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ビジネス現場で「分からない」は禁句


 どんな職業・職種であっても「記録を残しておく」ということはとても重要で、顧客の信頼を獲得するのに最も有効な手段の一つである。特に営業職やそれに類する職種であれば、顧客の要求に最大限答える為に記録は命綱でもある。仕事の出来る人ほど過去の記録を「そんなこともすぐに分かるのか!」というくらい残している。逆に言えば、何を聞いても「記録がないから分からない・対応できない」と言う営業マンからはどんどん顧客が離れる。
 自分はクルマに乗ったりいじったりするのが趣味だが、これまでにどんな作業をしたか記録していない業者に自分のクルマを任せたいとは思わない。趣味だろうが趣味でなかろうが、整備記録をつけない業者はあり得ない。また、建築関連の仕事に就いて初めての現場管理の初日、一切メモも写真も残していなかったことを指導役の先輩にこっぴどく叱られた経験がある。「施主に何か聞かれた時に対応する術を持っておかなかれば次の発注を貰えなくなるが、お前はその責任をとることができるのか?」と。つまり、多くのビジネス現場で「記録がないから分からない」は概ね禁句である。重要な顧客に対しては特に。


 現政権下では数々の公文書改竄・隠蔽・不適切な廃棄がこれまでに取り沙汰されてきたが、その結果、この頃は「記録はない」と平然と言ってのけるケースが増えている。どうやら中央官庁や官邸は、「記録がないから分からない」がほぼ禁句である民間のビジネス現場とは状況が異なるようだ。

 これらのNHK報道を念頭に考えると、数々の矛盾が浮かんでくる。

 これらの報道をまとめると、
  1. 桜を見る会の招待者名簿廃棄は妥当
  2. 桜を見る会に問題があったことは首相も官邸も認めている
  3. この問題に対する説明はこれで充分だと考えている
というのが首相や官邸、そして与党・自民党の認識ということになりそうだ。11/12の投稿でも指摘したように、官房長官は当初「桜を見る会に問題はない」という見解を、大した根拠も示さずに、オウムのように繰り返していたが、流石に強引に言い切ることに無理が生じていると考えたのか、見直しの余地があるという立場に転じた。勿論この、シレっと手のひら返しする姿勢にも納得はいかないのだが、それは100歩譲ってまともな考えに立ち直ったと認識することにする。
 しかし「見直しが必要だ」と言っているのに、招待者名簿の廃棄は適切だったというのは、「お前は何を言っているんだ?」以外の受け止めができない。菅氏は「これまでの予算や来年度の費用として請求した予算に問題があり、見直す必要がある」と言っているが、その見直しには、どんな人をどんな基準・理由で招待したのかを確認するのに必要な招待者名簿が不可欠なはずだ。でなれば中身のある見直しなどできる筈がない。「招待者名簿なしに見直しを行う、それで充分に見直しが出来る」と言うのなら、それはポーズをとっただけであると言われても仕方がない。つまり、見直しの必要性を認めるなら、名簿の廃棄が妥当などとは口が裂けても言えないはずだ。
 このように指摘すると「廃棄当時は問題が浮上するという認識はなく、規定にそった廃棄だったので、廃棄時点ではその妥当性に問題はなかった」などと反論してきそうだが、そもそも後に問題が発覚した際の見直しに必要な文書に保管義務がない規定自体が不適切であり、規則自体に妥当性がない、つまり廃棄にも妥当性はないということになる。これは「妥当・適当」という表現を使って正当性を演出したいが為に論点をスライドさせている、若しくは話の焦点を都合よく絞って、都合の悪い部分から目を背けていると言わざるを得ない。


 後に問題が発覚した際の見直しに必要になる文書について「廃棄は妥当」という見解を示せるのは、官僚や官邸に公僕の意識が欠如しているとしか言いようがない。官僚や官邸は公僕であり、つまり彼らの重要な顧客は有権者である。有権者に対して「記録がないから答えようがない」と恥ずかしげもなく言えるということは、官僚や官邸が有権者を、税金を預けてくれる重要な顧客である、と認識していないことの表れだろう。


トップ画像は、rawpixelによるPixabayからの画像 を加工して使用した。

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