つい先日、渋谷で中学校の同級生に偶然遭遇した。高校の頃までは付き合いがあった奴だが、その後は殆ど交流がない。お互いに時間に余裕があったこともあり、世間話が盛り上がって1杯やりにいくことになった。久しぶりに会った中学の同級生との話題は、やはり当時の同級生の話が多くなる。お互いに自分とは現在あまり交流のない者の情報を出し合い、「へー、ほー、あいつがね…」となる。印象的だったのは、自分達の代の生徒会長の話だった。
彼もその生徒会長(以後、会長とする)とは現在直接的な交流があるわけではないそうだが、数年前にSNSの友達申請があり、断る理由もないので承認したそうで、会長の投稿がタイムラインに流れてくる状況らしい。古い友人/知り合いと繋がるというのは、SNSの利用法としてごく自然だ。友人によると、生徒会長がネトウヨ化しているそうだ。
友達申請があった直後は、特にそのような様子はなかったそうなのだが、東日本大震災・民主党から自民党への政権交代後あたりから、徐々にその種の投稿がされるようになったそう。友人のタブレット端末で見せてもらったところ、流石に会長の全てのSNS投稿に目を通すことはできなかったので、会長が何時からそういう投稿をし始めたのかは定かでないが、長谷川 豊氏の「透析患者を殺せ」という発言を擁護していたり、韓国という大雑把な括りで卑下するような投稿などがあった。丸山 穂高氏の「戦争しないとどうしようもない」という発言についても、基本的に否定はしているものの、それでも情状酌量の余地があるという風な、擁護するような投稿もあった。
但し、あからさまな罵詈雑言満載の主張だけが並ぶ、典型的なネトウヨ的SNS利用をしているわけではなく、個人的には、ネトウヨ化した、ではなくその一歩手前の段階とするのが妥当な評価と考えている。もしかしたらこの自分の受け止めには、元同級生がネトウヨ化していると認めたくない、というバイアスがあるかもしれない。
彼は、勉強の出来る所謂真面目な奴だった。生徒会長には自ら立候補して当選しており、真面目ではあるが引っ込み思案とか暗いタイプではなく、社交性も持ち合わせていた。確か大学も某有名私学だったと思う。その後のことは良く知らなかったが、友人に見せて貰ったSNSよると、大学卒業後某有名AV機器メーカーに勤め、リーマンショック後の業務縮小に伴ってそこを辞めたらしい。その後の仕事や勤め先についてはSNSでは公表していないようだった。ただ、有名AV機器メーカーを退職後も特に困窮しているような様子はなく、子どもを連れてあちらこちらに遊びに行ったという投稿も頻発にしており、個人的な印象ではあるが、中の上以上の生活レベルにはありそうだ。
その中でも、7月の参院選投票日前の投稿が印象的だ。維新の選挙ポスターと一緒に「俺は誰がなんと言おうがこの党を支持する」と投稿していた。維新支持=ネトウヨ、なんて短絡的なレッテル貼りをしたいわけではない。但し、同党が長谷川 豊氏や丸山 穂高氏を公認していたという事実、党の創設者・橋下氏、現在の代表・松井氏、大阪府知事の吉村氏や、同党所属の足立氏など、暴言を厭わない者が多いという事などを勘案しなければならない。また、会長は「政治は綺麗ごとだけでは進まない」のような投稿もしていた。つまり、暴言や不適切な言動もある程度は目をつぶって見逃すということなのだろう。
彼の投稿の「俺は誰がなんと言おうが」という部分が特に気になった。このセリフから想像できるのは、実社会の同僚/知人/友人からか、SNS上の誰かからか、なのかは定かでないが、前段で自分が書いたのと同じ様に「維新はこんな党だけど、それでも支持するの?」と言われたのだろう。しかも複数の人からそう忠告されたのではないか?と想像する。でなければ「誰がなんと言おうが」という表現にはならないのではないだろうか。
会長は長谷川 豊氏の「透析患者を殺せ」を擁護していたし、丸山 穂高氏の「戦争しないと…」についても、全否定する必要はないというスタンスを示していた。彼には妻と2人の子どもがいるようだが、もし自分や妻・子どもが透析が必要な状態に陥ったらどうするつもりだろう。「自分がそうなったら死を選ぶ」と威勢のいいことを言うかもしれないが、妻や子どもがそうなった場合、果たして妻や子どもに「透析などせず死ぬべき」と言えるだろうか。どう考えてもそう言えるとは思えない。
