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「自分にとって重要でないことは誰にとっても重要でない」は深刻な思い違い


 選択的夫婦別姓は選挙公約にする程じゃない

MXテレビ・モーニングCROSSの、7/17の視聴者投票テーマが「選択的夫婦別姓 認めるべきだと思いますか?」だったことを受けて、この日のコメンテーターだった政策アナリスト・石川 和夫さんが番組の最後に言い放った一言だ。自分はこの言葉を聞いてギョッとした。何故なら、選択的夫婦別姓制度の実現を公約に掲げる党があるのは、「多様性の尊重」をアピールしつつ、それを認めないという政党があるからだ(6/22の投稿と、7/4の投稿の記者クラブ主催党首討論の部分を参照)。
 補足しておくと、石川さんは決して選択的夫婦別姓制度は必要ないとか、全く重要ではないなどと言っているわけではない。彼が言いたかったのは「選択的夫婦別姓は一部の党が公約にするまでもなく認めるべきだ」だったんだろうと推測する。しかし、「公約にする程重要な問題じゃない」という風にも受け取れる言い方だった為にギョッとしてしまったし、自分がそうツイートしたところ、番組ハッシュタグでしばしばツイートしている人の何人かから反応があったので、少なからずそのように感じた人がいたことに間違いはなさそうだ。


 政党の公約に何を望むか、選挙の争点はどこか等は、有権者一人ひとり違って何も問題ない。だから石川さんの発言が、「選択的夫婦別姓は選挙の公約にする程じゃない」という意図の発言だったとしても、決して全く認められなものではない。しかし、石川さんが「選択的夫婦別姓制度の実現は公約にする程重要な問題じゃない」と言っているとも受け取れる発言をテレビ番組でしたことについて、自分は苦言を呈したい。冒頭で示した言い方では石川さんの考える意図が伝わらず、言葉足らずだったのではないだろうか。

 「他国が行っている制度は無条件に日本も追随するべきだ」などと言うつもりはないが、選択的夫婦別姓制度や同性婚については、日本は明らかに他の先進国と呼ばれる国よりも遅れていると言わざるを得ない。どちらについてもあれこれ理由を付けて反対する人たちがいるが、日本でも賛成する人が反対する人を上回っていると言って差し支えなさそうだ。
雑に調べたので毎日新聞の記事は2015年のものだが、それでも当時より反対派が増えているとは到底考え難い。


 石川さんの発言を残念に思っていたところ、この日のコメンテーターではなかったが、石川さんと同様に、しばしば同番組にコメンテーターとして出演している弁護士・田上 嘉一さんが、次のようにツイートしているのが自分のタイムラインに流れてきた。


彼は石川さんとは違い、明らかに「夫婦別姓や同性婚はそれ程重要性でない・多くの国民は関心ない」と言い切っている。「多くの国民は関心がない」と彼が断言する根拠はどこにあるのだろう。しかもそれを公約に掲げてアピールする党は(選挙の戦い方が)下手くそとまで言っている。
 このツイートが余りにも残念だったので、前述の石川さん発言を取り上げたツイートに続けて(スレッド化して)次のようにコメント付きで引用ツイートした。


 ツイートの通り、この時点では田上さんが「自分にとって重要じゃないことは誰にとっても重要でない」と思っているかどうかは定かでなかったが、それは次の彼からの反応で確信に変わった。


 選挙の戦い方として、得票を効率的に集める方法として、選択的夫婦別姓や同性婚の実現を掲げることが有効かに関しては、田上さんの言っていることが正しいかもしれない。もしかしたら本当にそうかもしれない。しかし、もしそれが得票に繋がらないのだとしても「重要じゃない」は聞き捨てならない。彼の言い方だと、少数派の主張はそれ程重要じゃないということになりそうだ。選択的夫婦別姓制度を利用したいという人も、同性婚の制度を当事者として必要としている人も確実に少数派だろう。しかし「票が集まらないから重要じゃない」ということにはならないし、当事者として制度を必要としていなくても関心がある人はいる。
 そのような意味で再び次のようにツイートした。


