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日本の法務大臣の「推定無罪の原則」を無視した発言


 カルロス ゴーン氏が1/8に記者会見を行ったことについては昨日の投稿でも触れた。ゴーン氏の密出国に関連した東京地検のいくつかの振舞いは最早支離滅裂であり、日本の捜査機関・司法界隈が世界の常識から置き去りにされている、と書いた。しかし、そう感じられるのはそれらの例だけに留まらない。ゴーン氏の会見に関連した記者会見の場で、日本の法務大臣が「推定無罪の原則」を無視する発言を行った


 推定無罪とは近代法の基本原則での1つである。基本原則、つまり大前提であることを確認しておく。「推定無罪 - Wikipedia」によると、紀元前からその考え方は存在していたようだが、近代における推定無罪は、1789年に成立したフランス人権宣言9条、
何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される。ゆえに、逮捕が不可欠と判断された場合でも、その身柄の確保にとって不必要に厳しい強制は、すべて、法律によって厳重に抑止されなければならない
に端を発するようだ。つまり推定無罪は、国家権力などに対して立場の弱い市民の権利・人権を守る為の考え方であり、近代以降の法治国家における大前提と言っても過言ではない。
 日本では、
  • 何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される
  • 有罪判決が確定するまでは、何人も犯罪者として取り扱われない権利を有する
  • 検察官が被告人の有罪を証明しない限り、被告人に無罪判決が下される(=被告人は自らの無実を証明する責任を負担しない
などと説明されている。刑事訴訟法第336条にも、
被告事件が罪とならないとき、又は被告事件について犯罪の証明がないときは、判決で無罪の言渡をしなければならない
とあり、「疑わしきは罰せず」「疑わしきは被告人の利益に」などの表現で説明されることもある(疑わしきは罰せず - Wikipedia)。


 ゴーン氏が1/8の日本時間22:00頃から会見を行ったことを受けて、日本の法務大臣である森 雅子氏は1/9の0:40頃という異例の時間帯に会見を行った。「森法相「司法の場で無罪証明を」 ゴーン被告会見に反論 異例の未明会見  - 産経ニュース」等が報じているように、森氏は会見の中で、
日本の法廷で、正々堂々と身の潔白を証明すべきだ
と発言した。これに対して、前述の「推定無罪の原則」に反する発言であるという批判・指摘がメディア・ネット上で殺到し、彼女は


と、ツイッターで釈明した(森まさこ法相、「無罪証明すべき」発言訂正「主張と証明を言い間違えた」 - 弁護士ドットコム)。

 確かに誰にでも間違いはある。一切間違いを犯さない完璧な人間など絶対に存在しえない。しかし「推定無罪」は近代法・法治国家における大前提であり、彼女は弁護士資格を有する人間で、しかも法務大臣という立場にある。果たしてそのような人が、大前提の原則を間違えるだろうか。間違えたことをツイッターで訂正して済む話だろうか。彼女は法律に明るいとは言えない一般人ではなく、そんな間違いを犯すようでは、法曹・法律家としての資質が著しく欠けていると言わざるを得ない。また、文面が予め用意されていたのにも関わらず、重要な部分を読み間違えるということは、彼女が「推定無罪の原則」を軽んじていたことの確たる証拠とも考えられる為、法務大臣を務めるに値しない、と自ら宣言したようでもある。
 つまり、そのような者に法務大臣を務めさせている日本の行政・司法は、批判されて然るべき状態、つまり世界の常識から置き去りにされていると言っても過言ではない、と強く推察できる。そんな人が


このような主張、特に
我が国の司法制度が「人質司法」であるとの批判がなされたが、我が国の刑事司法制度は、個人の基本的人権を保障しつつ、事案の真相を明らかにするために、適正な手続きを定めて適正に運用されており、批判は当たらない
という反論を繰り広げても説得力に著しく欠ける。しかもその後に箇条書きにされた内容は、何ら「人質司法という批判は当たらない」ことを合理的に説明するものではない。その最たる例は「適正な取り調べをしている」「様々な努力をしている」など、至極曖昧な表現でそれを説明していることだ。


 森氏は「無罪の『主張』と言うところを『証明』と言い違えた」と、あくまで言い間違えであると言っているが、果たして本当に言い間違えだろうか。


このツイートが指摘しているように、彼女は会見で「日本の法廷で、正々堂々と身の潔白を証明すべきだ」と述べただけでなく、会見後にツイッターへ「無罪の証明」という表現を用いて自身の会見の抜粋動画を投稿しているのだ。もし彼女が言い間違えたのならば、ツイッターへ「無罪の証明」と投稿するだろうか。「ゴーン氏は正々堂々と無罪の主張をしろ」ではなく、「自らの無罪を証明してみせろ」と考えていなければそうはならないのではないか。
 このような点から考えれば、彼女の「言い間違え」という釈明はかなり苦しい。なぜ認識が間違っていたと認められないのだろうか。そんな意味に加えて、法務大臣が法治国家における大前提を理解していなかったことが公になった、という意味でも、まさにこれぞ「恥の上塗り」である。

 しかも、訂正後の当該ツイートでも、


ゴーン氏に「正々堂々と無罪を主張しろ」と言う割に、自分の発言から「潔白を証明しろ」という部分は省いた動画を添える、ということをしている。正々堂々としていないのは誰か。そして、「無罪を証明」にしろ「無罪を主張」にしろ、ゴーン氏をそう批判する前に、自分の身内である首相らにこそ、「桜を見る会の問題について、国会の場で正々堂々と潔白を証明しろ」もしくは「潔白を主張しろ」と言うべきではないのか


 ゴーン氏の件に関連して、日本の至るところが旧態依然であることを示す例は他にもある。TBSは同事案について「ゴーン被告会見、逃亡を正当化 TBS NEWS」という記事を掲載している。


 この動画の中には「日本の法廷で、正々堂々と身の潔白を証明すべきだ」と述べる森氏の映像も含まれているが、注目すべきは、これが地上波で放送された際には含まれていたが、この映像からは省かれているナレーションで、一応記事冒頭には文字として示されている、
自身が選別したメディアだけを集めた会見で改めて潔白を主張した

という表現である。
 ゴーン氏は実際に会見に参加させるメディアを選別したようで、日本のテレビ局で参加を許されたのはテレビ東京だけだったようだ。
TBS以外の局も、記者会見への参加が認められず不満だったのか、「日本のメディアが排除されたのは、批判的な質問を避ける為とみられる」のような見解を添えて、ゴーン氏の会見について報じていた。
 確かに、参加できるメディアが恣意的に選別されていたとしたら、それは称賛できることではなく、各社が不満を示すのも当然だ。しかし彼らは自分たちの胸に手を当てて考えるべきだ。普段テレビ各社は、各種会見から記者クラブに属さないジャーナリストや報道機関を、締め出している側であることを。

 一体いつから、自分のことを棚に上げて他者を批判することが、日本ではこんなにあたり前になってしまったのか。全てが全てあの人の所為だと言うつもりはないが、自分のことは棚に上げて前政権を悪夢だと喧伝したり(2019年12/17の投稿)、都合の悪い数字からは目を背けて自身の経済政策の成果を誇ったり、憲法改正が必要だと主張するような人が国のトップに居座っていれば、そんな世の中なるのも無理はない・仕方がないのかもしれない。
 この「仕方ない」は、仕方ないので受け入れざるを得ない、という意味ではないく、これ以上続かないように早急に取り除くべきである、というニュアンスを込めた皮肉としての「仕方ない」である。

 このままではどんどん日本が世界的に見て非常識な国になってしまう。

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