日本が領土を取り戻す為として戦争を始めたとして、戦争が当該領土だけで展開される保証はどこにもないし、自分や自分の子どもが戦争に駆り出されない保証もどこにもない。彼は戦争へ戦闘員として志願する覚悟があるのだろうか。自分の子どもを戦争に送り出す覚悟があるのだろうか。
そんな風に考えると、会長は遮眼革をつけた競走馬のように、ある一方だけにしか注目できていないように感じる。「透析患者を殺せ」にしても「戦争しか…」にしても、自分や自分の家族が巻き込まれる恐れが充分にある、ということを想像出来ていないとしか思えない。所謂優等生だった頭の良い男が、なぜそんなことになっているのだろうか。今思うと、彼は勉強ができるだけの男だったということかもしれない。
9/3の投稿で取り上げた、週刊ポストが「韓国なんて要らない」「嫌韓ではなく断韓だ 厄介な隣人にサヨウナラ」「10人に1人は治療が必要ー怒りを抑制できない韓国人という病理」などの記事を掲載したことについて、エジプト出身のタレント・フィフィさんは次のようにツイートしている。
「韓国なんていらない」の見出し、それが乱暴な表現だとして、その程度の週刊誌なんだって、買わなきゃいいわけで、「日本しね」なんて、その下品なフレーズを取り上げて、流行語まで受賞した国会議員もいたわけで、表現の自由って、民間がやるのと議員がやるのとでは同じでは無いのにダブスタだよね。— フィフィ (@FIFI_Egypt) September 3, 2019
このツイートにはいくつか指摘すべき点がある。まず「日本しね」について、当該議員が取り上げたのは「日本しね」ではなく「保育園落ちた、日本死ね」であり、その主張は、日本人による、少子化対策に本腰をいれない日本「政府」、若しくはその政府を容認する同胞日本人への批判である。確かに「死ね」という表現には賛否があって然るべきだが、その見出しを用いた当該ブログ投稿の内容には、なんら差別的な主張も偏見も含まれていない。自国政府への痛烈な批判と、他国を政府や市民など一括りにして、しかも韓国人という病理だなどと、明らかに中傷することを同一レベルで比較するしようというのは、適切な判断力を備えた者の考え方とは言えない。「日本死ね」という字面だけに注目し、都合よく解釈しているとしか言えず、それも、遮眼革をつけた競走馬のように、ある一方だけにしか注目できていない思考と言えるだろう。
更に、彼女は「「韓国なんていらない」の見出し、それが乱暴な表現だとして、その程度の週刊誌なんだって、買わなきゃいい」と言っているが、見出しだけが問題視されているわけではなく、見出しも記事内容も差別や偏見が含まれているので問題視されている。また、「買わなきゃいい」というのも、日本ではマイノリティに属する者の見解とは思えない。その乱暴な見出しや記事内容によって、在日朝鮮人/韓国人がどれほど肩身の狭い思いをするのか、おびえながら日々の生活を送ることになるのか、同じ外国出身者ならば容易に想像が出来るはずだ。しかもそのような攻撃的で鋭利な認識は、大人だけでなく朝鮮半島に何らかのルーツを持つ子どもたちにも向けられる。彼女は、もし日本の雑誌で「エジプトなんていらない、エジプト人という病理」という特集が組まれ、その影響で攻撃的な認識が自分や家族に向けられた場合に、「買わなきゃいい」で果たして済ますことが出来るだろうか。
結局フィフィさんも、前述の生徒会長や、7/18の投稿で書いた、「夫婦別姓や同性婚はそれ程重要性でない」と主張した、彼女と同様に、テレビ番組へしばしばコメンテーターとして出演する田上 嘉一弁護士と同じく、自分の主張が自分や自分の家族を苦しめることにもなりかねないという想像力が欠如しているとしか言えない。彼らの家族、特に子どもが不憫でならない。
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