SNSを眺めていると「ストレスを貯めている人が多いな」としばしば感じる。そう言う自分も、嘘ばっかりの政治や杓子定規で思いやりのない社会にウンザリし、相当なストレスを抱えている一人ではある。日本の社会における主なストレスの発生源は、過剰な同調圧力と○○ハラスメントと呼ばれる嫌がらせ行為だろう。他から受けたストレスを「自分と同じ苦しみをお前も味わえ」と言わんばかりに他人へ押し付ける行為や、SNS上では見たこともない誰かへ、実社会ではパッと見て自分よりも立場の弱そうな者など、概ね反撃されないであろう誰かに対して行われる理不尽な言動、そしてそれらの負の連鎖も、ストレスフルな社会の原因だろう。
ハフポストが昨日「モード誌『SPUR』が渋谷で生理ナプキン7400枚を配布 「男性にこそ見てほしい」」という記事を掲載していた。集英社が発売している女性向けファッション雑誌「SPUR/シュプール」がSHIBUYA109に掲出した、生理用ナプキン7400枚のサンプル付き広告の意図は?という内容の記事である。次の画像は記事に掲載されている当該広告のイメージだ。
「生理用ナプキンを添付した広告」と聞くと、女性に向けた広告のようなイメージだが、この広告が掲出されたのは女性向けのショップが集まる道玄坂の109ではなく、ハチ公前交差点の角にあるMAGNET by SHIBUYA109の方だ。MAGNET by SHIBUYA109は、以前は109MEN'Sという名称で、今も男性向けのショップが多い。
同誌の編集長である五十嵐 真奈さんは、記事の中で、
(SPURのアンケート調査で)生理休暇を取ったことがある人は22%にとどまり、多くの方が生理休暇を自由に取れない、男性の上司に言いづらい、そもそも福利厚生に「生理休暇」がないという窮屈さを抱えてきました
笑顔で絶好調では過ごせない事情があるのなら、もはやそれを包み隠さず伝えた方がいい。絶好調じゃない自分のことも愛して、包み隠さず伝えられる環境をつくりたい
今回の企画は、むしろ男性や生理を体験しないバイオリズムの方にこそ見ていただきたいなどの言葉で、この広告に込めた意図を説明している。2018年2/15の投稿でも書いたように、世界中でまだまだ「生理は隠すべきもの」のような認識が強く、それは日本でも同様であり、この広告は、生理で具合が悪い時は堂々と言っていい環境、女性が働き易い環境を整えよう、その為には「生理は隠すべきもの」という認識を解消し、男性の理解を得ることが必要、のようなことをアピール/提案する趣旨なのだろう。
この広告の提案する趣旨は何も間違ってはいないし、日本の女性の地位が世界的に見ても低い状況や、少子高齢化によって女性の社会進出が今まで以上に求められる状況である事を勘案すれば寧ろ、必要不可欠な問題提起だ。しかし一方で「具合が悪くても言いにくい、休みにくい」のは女性の生理だけでなく、男女問わず風邪・熱などで具合が悪くなった場合も同様であり、この広告の趣旨に対する理解を求め、生理に対する適切な認識を男女問わず広げる為には、生理に限定してアピールするのではなく、まずは「生理に限らず具合の悪い時は当然のように休める空気」の実現を呼び掛けた方が良いのではないか?とも思う。
実状として、日本の社会ではまだまだ自分よりも立場の弱そうな者に対して行われる理不尽な行為も多く、女性や未成年が声を上げれば、「女性(又は子ども)が甘えたことを言っている」「お前らは社会の実状を分かってない」などの、訴える内容ではなく社会的な属性を根拠とした揶揄を恥ずかしげもなく押し付ける者がまだまだ多いし、例えばハイヒールを職場で強要されることへの訴え #Kutoo に対しても、「男だってスーツ/ネクタイ/革靴を着たくも履きたくもないのに強制されているのに、何を言っているんだ?」の様な、「自分と同じ苦しみをお前も味わえ」と言わんばかりの反論がしばしば示される(#KuToo呼びかけの石川優実さんに飛び交う理不尽なバッシング。当人が思い語る | ハフポスト)。
同誌は女性向けであり、女性の社会進出の妨げとなる生理への無理解の解消に向けた意見広告を掲出することには、勿論何の問題もない。「生理に限らず具合の悪い時は当然のように休める空気を作ろう」は、そう思った別の誰かがアピールすればよい、とも思える。しかし前段で書いた実状を勘案すれば、考え足らずの人々が「女だけズルい」と言い出すことに対して先回りして、まずは生理に限定しないアピールをした方が、結果的に生理で具合が悪い時に堂々と言える環境を実現する為の近道なのではないだろうか。
2018年9/21に「馬鹿げた話にも付き合わなければならない、というジレンマ」というタイトルの投稿を書いた。このSPURの広告の意図に対して「女だけズルい」と批判することも、概ね馬鹿げた話の範疇ではあるだろう。但し、この場合は小さな集合に絞ってアピールしても、自分達が訴えたい話を含む大きな集合についてアピールしても、たどり着くゴールは結局同じだ。寧ろ後者の方がより多くの人の共感を集める可能性があるので、望む状況の実現がしやすいように思う。
もし万が一風邪や熱で休める空気が出来た後に「生理は病気じゃないから別」と言われたとしても、「生理が病気でなく生理現象だとしても、具合が悪くなることに変わりはない」と反論しやすくもなる。今の段階では生理に限らず「具合が悪かろうが関係ない、休もうなんて穴甘い」という人が少なくない。いくら生理のつらさをアピールしても「だから何?」という人が一定数いる状況では、「生理で具合が悪い時に堂々と言える環境」を実現しにくい、とも言えそうだ。
「馬鹿と鋏は使いよう」という慣用表現があるように、まずは馬鹿に恩を売って、馬鹿が馬鹿なことを言わない、馬鹿なことを言わないどころかこちらの味方をするような状況を、作ることを見据えて主張を展開する方がより賢いのではないだろうか。
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