両親と一緒に墓参りをした記憶がない。恐らく、記憶がないのではなく実際に行ったことがない。厳密に言えば、成人後まもなく祖父が他界し、1周忌の法事だけはあったので、その1回の記憶だけはある。 生まれてからその時まで自分の家の墓がどこにあるのかさえ知らなかった。その所為か自分は殆ど宗教には興味がなく、観光でお寺や神社に行くとしても、それは美術的な興味で行くだけだ。お参りをしているという感覚は当然皆無だし、信仰によって願いが成就するという認識が全くないので、手を合わせることも、連れがいる場合に付き合いですることはあるが、1人ではやらない。
小学校の頃まで夏休みを母方の田舎で過ごすことが多かった。両親は殆ど宗教に関心がなかったが、母方の祖母は毎朝仏壇の前に座ってお経をあげる人だった。母が宗教について殆ど話さなかったし、母方の田舎は遠かったので母方の家の法事にも顔を出したことはなく、どんな宗派かもよく知らないが、祖母は「南無妙法蓮華経」と連呼していたので、恐らく天台宗か日蓮宗系だったのだろう。
前述のように、自分は宗教に殆ど興味がなく、知識は小中学校で習う程度しかない。その頃に読んだ偉人マンガか何かの記憶で、「南無阿弥陀仏と唱えれば極楽へ行ける、救われると説いたのが親鸞で、南無妙法蓮華経と唱えれば救われると説いたのが日蓮」のように認識していたのだが、この投稿を書くにあたって調べてみると、念仏・お経さえ唱えれば救われるというのは大きな誤解である、という話が多く紹介されている。しかし一方で、念仏・お経を唱えれば救われる、と信じていると思われる人の話も多い。
また「信じる者は救われる」もしばしば耳にする話だ。これは仏教ではなくキリスト教の聖書に由来する話のようである。自分は当然キリスト教にも詳しくなく、この節がどんなことを意味しているのかを詳細には知らないが、自分の周り、そしてネットで調べる限り、文面通り「神を信じさえすれば救済が施される」と認識している者が相応にいる。
仏教もキリスト教も、イスラム教と並ぶ世界的な宗教だが、それが正しい信仰なのかどうかは別として、一部で「念仏・お経さえ唱えれば誰でも救われる」「神を信じさえすれば救済が施される」のような認識を持つ者がいることは紛れもない事実で、○○さえすれば救われるという話は、怪しい健康サプリメント通販の謳い文句と大して変わらないな…などと思ってしまう。
宗教を心の拠り所として自分を律する人を否定するつもりはないが、○○さえすれば救われるという、あまりにも他力本願が過ぎる話をされると、例え世界的な宗教の一部であってもカルト的な側面が出てきてしまうようにも感じる。そんな認識もあり、自分は仏教・キリスト教・イスラム教、そして神道など、どんな宗教にもあまり必要性を感じないし、精神的な面で興味を惹かれないのだろう。
しかし、苦しい状況に置かれたり、情報を遮断されるなどの方法で不安を煽られたりすると、何でもいいのですがりたいという精神状態になる人は決して少なくない。また、思いも寄らならない話を畳みかけるように投げかけられると、判断が追い付かずに信用してしまう人もいる。そんな風にして信者を増やす宗教は、カルト宗教と呼ばれる。
日本で最も有名なカルト宗教はオウム真理教だ。オウム真理教は1980年代後半以降急速に規模を拡大した新興宗教団体で、当初は半ば好意的に扱われ、教祖が度々テレビに出演するなどしていた。しかし1990年前後からいくつかの事件を起こし始め、1994年に松本サリン事件、1995年には地下鉄サリン事件という無差別テロを起こすに至った。教団の幹部・信者には、優秀な学歴を納める者も多く、オウムが起こした種々の事件によって、所謂頭の良い人であっても、そのような集団・行為に加担してしまうということが再び示された。
