来週の月曜日(2019年10/14)は体育の日である。2000年以降体育の日は10月の第2月曜日になったが、本来体育の日は10/10だった。祝日となったのは1966年からで、前回の東京オリンピック開会式が行われたのが1964年10/10だったことに由来する(体育の日 - Wikipedia)。
因みに2度目の東京オリンピックが開催される2020年は特例措置によって、体育の日が7/24に変更される。また、どんな意図があるのかさっぱり分からないが、2020年以降体育の日はスポーツの日へ名称が改められるそうだ(東京五輪前後に3祝日移動 改正法成立、渋滞を緩和 :日本経済新聞)。体育は死語になったのだろうか。
昨今は週休2日制の影響により春に運動会を開催する学校も多いようだが、自分が児童・生徒だった頃は運動会は秋と相場が決まっていた。因みに自分が通っていた小学校は年に2回運動会があり、4月の終わりに春の小運動会、10/10前後に秋の大運動会があった。
少なくとも自分が児童・生徒だった1980-90年代頃までは、10月のイメージは確実に秋だった。晩春・初夏の5月同様に日中は半袖で丁度良い気持ちのよい晴れ、日が暮れると半袖では肌寒くなる日が多かった。しかし近年の10月、特に初旬の印象は夏である。今年もまた「10月って夏だったっけ?」と思うような蒸し暑い日が続いている。Tenki.jp によれば、昨日・2019年10/5(土)の東京の気温は最高30.3度/最低21.5度だったそうだ。つまり気温が30度を超える真夏日である。25度を超える日が夏日とされているので、10月は晩夏ではなく「明らかな夏」と言った方がよいのかもしれない。
昨日の気温を見ていてふと思った。「前回のオリンピックが開催された1964年10月の東京はどんな気候だったのだろうか」と。検索すると、東京の過去の天気 1964年10月 - goo天気 がヒットした。
開会式が行われた1964年10/10(土)東京の気温は、最高20.9度/最低12.2度だ。1964年東京オリンピックの開催期間は15日間で、閉会式が行われたのは10/24だが、期間中軒並み最高気温20度/最低気温12度前後の日が続いている。運動するのにはとても適した気温と言えるのではないだろうか。因みに、自分が小学生だった1990年と、その10年後・2000年の10月は次のような気温だった。
1964年よりは多少気温が上がっているが大差はなく、どちらも運動に適した気候、つまり運動会開催に向いていると言えるだろう。秋に運動会が多かったのは理にかなっていたと言えそうだ。
2020年の東京オリンピックは7-8月開催で、酷暑の中での大会になることが確実視されている。本来最も効果的な暑さ対策は、
- 開催時期を、比較的気温の高くない前後へずらす
- 開催地を北側へ移す
昨日あるテレビ番組の中で、都民ファーストの会の都議が「開催日程はもう既に決まってしまっているので出来る限りの対策をする」「東京オリンピックで夏季オリンピックを酷暑の中で開催することの難点を提示できれば、今後の夏季オリンピックの為にもよいのではないか」という旨の発言をしていた。あまりの馬鹿さ加減にただただ呆れるしかなかった。
「既に決まったことだからやるしかない」というのは、1度決まると理がないことが分かっても変更しない・出来ない公共工事などでも、その異様さ・不合理さが散々指摘されいるし、夏季オリンピックを酷暑の中で開催することについて、東京オリンピックを実際にやらないとその難点が提示できないというのは、優しく言っても「2020年東京オリンピックが”悪い例”として語り継がれる」ということだし、最良の結果が得られないことが分かっているのに計画を実行する、厳しく言えば成功しないことが分かっている、失敗の懸念が強いのに強行するような愚かな行為ではないのか。前例はないが功を奏す見込みがある対策があり、それを実証する為に酷暑の中で大会を行うのではなく、実効性が見込める対策もないのに、「既に決まったことだから」と見直しもせずに計画を強行するのは愚行というより他ない。
