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かわいらしい格好をすることが過失?


 夜道を歩いていて、後ろから来た自動車の運転手の見落としによって、接触事故を起こされたとする。 運転手に治療費や休業補償の支払いを求めたあなたに対して、あなたが黒っぽい服を着ていたことを理由に、「夜道を歩くならもっと明るい色の服を着ろ。そうすれば見落とすことはなかった。そんなこともしてないのに騒ぐな」と運転手が言ったとしたら、あなたはどう思うだろうか。もし示談がまとまらず裁判沙汰になったとして、裁判官はあなたの過失を主張する運転手の言い分の合理性を認めるだろうか。
 暗い道を歩く際に、自分の存在を周囲にアピールすることのできる明るめの色の服装を心掛けることには、事故に遭うことを予防する効果が確実にある。服装の話ではないが、夜自転車が無灯火で走ってはいけないというルールは、そんな理由によるものだ。しかし、黒っぽい服装で夜出歩くことが過失と認められた、という話は聞いたことがない。そんな話がまかり通るなら、黒いクルマに夜乗ることも、場合によっては売ることも出来なくなりそうだ。自動車には夜間は灯火を点灯させなくてはならないという規則があるが、側方に灯火類は殆どない為横方向から見た場合、黒いクルマは白いクルマよりも確実に見落とされる確立が高い。


 同種の言い掛かり、被害者への責任転嫁をしばしば目にする。例えば、いじめの加害者が、「あいつがキモイからいじめられるんだ」とか、「アイツが生意気なことを言わなったらいじめなかった」なんて言うことがある。児童虐待事案でも同様の言説は多いし、2017年6月に起きた、危険運転を繰り返した男性が東名高速の追い越し車線上に強引にクルマを停止させたことによって発生した死亡事故でも、男性はパーキングエリアで不適切な場所にクルマを駐車していたのを注意されたことに腹を立て、あおり運転を繰り返した挙句、追い越し車線上に後続車両の追突を受けて死亡した夫婦の車を停止させたのだが、起訴される以前この男性は、TBSの「なぜそんなことをしたのか」という取材に対して
やっぱり言われたら、こっちもカチンとくるけん
と言っていた。自分の行為をほぼ棚に上げて「注意してきた方が悪い」と言っているようにしか見えなかった(東名事故の2か月後にも「あおり運転」│TBS NEWS【現場から、】なくせ!危険運転)。


 痴漢や性犯罪被害などについても似たような主張がしばしばなされる。例えば「ミニスカートを履いているから痴漢される」とか「家に入れたんだからSEXを受け入れたも同然」などの話だ。記憶に新しいのは、2018年の春に財務事務次官のテレビ朝日記者へのセクハラが問題化した際に、「夜中に呼び出されて応じたらセクハラされても仕方がない」のようなことが言われたり(2018年4/30の投稿)、伊藤 詩織さんが、TBSの政治部記者でワシントン支局長だった山口 敬之氏と会食・飲酒後に記憶をなくし、ホテルで乱暴されたと被害を訴えたことについて(伊藤詩織#「性暴力被害」の訴えをめぐって - Wikipedia)、「食事について行ったのだから…」とか「そもそも出会いはニューヨークのピアノバーだったらしいじゃないか、ピアノバーというのは日本のキャバクラのようなもので…」のような、主張が一部で展開されたことだ。


 昨日ツイッターのタイムラインに、


というツイートがあった。引用されたツイートを見てみると、


スレッド化してこんな主張をしている。 この主張が前提としているのはこのツイートで、その要点をスレッド化されている話も含めてまとめると、「エンジニア界隈で活躍するなら男の方がいい。周りは男性ばっかりなので自分のパートナーに誤解されたり、知人に男好きのように思われるのが嫌」という内容だ。つまり当該の主張の趣旨は、「男好きと誤解されたくないなら、女性的なかわいらしさの演出を一切するな。まず地味で目立たない格好に徹しろ、それからそういう文句を言え」なのだが、
女性的な可愛らしさを感じさせる格好をしていたら男好きと誤解されても仕方がない、そんな格好をしているくせにつべこべ言うな
という話に整合性があるのなら、「金持ちは、金を盗まれて警察に届出るなら、金目の物を全部捨ててこい、話はそれからだということになる」という趣旨の引用リツイートをしたところ、


という反応があった。彼は(同時間帯のツイートで、他にも批判を受けたからか、自分を男と勝手に断定するなと本人は言っているが、性別が定かでない場合の代名詞は「彼」とすることにしている)、「地味な格好をしてから騒げ」と言っているので、「盗みに入られたら、鍵をかけてあろうがなかろが被害を訴えるのが当然で、鍵をかけてないなら被害を訴えるな、盗まれても当然で話は鍵をかけてからだ、という話でもおかしい。 財布をすられた際に、カバンに鍵かけてない方が悪いと言われても全く納得できない」と再び引用リツイートした。
 すると今度は、


という反応があった。彼は自分が「地味な格好をしてから騒げ」と言ったことを無視している。「地味な格好をしてから騒げ」ということは、「そうしないなら騒ぐな」ということになる。明言はないが、彼の言う「騒ぐ」は「つべこべ言う」というニュアンスと考えることは決して不自然とは言えないだろう。また、未だに性別による偏見があり、誤解されると(いう被害を)訴えたツイートへの引用リプライでもあり、つまり「被害を訴えてもいいよ?」の時点で彼がそれ以前に示した主張と矛盾している。
 また「鍵をかけていなかったのは過失」もこの場合は合理性が低い。低いと言うよりも寧ろ「合理性はない」と言っても過言ではない。海水浴場やプール以外の場所、例えば通勤時間帯の電車にわざわざ水着で乗車したり、自らの意思で公の場で全裸になったりしたならば、それでも、勝手に触られたり性的な行為を一方的にされても仕方がない、した方に責任はない、ということにはならないが、「鍵をかけていなかったのは過失」という表現の合理性を認める余地はあるかもしれない。だが、自分の趣味趣向に合わせて単に女性的でかわいらしい格好することの一体どこに過失性があるだろう。
 基本的人権が認めらている日本では、各個人がそれぞれ自分の好みに合わせた格好をすることは当然の権利であり、女性的でかわいらしい格好をすることは明らかに公序良俗に反しておらず、そこには何の過失もない。その旨指摘したところ、彼からの反応はなくなった。これは、アニメのキャラクターを散りばめた痛車などの所謂オタク系の趣味を「キモイ」扱いすることが不適切なのと同じことだ。他人にとやかく言われるようなことではない。


 因みに、彼は最後に紹介したツイート後に、


ともツイートしている。「これ」が誰のことを指すのか明記はないが、前述のツイートとこのツイートが投稿された時間を勘案すれば、


誰の事を示唆しているのかは簡単に推測ができる。あくまで自分調べなのだが、この種の人達は、自分と主張の異なる人のことを「反日」、主張のことなるメディアや記者を「アサヒ」と言い始める傾向がある。その傾向はまともに反論ができなくなると特に顕著になる場合が多い。


 トップ画像は、Holger SchuéによるPixabayからの画像 を使用した。

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