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ブスやヌードに対するネガティブイメージこそが偏見では?


 AbemaTVで毎週月曜に放送されている「ブステレビ」の、9/9の放送が放送前からツイッター上で話題になっていた。まず、同番組について軽く説明しておく必要があるだろう。2017年1月のレギュラー放送開始直前に、AbemaTVのブログ・AbemaTimesが掲載した番組紹介記事「「ブスとは何なのか」徹底討論 おぎやはぎが“ブス”に幸せと勇気を与えるレギュラー番組が放送決定」によると、
 『おぎやはぎの「ブス」テレビ』は、昨年12月17日にAbemaTVの特別番組として放送され、自称“ブス”たちの赤裸々なトークが人気を博したことから、レギュラー番組として放送することが決定した。お笑いコンビ・おぎやはぎの2人がMCを務め、“ブス”をテーマに語り尽くす同番組は、毎回スタジオに登場する容姿や性格が自称“ブス”な女性の意見や経験談を元に、“ブスとは何なのかを”徹底討論していく。
とされている。自分は毎週同番組を見ているわけではないが、この説明の内容は、同番組の内容に沿っていると思う。


 同番組は「ブステレビ」という名称が災いしてか、これまでも度々「女性をブスと揶揄・嘲笑する姿勢の番組はいかがなものか」という文脈で批判されてきた。9/9の放送が、放送前から槍玉にあげられたのは、AbemaTV公式ツイッターアカウントの当該回を紹介するこのツイートが元だった。


 批判的なツイートをしている人の殆どが、「ブスにヌードのオファーがあったらいくらで脱いでしまうのか」というフレーズ・企画を嫌悪している。


 率直に言って自分は、何がそんなに問題なのかがよく分からなかった。勿論、ブスという表現が概ねネガティブなニュアンスで用いられることは理解しているし、影響力の小さくない番組が「ブス」をいじることによって、適正な関係性を築いた上で他人の美醜をいじることといじめが混同されてしまう恐れがあることも理解はできる。しかし、ブスという表現は、確かにネガティブなイメージの強い言葉ではあるが、「美人ではない」というニュートラルなニュアンスで用いられることが全くないわけではない。テレビ番組の名称が「非美人テレビ」だろうが「ブステレビ」だろうが、結局言っていることに大差はない。だったら制作者が、よりインパクトのある「ブステレビ」という名称を用いるのは決して不自然でも不適切でもないのではないか。
 また「いくらならヌードのオファーを承諾するのか」という企画についても、何が問題なのかよく分からない。ヌードに限らず「いくら貰えたらウンコ食べる?」なんて馬鹿話は往々にしてある話のネタで、ヌードのオファーだってその種の話の1つだろう。もし「ブスはいくらでヌードになるのか、という企画だからよくない」ということであれば、「美人はいくらでヌードになるのか」「あのイケメン俳優はいくらでヌードになるのか」という企画ならよいのか?ということになる。個人的には、それこそブスに対する差別的な認識に基づいた考え方ではないのか?と感じる。

 この件を批判している人の多くは、ブスやヌードにネガティブなイメージを持っていると感じる。視点を変えれば、ブスやヌードにネガティブなイメージをもつことこそが、ブスやヌードになる女性等に対する偏見・差別的な思考なのではないかと感じる。お笑い芸人を筆頭に、所謂ブスであったり太っていたり、世間的に美しくないとされる容姿を活かして仕事をしている者は決して少なくない。また、ヌード等性的な側面を武器に活動している者も決して少なくないし、無理矢理やらざるを得ない環境に押し込まれている者もいるかもしれないが、全てがそのような状況ではなく、自らの選択でその活動をしている者がいるのは間違いない。


 この件を批判している人の内、どれだけの人が当該回の放送を確認したのだろうか。当該回の放送を見る限り、出演者らがいやいややらされていた感は全くなく、批判している人達が、出演者らを勝手に「ブスと馬鹿にされる可哀そうな出演者」として扱っているようにしか感じられなかった。
 また、当該回の企画は「ブスにヌードのオファーがあったらいくらで脱いでしまうのか」だけではなく、「ブスだけどこの男チョロかった」という企画も放送していた。