ここで「再び」としたのは、戦前戦中の日本がまさにそんな状況だったと考えるからだ。 戦前の日本だって決して優秀な人達がいなかったわけではなかったはずだ。勿論不毛な戦争に反対した人もいたことは確かだが、1930年代初頭の不況によって人々が苦しい状況に追い込まれたこと、統帥権を根拠に暴走した軍部や、その影響を強く受けた政府によって自由が徐々に奪われ、報道への圧力がかけられ情報を遮断されるなどして不安が煽られた結果、国全体がカルト集団的な状況になり、政府内には優秀な人も居たにもかかわらず、日中戦争・太平洋戦争へ突き進んでしまった。日本には、不毛な戦争へ向かうことを止められなかったという苦い経験が、政府・国民の両方にある。
そんなことを繰り返さないように設けられたのが、国民主権・基本的人権の尊重・不戦/非戦を明確に示した日本国憲法と言えるのだろうし、そんなことをが繰り返されない為に民主主義を確立したのが戦後の日本だろう。
しかし、今再び日本がカルト集団化の危機に直面しているように思えてならない。
昨日は、週刊ポストが「韓国なんて要らない」「嫌韓ではなく断韓だ 厄介な隣人にサヨウナラ」「10人に1人は治療が必要ー怒りを抑制できない韓国人という病理」など、ヘイトスピーチ丸出しの企画を掲載したことが大きな話題になった。BuzzFeed Japan「週刊ポストの「韓国なんて要らない」特集、編集部がお詫び 批判相次ぎ」によれば、同誌編集部は取材に対して「誤解を広めかねず、配慮に欠けておりました。お詫びするとともに、他のご意見と合わせ、真摯に受け止めて参ります」と回答したそうだが、一体何がどう誤解だと言うのか。同誌の公式サイトに掲載された声明
週刊ポスト9月13日号掲載の特集についてを見ても、「誤解を広めた」としているだけで、何が問題だったのかについては一切触れていない。「お詫びする」と書いてあるが、何が悪かったのかも言わないのは小学校で先生に更に叱られる謝り方の典型的な例だ。「悪いと思ってないけど、面倒だから詫びといてやるよ」感が強く滲んでいる。これでは火に油を注いでいるとしか思えない。昨年の同時期に新潮45の件(2018年9/21の投稿)があったのに、週刊ポストのみならず同誌を発行する小学館も、そこから何も学んでいなかったと言わざるを得ない。風の谷のナウシカ風に言えば、「またメディアが一つ死んだ。行こう、ここもじき腐海に沈む」のような気分だ。
週刊ポスト9月13日号掲載の特集『韓国なんて要らない!』は、混迷する日韓関係について様々な観点からシミュレーションしたものですが、多くのご意見、ご批判をいただきました。なかでも、『怒りを抑えられない「韓国人という病理」』記事に関しては、韓国で発表・報道された論文を基にしたものとはいえ、誤解を広めかねず、配慮に欠けておりました。お詫びするとともに、他のご意見と合わせ、真摯に受け止めて参ります。(『週刊ポスト』編集部)
死にかけているのは小学館だけではない。毎日新聞も読者投稿のコーナーへ、優秀作品として「台風も日本のせいと言いそな韓」という川柳を掲載し、大きな批判を浴びた(毎日新聞が掲載の川柳に批判→記事削除「嫌韓あおる意図なかった」広報の説明は? BuzzFeed Japan)。「自然災害も日本の所為と言いかねない韓国」という話は、状況によっては冗談で済む話かもしれない。しかし毎日新聞が、今そういう状況だと思っているなら認識力が著しく低い。
しかも、批判を浴びた毎日新聞の釈明も、週刊ポスト同様に「誤解を招いた」だった。同紙の説明は、
仲畑流万能川柳 27日の記事でご説明
27日の仲畑流万能川柳の記事は削除しました。で、文面に「誤解を招いた」という文言はないが、端的に言えば「嫌韓をあおる意図はないのに、そう誤解した読者がいた」と言っており、実質的には「誤解を招いた」と言っていると言っても過言ではない。
毎日新聞社として、掲載に当たり「嫌韓」をあおる意図はありませんでしたが、「嫌韓をあおる」と受け止められた方がいらっしゃったという事実については、真摯に受け止めております。
因みに、同社は東京オリンピックのオフィシャル新聞パートナーでもある。
JOC/IOCは、そんな民族差別に鈍感な新聞を公式としている。オリンピック憲章には、「人種、宗教、政治、性別、その他に基く、国もしくは個人に対する差別は、いかなるかたちの差別であっても、オリンピック・ムーブメントへの帰属とは相入れないものである」とあるが、果たして矛盾はないのだろうか。
