自公・安倍政権は2012年12月に成立して以来、およそ6年半続いており、安倍氏の首相在任期間は、2006-07の所謂第1次も含めると、日本屈指の長さになっている(安倍首相、戦後最長の在任へ 23日、佐藤栄作と並ぶ:朝日新聞デジタル)。現政権の成立以前、2001-05年の小泉政権などの例外もあるが、日本では毎年のように首相が代わる状況が続いていた。
安倍氏は、今年6月の会見でこんなことを言った(令和元年6月26日 安倍内閣総理大臣記者会見 | 令和元年 | 総理の演説・記者会見など | ニュース | 首相官邸ホームページ)。
とした上で、長期政権のメリットを語っている。因みに、ここでの「この課題」とは、少子高齢化対策などに関してで、彼は「教育無償化の関連法案が成立する直前、平成が終わり、新しい令和の時代が幕を開けました」と述べているのだが、5/11の投稿でも書いたように、無償化は全く実現出来ていない。彼は「無償化の関連法案」と述べているので明らかな嘘ではないが、彼が毛嫌いする印象操作の感が否めない。平成の時代、こうした課題は長く放置されてきました。決められない政治、不安定な政治の下で、総理大臣は、毎年のようにころころと代わりました。
安倍氏は、総理大臣が毎年のようにころころと代わるのは、決められない政治・不安定な政治になるので好ましくない、という趣旨の主張を繰り広げている。確かにその話には一理あり、国の顔があまりにも頻繁に入れ替わるのは外交交渉の上でも不利だ。しかし一方で、彼のその主張には大きな矛盾もある。
2012年12月の第2次安倍政権成立以降、今日までに8度もの内閣改造が行われている。彼は内閣・党人事を刷新する度に、ほぼ確実に「適材適所」若しくは類似する表現を用いる。2017年8月の人事刷新時には「結果本位の仕事人内閣」、2018年10月の人事刷新では「適材適所の全員野球内閣」と自ら称したことは記憶に新しい。
毎年のように総理大臣がころころと代わるのは、決められない政治・不安定な政治になると言っているのに、何故安倍氏は毎年のように内閣人事を変更するのだろうか。彼の見解に沿って考えれば、それでは決められない省庁運営、不安定な省庁運営になってしまうのではないか。確かに、大臣に据えてはみたものの、期待以下の働きしか見せなかった者は、その任を解いて交代させた方がよい。しかし、ということは、彼の人選は毎回適材適所ではなかったということになりはしないか。適材適所の人選であるならば、たった1年足らずで大臣を交代させる必要はないはずだ。
現在、9/11に再び内閣・党人事の刷新、つまり内閣改造が実施されるという話が盛り上がっている。各メディアが取材に基づき、○○氏の○○大臣への起用を検討、起用が内定などと、こぞって掴んだ情報を報じている。しかし、
適材適所で選んだ内閣・党人事をなぜ1年足らずで変更する必要があるのか?と、その動きを批判的に報じるメディアは殆どない。皆無と言ってもよさそうだ。
また、
こんな記事も報じられている。この話は現政権に限った話ではない。それ以前の政権・自民党政権以外でも同様の話はあった。しかしそもそも、当選回数を重ねると大臣になれるという認識自体が妥当とは言えない。現政権で言えば、元沖縄北方大臣の江崎 鉄磨氏、元五輪担当大臣の桜田 義孝氏などが「(官僚が用意した)答弁書を朗読する/間違えずに読む」などの発言をしており、どう考えても、当選回数を重ねただけの適任とは言えない者が大臣に任命されている。また、北方4島を正確に言えない担当大臣や、「地震が起きたのが東北でまだ良かった」と発言した復興大臣、日報の隠蔽を複数回許した防衛大臣など、その種の人選は枚挙に暇がない。前述のような記事を掲載するなら、そのような批判をセットにする必要が確実にあるだろうが、そういった指摘は殆ど見られない。
元○○大臣という肩書は、今後の選挙を有利に進める為などの理由で、欲しがる議員も多いのだろう。明らかに肩書目当て、派閥の勢力争い目当てで大臣が任命されてしまっている状況がある。内閣改造前にこそメディアがそれを明確に指摘しない今の状況を見ていると、メディアと権力の癒着が激しいとしか言いようがない。
もう殆ど毎日のように同じ結論を書いているが、例えば文科大臣が、
こうした行為は適切でしょうか? RT @d_ok3a: @NI84USx7ecHjMU7 私の通う高校では前回の参院選の際も昼食の時間に政治の話をしていたりしていたのできちんと自分で考えて投票してくれると信じています。— 柴山昌彦 (@shiba_masa) September 7, 2019
もちろん今の政権の問題はたくさん話しました。笑
と、まるで、将来有権者になる者の考える頭をなくし主張する口を塞ぎたい、と言っているかのようなツイートをしても、メディアも殆ど取り上げず、大きな話題にならない状況はかなり深刻だ。柴山氏は8/28の投稿でも書いたように、自分や政府への異論を排除することを厭わない姿勢を明確に示している。陳腐な表現だが、彼のような人物が文科大臣になれるなんて世も末だ。
大臣が有権者の口を塞ごうとしてもメディアが殆ど反応を示さず、昨日の投稿でも書いたが、他国の汚職に関する報道にばかり躍起になっている。他国の汚職に関する報道自体は不適切なことではないが、明らかにバランス感覚に欠けており、その影響で市民の一部が他国や他国民に対する差別的な主張・偏見等を示していても、メディアも政府もその不適切さを積極的に指摘しない。
個人的には、メディア等も用いてユダヤ人排斥を煽ったナチス政権のそれと、今の日本の状況に大きな差はないように感じる。確かに、まだ在日朝鮮人/韓国人らが生活にかなり深刻な支障をきたすレベルの差別や弾圧は起きていないが、それは初期のナチス政権下でも同じだったはずだ。このままエスカレートしたらどんなことが起きるだろうか。万が一そんなことになったら、日本が他国からどのような評価を受けることになるかを考えると、楽観視などしてはいられない。
政府とメディアが腐れば国民も腐るし、国民が腐れば政治とメディアも腐る。日本では国政選挙の投票率が50%程度と低水準だが、政治やメディアの腐敗に無関心でいても影響は確実に全ての国民へ及ぶ。例えば香港のように、事態が深刻化してからでは、状況を覆すのに大きな労力がかかる。大事なのは転ばぬ先の杖だ。無関心は絶対に好ましくない。