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絶対に間違わない○○は存在しない


 近頃、速度違反自動取締装置・所謂オービスの撤去が相次いでいるそうだ。自分がよく通る道路でも、いくつかなくなった個所がある。と言っても、機械による速度違反取り締まり自体が減っているわけではない。交通取り締まり情報サイト・HOOD RIDEZによると、レーザー式移動オービスや、従来の警察官の目視による追尾式速度違反取り締まりではなく、レーダー式速度測定器を搭載した所謂レーダーパトカーによる取り締まりへの移行が進んでいるそうだ。
 Wikipedia:速度違反自動取締装置によると、オービス(ORBIS)はラテン語で「眼球」を意味する言葉からとったボーイング社の商標だそうで、他の企業の製品をそう呼ぶのは、ソニーのスマートフォン・Xperiaを「ソニーのiPhone」と呼んだり、ヤマハ・メイト(既に生産終了)を「ヤマハのカブ」と呼ぶようなもののようだ。


 自分も一度、首都高速湾岸線のオービスに引っかかって呼び出されたことがある。光れば(撮影されたら)絶対に分かるという人も多いが、自分は全く身に覚えがなかった。呼び出され、写真を見せられて説明された日時に当該箇所を通行した記憶はあるが、撮影されたかも?という認識は全然なかった。呼び出されたのは数週間後だったし、だからその時どのくらいの速度で走っていたかはよく覚えてもいなかった。但し、湾岸線は3車線で比較的直線が多く、空いていれば70-80km/hの制限速度を上回って走ることが簡単に出来てしまう為、速度違反していた恐れは否めない。しかし前述の通り、撮影された時に実際に速度違反で走ったかは記憶が曖昧だったので、自分は担当者に「測定に間違いはないのか?」と聞いてみた。すると、
 機械が測定を間違うわけがない
という旨の答えが返ってきた。
 確かにオービスによる測定は十中八九は間違いがないだろう。しかし実際には、オービスの誤測定が裁判で認められた事例(Wikipedia:タコグラフ#効用・問題点 / オービス無罪判決)もある。つまり、オービスは決して間違わない「神の目」ではなく、人間が作った間違いも起こり得る機械だということだ。

 自分は日本以外での生活経験がないのであくまで伝聞でしかないが、日本の警察の信頼度というのは、他地域のそれに比べて高いそうだ。個人的には警察官だからといって手放しで信用することはないが、どうも日本人は権威に弱い人が多く、警察官という肩書だけで信用する人も多い。 しかし、「警部補が息子の事件の証拠隠滅 香川県警、処分公表せず」(朝日新聞)、「「今度立ち入りしようか」店員威圧の警察官を書類送検」(NHK/スクリーンショット)などのように、警察や警察官の不祥事なんてのは毎週のように報じられている。これまでにも散々書いてきたが、警察官=絶対間違わない正義のヒーローではない。警察官も他の市民と同じで、時には間違いも起こす人の子である。
 例えば、こんなことを平気でしてしまうのが今の警察だ。


 オービスだってネズミ捕りだって同様で、機械を用いた速度違反取締りは、確かに人の目視で行われる追尾式の取り締まりよりは信憑性があるかもしれないが、それでも、機械を運用しているのは我々と同じく間違いを起こすかもしれない警察官だし、用いる機械だって、我々と同じく間違いを起こすかもしれない技術者が作ったものだ。つまり「機械による測定に間違いは絶対ない」は明らかな過信であり、決して適切な認識とは言い難い。機械で測定したから確実に正確で間違いはない、という説明に合理性があるとは言えない。


 昨日の投稿で、森友学園への国有地売却や財務省での関連文書の改竄などをめぐる問題について、大阪地検特捜部は8/9に再び全員を不起訴処分とした、ということを取り上げた。このような事についても、「検察が不起訴処分にしたのだから問題は解決した」のような事を言う人がいる。果たして検察が不起訴処分にしたら絶対問題はないと言えるだろうか。この件については、財務省の関連文書が改竄されたことは誰の目にも明白なのに、それを何の罪にも問わない・問えないというのは正常な判断と言えるだろうか。
 例えば、検察が常に判断を間違わない完全無欠の組織であるなら、不起訴決定によって問題は解決した、とも言えるかもしれない。しかし、刑事裁判で検察側が敗訴することはしばしばある。つまり、検察は常に判断を間違わない組織だとは決して言えない
 昨日は「法律違反じゃないのに略式命令で罰金25万円 検察が道路交通法の解釈を誤る」(ハフポスト/朝日新聞)という話が報じられていた。掻い摘んで説明すると、小型特殊車両(トラクター)の牽引について、実際は小型特殊での牽引に牽引免許の必要性はないのに、地検は無免許運転で略式起訴し、簡裁もそのまま略式命令を出して、25万円の罰金を支払わせていたという話だ。地検だけでなく裁判所も、法の専門家集団なのにもかかわらず、精査もせずにいい加減な判断を下すことがあるという例だ。
 しかも牽引免許が必要になる条件については、教習所で教わるレベルの道交法の基本的な話である。牽引される車両の総重量が750kg以下の場合、牽引免許は不要で、運転する車両の免許だけで運転・牽引することができる。トラクター等の農作業用車両はどんなに大きくても小型特殊自動車に該当するそうだが、日本国内で使用されている農作業用小型特殊車両の大半は、そんなに大きな車両を牽けるようなサイズではない。もしかしたら大型のトラクターで750kg以上の車両を牽いていたという稀な例だから間違いが起きたのかもしれないが、もしそうではなく、小型のトラクターでリアカーレベルの車両を牽引した案件でこんな判断が下されたのだとしたら、状況は相当深刻だと言えそうだ。


 東日本大震災以前、原発事故は決して起きないと言われていた。なのに、津波によって事故が起きると「あれは想定外だった」などと言い出した。にもかかわらず、数年も経たない内に「新しい厳しい基準を設けたのでもう大丈夫」と言い始める。で、その基準を超えた何かが起きれば再び「想定外だった」と言い訳するつもりなのだろう。
 どんな肩書を持つ人間も人間である限り、程度の差はあれど間違いを犯す恐れが確実にある。また、人間が作った機械も人間が作った機械である限り、間違いが起きる恐れは絶対にない、なんて言い切れるはずがない。制度や法律だって同様で、人間が作ったものである限り機能不全を起こす恐れは確実にある。

 警察官が言っているから、検察が言っているから、政府が言っているのだから間違いないなんて話を、それだけで信用するのは、「かあさん?オレオレ」を信用するのと似たようなもの
である。更に深刻なのは、警察官の自分が言うんだから、国会議員の俺が言うんだから、市長・県知事の私が言うんだから、間違っているなんてことがあるわけない、と言いたげな者が決して少なくないということだ。
 肩書や立場を根拠に合理性を説明してくる者がいたら、とりあえず疑ってみるべきだ、と自分は強く感じる。


 トップ画像は、File:ORBISwarning(hokkaido).JPG - Wikimedia Commons を使用した。

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