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スポーツと礼節、スポーツと政治的メッセージ


 2018年の全国高校野球選手権大会では、岡山代表・創志学園の投手が、審判からガッツポーズを「必要以上に行わないように」と注意される一幕があった。高校野球ではガッツポーズが禁じられているわけではないが、高野連審判規則委員会の高校野球周知徹底事項に、
喜びを誇示する派手な「ガッツポーズ」などは、相手チームヘの不敬・侮辱につながりかねないので慎む
とあるそうだ(ガッツポーズはなぜいけないのか――高校野球の美学(上)― スポニチ Sponichi Annex 野球)。


 ガッツポーズをすると反則になるスポーツと言えば剣道が有名だ。剣道では一本取った後にガッツポーズをすると、一本が取り消しになる場合もある。相撲でも土俵上のガッツポーズは嫌悪されているし(初金星に禁断の日本人初ガッツポーズ/井筒親方悼む - 大相撲 : 日刊スポーツ)、他の武道系スポーツにも同様の傾向がある。
 サッカーのゴール後のパフォーマンス等を勘案すれば、ガッツポーズなどで喜びを過度に誇示してはならない、という考え方はとても日本的で、他地域では理解され難いのではないか?と思っていた。しかし「野球の不文律 - Wikipedia」によると、米国・MLBでも、
打者は(サヨナラ以外の)本塁打を打っても立ち止まって打球の行方を追ったり、大げさにガッツポーズをとったり、わざとゆっくりとダイヤモンドを回ってはいけない
という暗黙の了解があるらしい。「丸ポーズ論争がMLBだと「そもそも起こり得ない」理由 : J-CASTニュース」 でも同じことに言及している。但し「Wシリーズを襲ったグリエル問題。ダルビッシュの“まとめ方”が凄い。 - MLB - Number Web - ナンバー」のようなことも起きてはいる。
 同じく米国のプロスポーツでもNBA・プロバスケットボールではどうか。バスケットボールは得点しても試合時間が止まらないので、基本的にはサッカーのようなパフォーマンスをしている暇はない。しかし試合終盤は得点後タイマーが止めるというルールになっており、その時間帯や、相手のファールを受けながら得点を決めた場合など、ターニングポイントになる場面では、選手がしばしば「どうだ!やったぜ!」と言わんばかりの態度を示す。

 検索してみると、前述の「ガッツポーズはなぜいけないのか――高校野球の美学(上)― スポニチ Sponichi Annex 野球」のような論調のページが多くヒットし、「ガッツポーズは相手に失礼」「相手ヘの侮辱につながりかねない」などがまことしやかに語られている。武道に関しても同じだ。寧ろ武道や騎士道から派生して、野球等一部の歴史の長いスポーツに受け継がれていると言った方が正しいだろう。
 しかし不思議なことに、サッカーも野球同様かそれ以上に歴史あるスポーツだが、サッカーではそんな話はあまり聞かない。そして野球に関しても、「もっとプロ野球界にガッツポーズを!!「相手に失礼」は時代遅れの言い訳。 - プロ野球 - Number Web - ナンバー」という主張もある。個人的には、「相手を慮ってガッツポーズなど過度に喜びを誇示しない」ことを実践したり主張したりする自由が個人にはあるが、それを他者に強制するのは、思想の押し付けで行き過ぎだと感じる。但し、あからさまに相手を馬鹿にする態度、例えば中指を立てるとか、親指を下に向けるとか、そんな態度を示せば避難されても当然だと思う。



 1/10、ハフポストが「東京オリンピック、選手の政治的メッセージはNG。オリンピックは「中立」であるべきとIOCが発表」という記事を掲載した。メダル授与式、開会式や閉会式などの場で、
  • サインや腕章を使って政治的なメッセージを発信する
  • 身振り手振りで政治的メッセージを伝える、ひざまづく
  • 公式行事の規定に従わない
などの行為を禁じ、違反した場合は各国のオリンピック委員会やIOCが行為の内容を吟味し、必要であれば懲戒処分を下すこともある、と国際オリンピック委員会・IOCが発表したそうだ。
 Gigazineも同じ件に関する記事「2020年東京オリンピックでは「ひざまずく」や「拳を上げる」などの政治的意味合いを持つポーズが禁止に - GIGAZINE」を掲載している。どちらの記事も、オリンピックで行われた政治的な意味合いを持つジェスチャーの例として、1968年メキシコオリンピックの男子200mの表彰式にて、アメリカでの黒人に対する人種差別への抗議として、米国代表のトミー スミス選手とジョン カーロス選手が表彰台の上で黒手袋をつけて拳を突き上げたことを取り上げている。「政治的宣伝」をしたとして、2人は米国代表を除名され、大会からも追放された(トミー・スミス#オリンピックでの抗議パフォーマンス - Wikipedia)。


 これらの記事で紹介されたこの2人のポーズが、各種スポーツにおけるガッツポーズの賛否に関する話を連想させた為、この投稿の冒頭でそれについて言及した。


 ハフポストの記事には、
メディアセンターで開かれる記者会見や、チームミーティング、メディアによるインタビューで自身の意見を述べることは禁じられていないが、表現の仕方は「開催地の決まりに敬意を払ったものであるべき」で、「意見を述べることは、抗議活動とは違うものである」と釘を刺す。
ともある。「開催地の決まりに敬意を払ったものであるべき」「意見を述べることは、抗議活動とは違うものである」とは一体何を示唆しているのか。自分には、次のオリンピックが東京開催であることを前提に、日本の五輪担当大臣が、
旭日旗が政治的な宣伝になるかということに関しては、決してそういうものではないと認識している
という見解を示していること(2019年9/13の投稿)に配慮し、それに抗議するな、日本政府に従えと暗に言っているのではないか?と思えてならない。「旭日旗は政治的な宣伝にならない」と大臣が言及すること自体も、政治的宣伝になっているとも言えるのに。


 もし前段の推測が間違っていないのだとしたら、IOCの態度は全く容認できるものではないし、また、人種差別や民族差別に対する意思表示を一切禁じることが「中立」だとIOCが考えているのだとしたら、IOCは大きな思い違いをしているし、オリンピックには魅力など全く感じられない。中立とは何か、については2018年11/10の投稿でも書いた。「多様性を認めることが重要だ」と言う者は「多様性を認める必要はない」という主張を認めないので矛盾している、という話には全く合理性がないのと同様に、短絡的な両論併記・喧嘩両成敗は決して中立とも公平とも言えない。
 そして何よりも、「政治をオリンピックに一切持ち込むな」と言うのなら、各国の代表がメダルを争うという国別対抗戦方式をまず止めるべきだ。また、難民選手団の参加などは、それ自体が政治的なメッセージであり、矛盾に満ちているとしか思えない。政治とオリンピックを分けたいのであれば、リオオリンピック閉会式でパフォーマンスを披露した日本の首相など言語道断だろう。IOCは選手の行為をとやかく言う前にまず、政治家がオリンピックに積極的に関わること自体を否定しなくてはならないのではないか。五輪担当大臣の設置など以ての外ではないのか。


 トップ画像は、Photo by Oladimeji Odunsi on Unsplash を加工して使用した。

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