日本で「花」と単に言う場合、文脈上特に説明などがなければ基本的には桜を指す。平安時代・900年代に編纂された古今和歌集に、既に桜を指す「花」という表現が見られる。因みに、奈良時代・700年代後半に成立したとされている、日本最古の歌集・万葉集の歌の中には、「花」という表現で梅を指す場合も少なくないそうだ。Wikipediaの サクラ#歴史 の項では、万葉集では、中国文化の影響からか、梅の歌118首に対し桜の歌は44首に過ぎなかったが、平安時代に国風文化が育つに連れて徐々に桜の人気が高まり、「花」は桜を指すようになった、と解説している。
つまり、日本人にとっての桜は、国を象徴する存在の1つである、と言えるだろう。
何かを象徴する存在というのは、しばしば扇動・プロパガンダにも利用される。桜もその例外ではなく、例えば太平洋戦争に好まれた軍歌に「同期の桜」(Wikipedia)がある。国の為に犠牲になることを促すような内容の歌詞で、特に戦争末期の特攻隊員に大いに流行したそうだ。
昼間から人目に付くような場所で宴会をしていれば、屋外での飲酒に関する規制のない日本でも、基本的には白い目で見られるものだが、何か呑むべき理由があればその限りではない。野外音楽フェスなどもその1つの例だが、その最たる例はやはり「花見」だろう。桜の咲く季節になると多くの日本人が桜の周りで宴会をする。酒が入ると喧嘩などの迷惑行為をする者も相応に出てくるが、何故か渋谷のハロウィーンの混乱は強く嫌悪されるのに、花見の席で酔って迷惑行為を行う者が出ても、渋谷のハロウィーン程強く嫌悪する風潮はない。個人的には不公平な話だと思うのだが、別の言い方をすれば、花見はそれ程日本人に定着した風物詩的な行事で、ハロウィーンはまだまだその域ではないということの表れかもしれない。
この数年、首相が主催する「桜を見る会」に多くの芸能人が参加しており、「桜を見る会」が首相や政府の単なる人気取りの会になっているのでは?という話が話題になっていた。今年・2019年の4/30にも、古谷 経衡さんが書いた「総理と「桜を見る会」でハシャぐ有名人の気持ち悪さ/古谷経衡 | 日刊SPA!」という記事が掲載されている。
今年の参院選前には吉本の芸人やジャニーズのベテランアイドルグループ、人気の俳優らが首相と会食したと、本人らや首相・官邸などがSNSへ投稿したりもしていたが、桜を見る会への参加に限らず、「芸能人らは軽い気持ちで招待に応じただけで、彼らに非があると指摘するのはどうか」という見解を示す人もいた。個人的にはそれがどういうことかをよく考えもせずに軽い気持ちで応じること自体がまずいと考える。
まさに、こんな状況にもかかわらず、「ただなんとなく」「自民党ファンだから」みたいな理由で政権と与党を支持している人ら(昨日の投稿)の典型ではないか。
これまでも、この「桜を見る会」に当初予算の3倍もの金が投入されている、ということが明るみになっており、国会でも追求されていたが(東京新聞:「桜を見る会」に5200万円、予算の3倍 安倍政権、5年で参加者4500人増:政治(TOKYO Web))、昨日の投稿でも触れたように、11/8の参院予算委員会で共産党・田村議員が、首相主催の「桜を見る会」に地元の後援会員が多数招かれていると指摘し(論戦ハイライト/桜を見る会 公的行事を私物化/モラル崩壊 首相に起因/参院予算委 田村氏の追及で浮き彫り しんぶん赤旗)、その直後からWeb上では大きな話題になっている。
しかし何故か既存メディアの反応は、11/9の投稿で指摘した、首相が国会で何度もヤジを飛ばしている件と同様に鈍く、直後の週末・11/9-10はそれに関する報道は殆どなく、週明けの昨日・11/11頃から新聞やテレビもようやく重い腰を上げて取り上げ始めたという状況だ。
NHKはこの件に関して「“「桜を見る会」は問題ない“ 招待者数精査は検討 官房長官 | NHKニュース / インターネットアーカイブ 」という記事を掲載している。
記事には
総理大臣主催の「桜を見る会」をめぐり、野党側が参加者数や支出が増えていると批判していることについて、菅官房長官は、実態に合わせて開催に必要な予算を要求しており問題はないという認識を示す一方、今後、招待者数の精査を検討する考えを示しましたとある。菅氏は「来年度の概算要求では、テロ対策の強化や混雑緩和の措置など、近年に講じた改善点を反映させており、実態にあわせた要求を行っている」と述べ、予算の要求額に問題はないとしたようだが、参加者数や支出が年々増えているほか、安倍総理大臣の地元の後援会からも多数の人を招待している、と指摘されており、つまり「桜を見る会の実態」に問題があるのではないか?と指摘されているのだから、「実態に合わせて予算を要求しているので問題はない」というのは、所謂ご飯論法による論点のすり替えだ(ご飯論法(ごはんろんぽう)とは - コトバンク)。
次の動画は、テレ東NEWSのYoutubeチャンネルで公開された、菅氏がそう述べた記者会見の一部始終と、当該部分を切り出した動画である。
これを見ても、参加者人選が合理性に基づいていることの合理的な根拠を示さずに「指針に沿っているから問題はない、実態に合わせて予算請求しているので問題ない」と、オウムが如く繰り返しているだけで、妥当な質疑応答になっていないことがよく分かる。ハッキリ言ってこんな会見は茶番でしかない。そう強く追及できない官房記者クラブの記者たちにも腐敗が広がっていると言えるのではないか。
「問題はない」と言い続けているにもかかわらず、菅氏は招待者数の精査を検討するつもりだとも言っている。問題がないなら精査の必要も再検討の必要もないのではないか。言っていることが矛盾している。
現在、桜を見る会に参加していた与党関係者らの1部が、当時のSNS投稿やブログ投稿を削除しているようだが、一体なぜそんなことをする必要があるのだろうか。それはそこに書かれている内容が、政府や首相にとって都合が悪いからではないのか。
このままもし来年の4月まで現政権が続くとしたら、「桜を見る会」の規模縮小はやむを得ないだろう。今年までと同規模・同じ様な人選で開催したら、それこそ火だるまになるだろうから、恐らく折を見てその旨の方針が示される、若しくは事後的にそう認めるのだろうが、そうなった際に、昨日の投稿で指摘した英語の民間試験導入延期についての世論調査のように、どこかの報道機関が「桜を見る会の規模縮小方針を支持しますか」なんて設問で調査を行えば、当然「支持する」という回答が過半数を超えるだろう。それによって、あたかも「現政権が間違いを正す英断を下した」みたいな空気が醸成され、そうやって誤魔化すことで着地し有耶無耶になるのではないか?と強く危惧する。直近に前例があるだけに、見当外れの推測とは言えないのではないだろうか。
そんな状況なのだから、この国でオレオレ詐欺や振込め詐欺が横行するのもある意味仕方がないし、逆に言えば、そんな国民性だから簡単にまるめ込まれて、「ただなんとなく」「自民党ファンだから」みたいな理由で政権と与党を支持する、なんて人が過半数を超えている、とも言えそうだ。
昨日の投稿でも書いたように、「何事もよく見て・よく聞いて・よく話す」を実践して判断することが重要なのだが、明らかに、少なくない有権者にそれが足りていないのが今の日本の現状だ。
トップ画像は、カオリ 新山によるPixabayからの画像 を加工して使用した。