半年以上も都市部の大部分が焼失する程の空襲を受けていたのに、原爆を投下されるまでポツダム宣言受諾を決められなかった、という大日本帝国政府・旧日本軍・昭和天皇が犯した過ちを繰り返そうとしているようにも思える。この例え方はやや大袈裟過ぎる感もあるが、「現状を適切に捉えることが出来ない、分かっているのに目を逸らす」という点では共通している。
「1度決まったことだからやるしかない」という話に果たして妥当性はあるのか。当初東京は2016年の開催を目指して2007年(国内選抜は2006年)に立候補したが、2009年に2016年の開催地がブラジル・リオに決定し東京は敗れた(2016年夏季オリンピックの開催地選考 - Wikipedia)。その後2011年に石原 慎太郎都知事が2020年のオリンピック開催地に再び立候補することを表明し、2020年開催招致に向けた活動が正式に始まった(2020年東京オリンピック構想 - Wikipedia)。この時点で開催時期が決まっていたのかは定かではないが、2011年7月 / 8月の東京の気温は次の通りである。
最高気温は軒並み30度越え、中には35度を超える猛暑日もあるし、夜間の気温が25度を超える熱帯夜も決して少なくない。つまり、2020年オリンピック東京開催に向けた招致活動が始まった2011年の時点で、日本の夏・7/8月は既に酷暑と言って差し支えない状況だった。
2020年夏季オリンピックの東京開催が正式に決まったのは2013年9/7だが、2013年7月 / 8月の東京の気温は、
であり、2011年の夏が前後の年に比べて極端に暑かったわけではないことが分かる。個人的な感覚でも、少なくとも2010年頃から夏が異常なまでに暑くなった、暑くなったというよりも熱くなったと表現した方が妥当とすら感じる暑さになったと記憶しているし、2013年の5/31から10/31に期間を区切って「酷暑」で検索すると、既に以下のような記事が世に出ていたことが分かる。
- 酷暑でのサッカー 本当にやるべき? | フットボールチャンネル(2013年8/12)
- この国は壊れはじめている「千年猛暑」異常気象はまだまだ続く(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(2013年8/27)
例えば、東京オリンピックの開催が決まった時点では、明らかに7-8月の東京の気候が運動に適していたのであれば、「1度決まったことだから対策を講じて実行するしかない」という話にも理解できる余地はあるだろうが、開催が決まった時点で既に酷暑の中での開催になることが予想され、しかも熱中症の危険性も指摘されていたのに、それを無視、無視は言い過ぎでも軽視して開催を決めているのだから、「1度決まったのだから仕方ない」なんて話は受け入れ難い。
しかも気温・気候の話だけでなく、招致活動中は「都市型オリンピックは低予算で可能、コンパクト五輪」という話が強調され、7000億円程度の予算で賄えるという話だったのに、いざ招致が決まると次から次へといろいろな予算が足され、最終的には2倍以上(3倍程度という話も)に膨らむ見通しであり、コンパクト五輪のコの字すら出てこなくなったこと、そして何より首相が「(福島原発事故は)アンダーコントロール」という嘘をついて招致した(8/21の投稿)こと等を考えると、「1度決まったのだから仕方がない」なんて、恥ずかしげもなくよく言えるな、としか思えない。招致活動が始まった2011年、東京での開催が決定した2013年以降、何度も見直しをする機会はあったにもかかわらず、ごり押し・なぁなぁで時間を浪費しておいて、恥ずかしげもなく「1度決まったことだから…」なんて言える人の気が知れない。
この「1度決まったことだから」という話が常に妥当ならば、法改正も憲法改正も全く必要なくなる。何故なら法改正も憲法改正も1度決まったことを見直して、必要性が認められれば覆すということに他ならないからだ。状況を直視せずに決定したことや、決定後に状況が変化したことについて、見直しをしない合理性を「1度決まったことだから」で説明できるのなら、この国はいつまでも過ちを繰り返す国になってしまうだろう。