新聞や週刊誌だけでなく、テレビも酷い。自分が知る限りでは、TBS・ひるおび、テレビ朝日・ワイド スクランブル、TBS/CBS・ゴゴスマ などのワイドショーでは、民族差別的な主張が連日のように平然と行われている。8/31の投稿でも書いたように、別の局・別のワイドショー/ニュース番組でも、韓国当局の不備ばかりを強調し、日本政府の不適切な態度・対応は殆ど取り上げない番組ばかりだ。まさに戦前戦中の忖度報道再びというのが率直な感想である。
8/27、九州北部は記録的に大雨に見舞われ、佐賀県などで洪水が発生した。先週末復旧作業の為に、昨年豪雨被害が起きた広島や、一昨年に被害が起きた福島、震災で被害を受けた熊本などからボランティアが集まった、という話「大雨被害の佐賀にボランティア続々 被災地から「恩返し」で駆けつける人も | ハフポスト」が報じられている。しかし、毎年起きる豪雨被害/水害にメディアも視聴者も慣れてしまったからなのか、昨年/一昨年に比べて、今年は明らかに豪雨被害に関する報道が少ない。嫌韓に割く時間があるなら…と虚しくなる。
7/30の投稿のタイトルは「テレビの緩やかな自殺」としたが、ここのところ急激に自傷行為が激しくなっている。「緩やかな」という認識は大きな間違いだった。
ロイターは9/2に、「日本の製造業、全業種で経常減益 半導体関連の需要落ち込み」と報じた。しかし現政権は、これまでアベノミクスの成果を過剰に強調してきたこともあり、その面子を守る為に、いまも景気は緩やかに改善しているという姿勢を崩しておらず、10月の消費税増税を推し進める方針を変えない。駆け込み需要が起きない程状況は悪い、という指摘も各所からなされており、増税前から消費は冷え込んでいると言えそうだ。それに拍車をかけることになる増税を行えば、増税によって税収が減るという最悪の結果を招きかねない。
2017年の衆院選では、自民党へ投票した理由として、多くの有権者が経済政策を挙げたのにもかかわらず、こんな状況になっても、先週末に行われたテレビ東京と日本経済新聞の世論調査では、安倍内閣の支持率は前回調査より6ポイント上昇して58%だったそうだ(安倍内閣支持率上昇 58% テレ東・日経世論調査:ワールドビジネスサテライト:テレビ東京)。政権の支持率が下がらないという結果は、この調査だけでなく、約2週間前に行われた共同通信の調査でも同様だ。それについて書いた8/19の投稿でも書いたが、この結果は異様・支離滅裂と受け止めざるを得ない。
有権者の判断力が低下し支離滅裂になっているか、メディアが足並みを揃えて不適切な調査を行っているかのどちらかとしか思えない。前者にしろ後者にしろ、日本全体がカルト化し始めていると言ってもよいのではないか?と思えるような状況だ。
米ワシントンポストは、8/29に「Japan is a Trumpian paradise of low immigration rates. It’s also a dying country.」という記事を掲載している。この見出しは「日本は移民率の低いトランプが理想とする楽園だ。 そして、既に死にかけている国でもある」という意味だ。「少子高齢化社会が現実になっているにもかかわらず、基本的には移民を拒み、外国人労働者には「働きに来てもいいが歓迎はしない、都合によっては帰国させる」と伝える、滅びゆく未来のない国」と、反面教師にすべきとしている。
日韓対立についても触れられており、「日本の安倍首相は、韓国との政治的な対立に貿易の脅威を持ち込んだことで、トランプの世界観を熱心に学んだことを証明した」とも書かれている。
ワシントンポストのこの記事が、日本国外から見た日本政府の実態に関する絶対的な認識、と断言することは出来ない。しかし、少なくともそのように受け止めている者が少なからずいるということに間違いない。
トップ画像は、御仏壇 | 御仏壇 | Ryohei Noda | Flickr をトリミングして使用した。この投稿の導入で登場した、毎朝お経をあげる祖母のイメージでもあり、死にかけている国のイメージでもある。