 少数派の主張だから重要じゃない、少数派に寄り添う主張が重要でないと言うのであれば、率直に言ってそれは「少数派の軽視」だろう。弁護士がこの手のことを平気で主張するのにとても驚いた。同番組やタイムラインにしばしば流れてくる彼のツイートを見ていて、田上さんはそのようなことを言いそうなタイプだと薄々感じていたものの、実際に目の当たりするとやはり驚かされる。
 このこちらのツイートに対して彼は更に次の反応を示した。


 やはり彼は「多数派にならなければ意味がない」と言っているように見える。そう思えたのは、彼が「「多数派こそが正義、少数派の意見は軽んじても問題ない」と言っている様で」というこちらの見解を否定しなかったからだ。このツイートだけではその部分をどう感じているかは分かり難いが、これまでのやり取りを勘案すれば、そうに受け取るのは決して不自然ではないだろう。
 そうとしか思えなかった自分は次のようにツイートした。


 結局のところ、田上さんのように選択的夫婦別姓制度も同性婚も大して重要じゃないと思っている人が多いからこそ、日本ではどちらの制度も実現しない、というのが実情だろう。それらの制度を認めたところで、どちらの制度も利用しない者に大きな変化は何もない。だったら制度としてさっさと認めてしまえばいいのにもかかわらず、多数派である与党が制度創設に及び腰、というか実質的に否定的だから、それを公約として掲げている党があるのが今の状況だ。田上さんはそこまで言っていないが、ここまでの彼の主張を全て勘案して考えると、彼は
 選挙で支持を得られない選択的夫婦別姓制度・同性婚に対した重要性はない。だからそれを公約にするのは愚か者のやることだ
と言っているようにさえ思える。
 万が一彼がもしそこまで思っていたとして、そう考えて主張することまで否定する気はないが、その考えの妥当性の低さについては明確に批判させて貰う。彼の主張する権利が否定されないのと同様に、こちらが批判することを否定される筋合いもない。
 次に何故か彼は急にこんなことを言いだした。


 一体どこをどう受け止めてこちらが選挙に関係ない話をしていると思ったのか理解に苦しむ。結局このツイートからも「選挙で票にならないことを主張するのは意味がない」と言っているようにしか見えなかったし、あまりにも検討外れな話だとしか思えず、次のように返答した。


 田上さんは、未来永劫自分も自分の子どもも決して少数派になることはないと考えている、としか思えなかった。結局彼は票になるか否かという損得勘定でしか物事を判断できない人、損得勘定「でしか」は言い過ぎだとしても、損得勘定を重視するあまり少数派は切り捨てられても仕方がないと考えている人にしか見えない。
 このツイートに対して彼は


と反応してきた。確かに彼の主張と自分の主張は並行線で噛み合っていない。自分もその点に異論は全くない。なので、


とリプライした。彼は全て単発のコメント付き引用リツイートで反応を返してくるので、第三者には彼と自分の主張が一体どう噛み合わないのかが分かり難く、それぞれ単発ツイートの状態だと、どう考えても弁護士/テレビ番組コメンテーターという肩書のある彼の主張の方が正しく見えてしまいそうだと感じたので、これまでのやり取りの流れが分かるように、スレッド化してあるツイートを提示させて貰った。


 「これでやり取りは終わりだろうな」と思っていたところ、再び彼から反応があった。それがこのツイートだ。


 率直に言って「大人げない人」としか思えなかった。何故なら、田上さんはこれまで散々、彼とは面識のない自分のツイートを引用してコメント付きリツイートをしてきたにもかかわらず、「俺は知らない人と議論したくない」と急に言い出したからだ。知らない人と議論したくない人は、知らない人のツイートを引用してコメントなど反応を示すべきでない。「それはするが議論はしたくない」ということであれば、それは「自分は言いたいことを言うが、相手が言いたいことを言うのは許せない」というあまりにも自分勝手な態度だ。
 例えばこちらがバカ・アホ・死ねのようなことを言っているならまだ理解も出来るが、彼の言い分は余りにも矛盾に満ちている。なので次のように返答した。


