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自国民すら欺いていた戦中日本なら…


 テレビ朝日は今朝「令和元年度文化庁芸術祭参加作品 「史実を刻む~語り継ぐ“戦争と性暴力"~」」を放送した。終戦により軍が撤退したことによって満州に取り残された開拓団の、若い女性が強いられた「ソ連兵への性接待」に関する内容で、日曜早朝4:30から同局が放送している30分枠のドキュメンタリー番組・テレメンタリーで、2019年8/25に放送された同名回の1時間枠バージョンだった。30分版はAbemaビデオで見ることができる。
 開拓とは名ばかりで、日本が一方的に満州国を建国し、現地住民が開墾した土地を安い価格で立ち退かせていたこと、その所為で敗戦後、開拓団として移民した日本人が中国人からの暴力に晒されたこと、その暴力抑止をソ連軍に依頼する見返りに若い女性が差し出された、ということを紹介し、彼女らは帰国後日本でも汚れた者のように扱われたことにも触れていた。


 11/16にNHK Eテレが再放送した「彼らは再び村を追われた 知られざる満蒙開拓団の戦後史」では、国策に何度も翻弄された決して裕福とは言えない農村の非長男たちが描かれていた。現実と乖離した謳い文句で満蒙開拓団に誘われ、終戦後戻った故郷でも厄介者扱いを受け、戦後の国内における戦後開拓事業でも、再び満蒙開拓団同様に現実と乖離した謳い文句で集められ、その一部の福島の事故原発から30km以内の地域を開拓した人達は、原発事故によって三度土地を追われることになった、ことが語られていた。

 自分にとってはこれらの番組に特に目新しさはなかった。しかし、戦争が起きると如何に市民が翻弄されるのか、を伝える為にはとても重要で、若い視聴者向けにはこの種の番組が確実に必要だろう。だが、この種の番組を見ていると「果たしてそれだけでいいのか?」という感覚も湧いてくる。
 単なる個人的な印象でしかないのかもしれないが、日本で放送されている戦争絡みのドキュメンタリー番組や、ノンフィクション系のドラマなどでは、満州移民・原爆被害・戦中日本兵が強いられた過酷な環境など、日本人が受けた被害や、日本軍などが日本人に対して行った理不尽な仕打ちなどがクローズアップされがちだ。つまり、日本人が被害者として描かれがちである。しかし、日本軍が理不尽な仕打ちを行ったのは決して自国民に対してだけではない。前述の満州の現地住民に対しても、そして戦中に占領下においた東南アジア諸国、戦前から植民地支配していた朝鮮の市民に対しても理不尽な仕打ちを行っていたのに、それについて語るドキュメンタリー番組やドラマは、日本人が戦争によって受けた被害についての番組やドラマに比べて明らかに少ない。少なくとも自分にはそう感じられる。
 NHKやドキュメンタリー系のCSチャンネルでは、ナチやヒトラーに関するドキュメンタリー番組や再現ドラマなどが多く放送されている。その中にはナチが行った虐殺や弾圧をテーマにしたものも多く含まれている。しかし何故か日本の戦争ドキュメンタリー番組やドラマでは、日本軍が日本人に対して行った理不尽な行為が描かれることはしばしばあるが、日本軍、つまり当時の国としての日本が、支配地域に対して如何に酷いことをしてきたかが語られることはあまりない。

 日本が、日本人が、過去の戦争に向き合い、過ちを糧にしてより良い将来に向かう為には、当時の日本が国外でどんなことをしたのか、に関するドキュメンタリー番組やドラマももっと制作されるべきではないのか。


 日本テレビ系で月曜 1:05から放送しているドキュメンタリー番組・NNNドキュメントの11/11の放送は、「不信の棘 “徴用工”と日韓の行方」というタイトルだった。満蒙開拓団と同様に、現実とはかけ離れた謳い文句によって集められ、女子勤労挺身隊などとして韓国から富山の工場へ送られた、所謂徴用工についての番組だった。
 昨日ツイッターのタイムラインを眺めていたら、次のツイートがプロモーション、つまり広告として表示された。



アカウント名にもあるように、文藝春秋社による「反日種族主義日韓危機の根源」という本の広告である。この広告には著者であるソウル大学教授で経済学者の李 栄薫さんがコメントする動画が添えられており、
日本と韓国は好きであれ嫌いであれ共に信頼し協力し
友達付き合いをしながら進んでいくしかない関係です
両国の自由市民たちが両国の民族主義を克服し
個人の自由を最も重視する自由市民たちが
国際的連帯を強化して協力と信頼を強化したとすれば
我々韓国の先進化に大きな助けになるのではないか
そんな期待からこの本を日本で出版することにしました
というテロップが付けられている。 このコメントに関しては特に大きな異論はない。しかしプロモーション用のツイートでは
「強制徴用」という虚構。
慰安婦問題は存在しなかった。
と強調しており、「新潮社だけでなく(10/5の投稿)、文春もそろそろ終わりか」という印象しか持てなかった。このツイート広告だけでなく、最近の同社の看板誌の中吊り広告も嫌韓煽り色が濃くなっていることも、そう思えた理由だ。

 ハフポストは、著書のプロモーションの為に来日している李さんが日本記者クラブで開いた会見についての記事「『反日種族主義』の著者・李栄薫氏が来日。「この本は、韓国人の自己責任と自己批判をまとめたもの」 | ハフポスト」を掲載した。


記事には次のように書かれている。
李氏が本の中で主張している「慰安婦たちが官憲によって強制されたというのは深刻な誤解である」といった点や「徴用工は拒否することができた」としている点などについて、「反論するならもっと根拠が必要ではないか」との指摘だったが、李氏が明確な根拠を示しての回答をすることはなかった。
つまり文藝春秋は、著者が明快に説明することすらできない部分を広告に用いた、ということになる。自分には、文藝春秋社が歴史修正主義を煽っている、加担しているようにしか見えない。

 「強制性」という表現が妥当か否かは別として、自国民ですら現実と乖離した謳い文句で誘い出していた当時の日本政府が、戦前戦中明らかに本土の日本人よりも悪い扱いをしていた朝鮮など支配地域住民に、同様の行為をしていなかったとは到底考え難い。それを勘案すれば、果たして李さんがなのか、翻訳が恣意的に行われ、それを文藝春秋社が売り上げを重視してプロモーションに使っているのかは定かでないが、この本で主張されていることには、政治的なプロパガンダにも等しい部分があると考えるのが妥当ではないだろうか。


 日本政府が、徴用工や慰安婦の当時の環境における妥当性をいくら主張しようが、日本政府は敗戦直後に多くの文書を焼いているのだから、都合の悪いことが隠されていると主張されてしまうのは当然だ。これを今の政府に置き換えて考えて欲しい。現政権はしばしば「文書は適切に廃棄した」という言い逃れを展開する。それが如何に不適当で合理性に欠ける説明かを、私たち日本人は歴史から学ばなくてはならない。 

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