今夏も毎日中継されている高校野球・甲子園大会。昨年、中継を行うNHKは甲子園開幕前まで、熱中症対策として「日中の運動は控える」という文言を用いていたのに、中継が始まると「涼しい服装で日傘や防止の使用」に差し替えた(8/6の投稿)。元々そんなに興味はなかったが、それを目の当たりにして余計に興味が失われた。高校野球は部活動であるにもかかわらず、選手のことを第一に考えて行われていないようにしか思えなくなった。
もう数年前から続いている議論だが、高野連や一部の指導者、野球選手OBらの反対によって、投球数制限の導入に対して消極的であることも、高校野球に対する印象が悪くなった理由の一つだ。このように書くと「選手らに罪はないのだから嫌悪しないで」という反論がありそうだが、勿論選手らを嫌悪しているつもりはない。高校野球関係者の一部の大人達を嫌悪しているだけだ。
投球数制限については、2018年12月に新潟県高野連が球数制限導入の意向を発表するも、各方面からの反発を受けて撤回した件、2019年の甲子園予選・岩手大会決勝で大船渡高校の監督が、同校のエースである佐々木 朗希投手の登板を、前日までの投球数の多さを理由に回避し、同校が花巻東に敗れ甲子園出場の逃した件などが記憶に新しい。
- 新潟県高野連「球数制限」導入へ 来春県大会で、全国初(朝日新聞)
- 新潟県高野連が今春の球数制限導入見送りを正式発表(日刊スポーツ)
- 「大船渡・佐々木朗希」の終わった夏と194球の謎(東洋経済)
昨日(8/17)のMXテレビ・田村淳の聞きたい放題も、高校野球の球数制限をテーマにしていた。その中で
30球で肩を壊してしまう選手もいれば、100球以上投げても肩を壊さない選手もいる。一律に投球数を制限するのはどうか?という話が挙げられていた。この話は一見的を得ているようにも思えるが、果たして本当にそう言えるだろうか。最初に確認しておくが、自分は原則的に一律の投球数制限を行うべきという立場ではある。だが、決して前述の話を全面的に否定するつもりはない。しかし、その話に異論を許さない程の説得力があるとは言えないとも考える。
自動車の速度制限を例に考えてみる。30km/hで走って事故を起こす者もいれば、150km/hで走っても事故を起こなさない者もいる。しかし自動車の速度は、原則的に一般道で60km/h・高速道路で100km/h(一部120km/h)に一律制限されている。個人差を勘案すべきなら、自動車の速度も一律に制限すべきでないということになりそうだが、速度の一律制限に合理性がないとは決して言えない。また、これまで事故を起こしたことのあるなしや運転の技量にかかわらず、バイクを運転する際にはヘルメット着用が、自動車に乗車する際にはシートベルトの着用が一律義務付けられる。事故を起こしたことの有無にかかわらず、自賠責保険への加入も義務付けられている。
運転者の技量にかかわらず、様々な一律の規制が設けられているのは何故かと言えば、これまで事故を起こしていなかったとしても、どんなに運転が上手い者であっても、絶対に事故を起こさないとは言えないし、その運転車が絶対に事故を起こさないというお墨付きを与えること、つまり保証することは誰にもできないからだ。投球数にしても同じで、一体どこの誰が「この選手は毎日100球以上投げても絶対に肩を壊さない」と保証することができるだろうか。
勿論、100球という基準が妥当か否かには議論の余地はある。しかし、投球数制限とは速度制限と同じで事故の予防の為に設けられるものだ。毎日100球を大きく超えて投げても肩を壊さない選手がいるという理由で、100球という基準の妥当性を否定・若しくは疑問視するのであれば、高速道路の実勢速度は、現在の100km/h制限の区間も含めておおよそ120km/h前後と言われており、その120km/hというのは平均値であるから、中には140-150km/hで走っているクルマもあるわけで、つまり140-150km/h、若しくはそれ以上で走っても事故を起こさないクルマも少なくないということになり、現状の100km/h(又は120km/h)は妥当とは言えないということになるだろう。要するに毎日100球以上投げ続けても肩を壊さない投手もいるというだけでは、100球という基準の妥当性を否定する根拠として不十分だ。
同番組では他にも、既に他でも複数指摘されている話だが、選手を集められる有名な私学に選手が集まり、公立校が弱体化しかねない等の懸念も取り上げられていた。しかし、それならば部員の人数にある程度の基準を設けて、人数の少ない同じ地域の学校同士が合同でチームを組むような制度を設けてもよいだろうし、そもそも高校生の野球を学校から切り離してクラブチーム化し、学校とは別の単位で競うようにしてもいいだろう。
冒頭で示した熱中症への対策についても、例えば開催時期をずらすとか、会場を空調設備のあるドーム球場に変更するなどの方法もあるはずなのに、積極的に検討しているようには全く見えない。
結局のところ、戦前から続いている「高校野球・甲子園」というフォーマットを、選手の健康や現在の状況に合わせた競技運営よりも優先しようとするから、問題が解消できないのではないか。大相撲協会と同様に、合理性・現状との整合性よりも伝統を維持することを優先しているように見えてしまい、自分には、スポーツ・部活動は教育の一環という大前提から逸脱しているように思える。
特に高校野球は、ユニフォームにメーカーのロゴを付けてはならないとか、選手が着用するグラブやスパイクが華美にならないようにするなど、過剰とも思える程の規制を、商業化への懸念という理由、というよりも建前で設けているのに、高野連等の熱中症対策や投球数制限に対する消極的な態度は、それと大きく矛盾しているように思う。教育の範疇であるならば、というか教育云々は別としても、選手の身体・健康を第一に考える、選手が「大丈夫」と言ったとしても、未成年者ならば特にそれを冷静に判断し制止するのは、運営団体として、若しくは指導者として当然のことではないのか。
結局自分の目には、高野連や一部の指導者や有力校は、選手の身体よりも高校野球・甲子園のシンボリックな側面を、主催の朝日新聞や全試合全国中継するNHKは、選手の身体よりも甲子園大会の興行的側面を優先しようと躍起になっているように見えてしまう。
トップ画像は、skeezeによるPixabayからの画像 を使用した。