 こうツイートをした次の彼の反応は、ブロックだった。

 彼はブロックすれば自分のツイートを相手は一切見られないと勘違いしているのかもしれないが、ツイッターからログアウトすれば誰のツイートでも閲覧することが出来る。彼はこちらをブロックする直前にこうツイートしていた。


 オブラートに包んで優しく言ってやったのに分からないようなのでハッキリ言います、「あなたと」議論したくないんです、のようなことを彼は言っている。相手をブロックするのは、自分の主張が相手に届きにくい状態にすることでもある。にもかかわらず「はっきりといいます」なんて矛盾している。端的に言って単なる捨て台詞以外の何ものでもない。
 しかも彼は、前述の「俺は知らない人と…」というツイートに対する第三者のリプライに対して、


ともツイート(リプライ)している。困った人とは恐らくこちらの事だ。この第三者の、


も理解に苦しむ。田上さんと自分の主張に相違があったことは認めるが、果たして田上さんがこちらを尊重した反応を示していたと言えるだろうか。一方的にブロックされたので当然ではあるが、自分には全くそうは思えない。散々反応を示しておいて「俺は知らない人と議論したくない、絡んでくるな」という人の一体どこが相手の意見を尊重していると言えるのか。自分と違う意見を強引にねじ伏せようとしているのは寧ろ田上さんの方ではないのか。
 前述のように、知らない人に反論・批判・レスされたくない人には、ツイッターのようなオープン志向のSNSはそもそも向いていない。利用するにしても所謂鍵アカ、つまりクローズドなアカウント設定にしておくべきだ。自分と意見が異なる人をブロックしてはならないという利用規約はないし、誰がどう自分のツイッターアカウントを運用しようが、誰かの権利を著しく棄損しない限りそれは個人の自由だが、主張が噛み合わないと途端に「俺は知らない人と議論したくない」と、弁護士でもありテレビのコメンテーターでもある人が言いだす事にただただ驚かされる。
 結局彼がこちらをブロックした理由も、そのタイミングを考えると、やり取りをスレッド化されて流れを可視化されたのが気に障ったからだろう。これは完全な推測だが、やり取りの流れを極力見え難くする為にブロックするに至ったように思えてならない。つまり彼も薄々自分の主張の矛盾に気付いてはいるんだろう。ブロックされたので彼のツイートがこちらのタイムラインに流れてくることは殆どないだろうし(厳密にはスクリーンショットでの実質的リツイートや、コメント付き引用リツイートによって間接的には流れてくるかもしれないが)、今後は彼と絡むこともないだろうが、これを機に彼が矛盾したツイートを他ではしなくなってくれたらいいな、というのがせめてもの願いだ。


 余談だが、彼のように自分と異なる見解を示すSNSアカウントを排除していくことは、所謂エコーチェンバー(Wikipedia)/フィルターバブル(Wikipedia)を加速させることにもつながる。勿論、明らかな誹謗中傷を受けた場合などの緊急避難等、ブロック機能やミュート機能にも間違いなく有益な使用法はある。しかし異なる見解を排除するのにブロック/ミュート機能を用いてしまうと、ただでさえWebやSNSは自分の好みに合わせた情報が表示されやすい傾向なのに、それを促進させる、つまり偏った考えに陥りやすい状況をつくることになりかねない
 結局その結果、田上さんのように、「選択的夫婦別姓制度/同性婚は大して重要ではない」とか、「自分にとって重要でないことは誰にとっても重要ではない」のようなことを、平気で言えるような感覚になってしまうのだろう。

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