スキップしてメイン コンテンツに移動
 

ボーダーライン・境界線


 「人為的国境」という表現がある。人為的国境とは自然的国境と対をなす表現で、川や山など自然物による国境線ではない、地形と関係なく引かれた国境線を指す(国境#位置を規定する根拠 - Wikipedia)。緯線や経線を基準とするなど直線的な国境はその最たる例だ。しかしそもそも、国という概念は人間だけに通用するもので、他の動物は国境など全く意識していない。つまり地形に沿った国境も、というか国境は全て「人為的」なものである。


 そんな認識に基づいて、日本とカメルーンにルーツを持つタレント兼マンガ家の星野 ルネさんの、


という、いくつかの国籍に関する基準についてマンガにしたツイートを見て、自分は
国という概念自体が普遍的なものでなく人為的なものなので、絶対的にどの認識が正しい、と言えるようなことはありえない。
引用リツイートした。複数の民族や国にルーツを持つ星野さんは、このマンガに関連して


ともツイートしていたので、ファーストガンダム準リアルタイム世代であり、今でも愛好している自分は、
ガンダムでは、人間が宇宙で生活する時代になり、今度は地球人(アースノイド)と地球外生まれ/育ちの人間(スペースノイド)で分かれる、地球人という領域の先が描かれてる。
近代まで日本人という意識はなく、藩単位での帰属意識だったのだから、ガンダムが描く未来は説得力がある。
という引用リツイートもした。

 日本を例にすれば、近代以前は日本人という意識はほぼ皆無で、今の国の概念に相当するのは藩だった。一応同じ日本語ではあるものの、それぞれの地域の方言がきつく、言葉が通じないことも多々あっただろう。この状況が変わり始めたのは明治以降で、海外からの影響に対応する為に新政府が進めた中央集権化によって、日本人の帰属意識は徐々に藩から日本へと変化し現在に至る。江戸期から、地方から人が集まる江戸周辺を中心にその前身はあったようだが、日本全体の共通語として標準語が確立し、全国的に普及したのも明治期以降である。
 ガンダムのように今後宇宙で人間が生活するようになったり、若しくは地球の外に知的生命体などが見つかったりすれば、海外からの侵略に対する懸念などによって、それまで単一の帰属意識のなかった日本国内がまとまったように、今度は新たに地球内外という線引きが生じるかもしれない。但し、米ソ冷戦の影響もあり、ヨーロッパはEC/EUとして1度は一つにまとまったが、イギリスのようにそのまとまりから再び離れる、つまり小から大へではなく、大から小へ線引きが変わる場合もある。
 このようなことに鑑みれば、国境やそれに準ずる線引きは明らかに人為的なものであり、同じ民族や国・地域の中にいる人でも、誰もが同じ認識を共有しているわけでもなく、言い換えれば、それはとても曖昧模糊としたモノだが、後付けで、ある意味で強引に決めているに過ぎない。だから、法的にはその時点での絶対的に正しい国籍に関する認知、というのはあても、普遍的に絶対的にどの認識が正しい、と言えるような代物ではない。



