chairman」が「Chair」とされ始めているなど、「Man」を省くケースもあるようだ。
 それと関係性があるかどうか定かでないが、海外ドラマでもHey Men!ではなくHey guys!の方をよく耳にする。それは単に流行り廃りのようなものかもしれないが。

 興味深いのは、「man」を人全般を示すのに用いることがタブー化されつつある理由が、過去、男性にしか権利が認められていなかった頃に、全ての人を表現する場合に「men」が用いられていたからという点にあるという話だ。つまりman/menという表現は男女の格差や差別が内包されているからという理由らしい。英語圏にはそのようなニュアンスでman/menを用いる人がまだまだいるのかもしれないが、個人的にはそこまで過敏にならずに
 man/menはhumanと同じで人全般を示していると解釈すればいいのに
と思ってしまう。
 日本語では以前、女性を「看護婦」、男性を「看護士」と表現していたが、現在では性別を問わない「看護師」が主に用いられている。コトバンク/大辞泉によると「士」には
  • 男性/男子
  • さむらい/武士
  • 一定の資格・職業の人(弁護士)
などの意味があり、男性を示す意味の他に、性別を問わず資格や専門的な職能を指す場合もある。看護士の場合は男性を示していたようだが、今のところ日本では、女性でも「弁護士」「会計士」などを用いており、それは差別的な表現とはされていない。寧ろ「女弁護士」などの方が、「女をわざわざつけるということは、弁護士は元来男の仕事と思っているのか?」と槍玉に上がりがちだ。つまり「士」は元来男性性を示す文字だったが、現在では性別を問わず人全般を示す文字として、概ね肯定的に認識されていると言ってもよさそうだ。



 というツイートが今朝タイムラインに流れてきた。確かに男が黒で女が赤というイメージは自分にもある。ただ、トイレのピクトグラムの場合は色なしの場合も多いように思えた為、本当に「だいたいトイレの表現ってそうなっている」のかどかを、Googleのイメージ検索(トイレ ピクトグラム)で調べてみた。その結果、男性側は黒よりも青の方が多かったが、女性=赤の場合は確かに多かった。


 この画像はIsa KARAKUSによるPixabayからの画像を使用したが、男性のピクトグラムの色を元ツイートに合わせて黒く変更した。女を赤で、男は黒(若しくは青)で表現することには、確かに固定観念に繋がる恐れがある。しかしそれを言いだすと、ピクトグラムのデザイン自体も「スカートは女性が履くもの」という固定観念を植え付けかねないと言えるのではないか。トイレに限らず女性を示すピクトグラムの多くには大概スカートがデザインされている。


 ピクトグラムを止めて漢字にしたとしても固定観念に繋がる要素はある。 女という字は神に仕える様子が文字化されたそうだが、男は、誰の目にも明らかなように、田に力を込める、つまり外で働く者を示している。因みに力は鋤の形を文字化したそう(共同「(51)「女」 ひざまずく女性の姿」)。女の方には固定観念に繋がる要素はなさそうだが、これが嫁になるとどうか。家に仕える女を嫁と表現するので、固定観念に繋がる要素は全くないとは言えないだろう。


 4/11の投稿「○○らしさの表現、○○らしさの押し付け」 で書いたことと似ているが、説明を簡略化するには、それらの要素のステレオタイプを抽出する必要がある。女を連想させるのに赤を、男性を連想させるのに青や黒を用いることや、女性を表現するのにスカートを用いること、男や女、嫁等の漢字を用いることをタブー化することに果たして合理性はあるか。それらには確かに固定観念に繋がる恐れもあるが、同時に認識のしやすさも提供している。
 嫁や男の漢字は、男は外で働き、女は家を守るという今から見れば古い価値観の元で生まれたものだ。しかし、英語圏で人全般を示す際にman/menを排除しつつあるように、これらの背景に古い価値観があるから、固定観念に繋がる恐れがあるからなどの理由によって、その使用を嫌悪したり排除したりしたら、明らかに利便性が損なわれる。嫌悪したり排除するよりも、現在の価値観には必ずしも沿わない文字の成り立ちであることを認識しつつ、単なる記号として使い続ける方が合理的ではないだろうか。だから自分には、英語圏でのman/menを排除しようという傾向は過敏だと感じられてしまう。

 最後に付け加えておくと、途中で紹介したツイートは、その真意は定かでないが、女を赤/男を黒で表現することを全般を否定しているのではなく、あくまでも固定観念に繋がらないようにしなければならないと言っているようにも見える。
 7/4の投稿でも触れたことだが、 「ハーフからダブル/ミックスへの言い換え」や「支那人は蔑称か?」「障害者と障碍者」などと同様に、何かをタブー化しても状況が好転するとは限らない。固定観念に繋がらないように啓蒙する必要はあるだろうが、昨日の投稿でも書いたことだが、個人的には、表現の短絡的なタブー化等、臭いモノには蓋をすればよいという考え方は、付け焼刃、やってる感の演出、厳しく言えば単なる自己満足に過ぎない場合が殆どだと思っている。表現のタブー化が固定観念の排除の為に効果的な対処かと言えば、自分には全くそう思えない。

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