自分には、「ブスにヌードのオファーがあったらいくらで脱いでしまうのか」という企画に問題があるのだとしたら、一緒に放送された「ブスだけどこの男チョロかった」にも同様の問題があることになる、と感じるのだが、2つ目の企画を批判している人は、自分がざっと検索しただけでは見当たらなかった。つまり、批判的な人の多くは、当該回の放送も見ずに前述のツイートだけを見て番組・企画批判をしているのだろうと推測する。


 このブステレビへの批判の中には、「こんな番組打ち切りにしろ」のような主張もあった。これまでバラエティー番組に限らずエンターテインメントでは、美男美女ばかりが取り上げられる傾向にあり、非美男美女はほぼ脇役にしかなれなかったのだが、ブステレビのような企画では、「え?お前はブスじゃないだろ?」と思うような容姿の者も出演しているが、容姿に限らずブサイクな性格も主役になれる。企画に賛否があるのは当然のことだとは思うが、タダでさえ少ないブス/ブサイクが主役になれる場を奪うことは、果たして建設的だろうか
 2018年2/3の投稿で「F1グリッドガール廃止」について書いたが、それが女性の活躍の場を狭める側面があったのと同様に、「こんな番組打ち切れ」というのは、単に非美男美女の活躍の場を狭めることになるだけの気がしてならない。

 また、よしもとは男前ブサイクランキングをもう10年以上も実施している(よしもと男前ブサイクランキング - Wikipedia / 上方漫才協会大賞 - Wikipedia)。このランキングにも同様の批判はあるものの、芸人にとっては、ブサイクとして注目されることだって仕事には確実にプラスで、世の中的にはブス/ブサイクいじりはよくないとしても、結局はそれも個性の1つと捉えられれば、ブスやブサイクいじりは決して「害悪だけでしかない」とは言い難い。ブス/ブサイクいじりを否定するなら、同時に美男美女をクローズアップすることだって、容姿をいじっていることに変わりはないので、不適切な行為になりかねない。
 更に、AbemaTVでは、ブステレビの男性版のような内容の、童貞男性をテーマにした「DTテレビ」も放送しているが、こちらへの批判はそれ程多くない。両方の番組を見ると分かるが、DTテレビもブステレビと同様に、童貞をイケてない男としていじる要素が少なからずある。もしブステレビが「処女テレビ・SJテレビ」だったら槍玉に上がらなかったか?を考えると、そんなことはないのではないか?と思える。全ての人がそう思っているとは言えないが、ブステレビに批判的な人には、男性のブサイクいじりや童貞いじりは嫌悪しないが女性のブスいじりは嫌悪する、というタイプの人が決して少なくないように感じる。


 一つだけブステレビの残念な点を挙げるとすれば、番組MCに「おぎやはぎ」を選んだことだ。個人的には、ブステレビのMCは、所謂ブス芸人のパイオニアとされるオアシズあたりが最適だったんだろうと感じる。世間的にブスと認識されている者をMCに据えれば、ブスを揶揄している/いじっている感を大きく抑制できたはずだ。若しくは、DTテレビのMC・チュートリアル徳井さんなどと同様に、世間的にイケてるとされる女性に仕切らせて、雛壇との間の関係性を女同士の対立構造にしてもよかったのかもしれない。
 ブステレビはおぎやはぎを番組MCにしたことによって、どちらかと言えば「イケてる」寄りの男性タレントがブスな女を集めて、見下すようにいじって笑いにしている、かのようなレッテルを貼られやすい状況になっている、という意味で損をしている面があるように感じる。


 同番組に対する批判の中に、


というツイートがあった。そのような番組を全く否定する気はないが、出演者の中には「大きなお世話だ」と思う者もいるだろう。勿論「実はそっちのほうがやりたい」と思う者もいるだろう。別スタンスの番組を作ること、非美男美女の活躍の場を増やしたいという思いは素晴らしいが、その動機が「ブステレビに対抗」というのは賛同できない。そこでいがみ合っても仕方がない。ブスを武器に芸能活動をしている者を下に見ているようにすら感じられてしまう。

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