 2013年からTBSが毎年年末に放送している「クイズ☆正解は一年後」という番組がある。1年前の1月に収録した出題・回答内容の答え合わせをするという番組だ。同番組の2019年版が12/30に放送されたのだが、2018年1月の収録に回答者として、反社会勢力の催しへ事務所を通さずに出演していたことで現在謹慎中(7/21の投稿)の、ロンドンブーツ1号2号・田村 亮さんが参加してた為、出題・回答に関する映像は、回答フリップの静止画などを除いて殆ど使用されなかった(クイズ☆正解は一年後#2019年_2 - Wikipedia / TBS『正解は一年後』 クイズ映像が“お蔵入り” 騒動余波で異常事態 | ORICON NEWS)。
 この、不祥事を起こしたタレント等をテレビ画面から一切排除するという線引きは何時から一般化したのか。12/21の投稿でも書いたように、テレビに限らず他の界隈にも似たような状況がある。ピエール瀧さんの薬物事案を理由に、楽曲を管理しているソニーミュージックが、彼が所属していたユニット・電気グルーヴの楽曲の流通を止めており、それによって、電気グルーヴの楽曲の大半を作曲している、本来何の制裁も受ける必要がない石野 卓球さんが収入を奪われるという弊害も起きている。そんなことをして一体誰が得をするのか。過剰な対応が必要になり、手間/金銭的コストが嵩むという意味ではメディア各社も損だ。
 例えば、殺人や凶悪な暴行事件や虐待、差別の扇動等を行ったなど、著しい被害が発生し被害者のPTSDが強く懸念されるような事案を起こした者については、メディアから一切排除するという措置にも妥当性がありそうだが、薬物事犯に被害者はいないし、不倫などに関しても確実にそのような条件には該当しない。田村 亮さんや宮迫 博之さんらのような事案も、反社会勢力に関わる仕事を恒常的に受けていたのならまだしも、1回から数回出演しただけで、一切排除することに果たして妥当性があると言えるだろうか。

 確かに、反社会的な活動で得たお金から彼らの出演料が支払われていただろうから、彼らの行為に全く問題はないとは言えない。しかし、だから彼らは、メディアから一切排除されるという社会的制裁を受けて当然だ、という話が妥当であれば、紛争地域で軍事施設以外を誤爆し、非戦闘員/一般市民を死に至らしめるような行為をする軍隊を有し、そのような結果に至る判断をした政治家を選んでいると考えれば、アメリカや有志連合に属する国の有権者にも社会的制裁を加えなければならない、ということになりはしないか。
 個人的には、イランや北朝鮮が核開発等を理由に制裁の対象にされているが、その制裁を主導しているのはいくつかの核保有国であり、強い矛盾を感じる。特にアメリカには、イラクが大量破壊兵器を保有しているとして戦争を起こしたのに、実際は大量破壊兵器などなかった、という過去もある。勿論イランや北朝鮮の核保有や開発だって認めるわけにはいかないが、同様にアメリカやロシア・イギリス・フランス・中国の核保有だって認めるべきでない。日本が同盟国だと公言するアメリカは、INF全廃条約が失効した途端に実験を再開している。

 不祥事を起こしたタレントをメディアから一切排除する、という線引きも、イランや北朝鮮のミサイル・核開発には制裁が妥当とするのに、大国が同じことをしても制裁対象にならない、という線引きも、余りにも人為的、というか恣意的で自分は全く賛同できない。


というツイートが話題になっている。自分は、このツイートについて、ユダヤ人らが大量に虐殺された強制収容所・アウシュビッツを茶化しているように見えてしまい、前向きに受け入れることができなかった。
 アウシュビッツを茶化す表現は、ドイツや隣国では基本的にアウトだろう。しかし日本でもアウトかと言えば、自分はそのような表現を用いることは確実にしないが、アウトとまでは言いきれないように思う。こんな風に、線引きというのは曖昧で難しいものである。

 しかし、明らかに妥当性に欠ける線引きというのもあるし、天邪鬼を除けば誰もが妥当性を認める線引きもある。その両者の間にグラデーションのように、無数の見解と根拠による、何を重視するのかによる数え切れない線引きがある。


 トップ画像は、File:The Great Wall of China at Jinshanling-edit.jpg - Wikimedia Commons を加工して使用した。

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

フランス人権宣言から230年、未だに続く搾取

 これは「 Karikatur Das Verhältnis Arbeiter Unternehmer 」、1896年ドイツの、 資本家が労働者を搾取する様子を描いた風刺画 である。労働者から搾り取った金を貯める容器には、Sammel becken des Kapitalismus / 資本主義の収集用盆 と書かれている。1700年代後半に英国で産業革命が起こり、それ以降労働者は低賃金/長時間労働を強いられることになる。1890年代は8時間労働制を求める動きが欧米で活発だった頃だ。因みに日本で初めて8時間労働制が導入されたのは1919年のことである( 八時間労働制 - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。