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国外のデモは報じるのに、国内のデモは報じないメディアは…


 「選挙で体制を変えられる国では、デモで意思表明をする必要ない」のような主張をする人がSNS上に複数いるし、実社会で自分と繋がりのある人の中にもそのように主張する人はいる。彼らは知った風な口をきくが、日本国憲法では21条で集会の自由・結社の自由・表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密について規定しており、デモを行う権利が市民に認められている日本国憲法第21条 - Wikipedia)。しかも同様の権利は他の選挙で体制を変えられる国でも認められており、それは近代民主主義国家の大前提の1つだ。


 更に、憲法12条には、
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。
とある(日本国憲法第12条 - Wikipedia)。権利というのは行使しないと得てして形骸化してしまう。「行使されない権利なら必要ない」と解釈したほうが、権力者にとって色々と都合がいいからだ。「選挙で体制を変えられる国では、デモで意思表明をする必要ない」のような主張をする人というのは、自分を国家権力と同一視することで自尊心を保とうとしているのではないか。個人的に、そのような行いは憲法12条の精神に反していると考えている。

 デモとは Demonstration/デモンストレーションの略だ。「デモンストレーションとは - コトバンク」のデジタル大辞泉の解説には、
  1. 抗議や要求の主張を掲げて集会や行進を行い、団結の威力を示すこと。示威運動。デモ。
  2. 宣伝のために実演すること。
  3. 競技大会で、正式の競技種目以外に公開される競技・演技。公開演技。
とある。選挙活動でも要求の主張を掲げた集会は行われるし、支持者を集めて団結の威力が示されるし、宣伝のための演説も行われる。つまり、選挙に伴う活動も広義のデモ活動だ。
 「選挙で体制を変えられる国では、デモで意思表明をする必要ない」のような主張をする人は、このことをどの様に捉えているのだろうか。選挙期間中か否か、主体が市民ではなく政治家であること、などが2つの差として提示されそうだが、選挙期間中以外でも政党や政治家による準選挙活動は行われているし、市民、つまり有権者ならば誰でも政治家になれるので、主体が何であるかを根拠にすることには合理性がない。
 だからこの投稿の冒頭で、「選挙で体制を変えられる国では、デモで意思表明をする必要ない」のような主張をする人は知った風な口をきいている、と書いた。その種の人は、単にデモ活動の内容が自分の意に沿わないだけなのに、もっともらしい口ぶりで、整合性のないデモ活動全般の否定を繰り広げているに過ぎない。因みに、その種の人たちにはデモ活動を行う人を「活動家」と揶揄する傾向もある。これは「政治的な活動をする人」という意味での活動家だろうが、閣僚らを含む政府関係者や国会議員は当然のこと、全ての政治家は政治活動を行う活動家である。


 「イランで反政府デモを再燃させた「政府の嘘」、五輪メダリストの亡命も BuzzFeed Japan」が報じているように、イランで反政府デモが起きている。イランと米国の軍事衝突が懸念される最中、イランの首都・テヘラン付近で起きたウクライナ航空機の墜落に関して、発生直後からイラン軍による誤射が指摘されていたが、イラン政府は当初誤射を認めず「航空機は技術的な問題で墜落した」としていた。しかし、事故発生から3日後の1/11にイラン政府は一転して誤射を認めた。撃墜されたウクライナ航空機にはイラン人82人も搭乗しており、それを含む全ての乗客乗員が死亡していた為、「政府が嘘をついて国民の死を隠蔽した」という批判が高まったそうだ。

 今回のイランでの反政府デモは、撃墜事故とそれを隠す嘘はあくまできっかけであり、これまでに溜まっていた抑圧的な体制への不満が爆発したのだろうが、政府が嘘を吐けば市民が軽蔑し批判の声を上げる、ということを日本人は見習うべきだ。イランや香港のような反政府デモに参加することのリスクは日本にはまだないのだから。反政府デモが(実質的に)非合法化されてからでは遅い。憲法12条にもあるように、権利を行使し権利を保全するという意味でも行動が必要だろう。


 在京キー局のニュースサイトを確認すると、

イラン 指導部非難のデモ隊を排除 | NHKニュース

“旅客機撃墜 隠蔽”の抗議デモ 米大統領が支持しイランへ圧力 | NHKニュース

旅客機撃墜 イラン国内で抗議デモ 指導部への批判高まる | NHKニュース

イラン 旅客機撃墜で政府に連日抗議デモ|日テレNEWS24

イランでデモ隊に実弾発砲か TBS NEWS

旅客機撃墜、テヘランで1000人が抗議デモ TBS NEWS

イランで反政府デモ続く 警察の“発砲”映像拡散

“誤撃墜”に「恥を知れ」イランで指導者批判のデモ

イランで抗議デモ ウクライナ機撃墜めぐり - FNN.jpプライムオンライン

イラン首都で政府批判デモ|テレ東NEWS:テレビ東京

イランで指導部への抗議デモ|テレ東NEWS:テレビ東京


と、全ての局がイランの反政府デモに関する記事を掲載しており、局によっては複数掲載している。
 「「戦争に加担するな」「改憲を止める」 新宿で安倍首相退陣求めるデモ - 毎日新聞」が報じているように、


1/12に新宿で、自衛隊の中東派遣や「桜を見る会」の疑惑、公文書改ざんなど数々の問題に抗議し、安倍晋三首相の退陣を求めるデモ行進が行われ、主催者によれば約3000人が参加したそうだ。毎日新聞の記事にもあるように、この新宿のデモは、「桜を見る会」の問題や公文書改ざん、つまり日本の現首相や政権がこれまでに吐いてきた嘘にも抗議している。つまりイランの反政府デモ同様に、政府の嘘に抗議するという側面が、1/12の新宿デモにもあった。
 在京キー局はこの新宿デモをどのように扱っただろうか。イランのデモについて「イラン」で検索したのと同様に、全ての局のニュースサイトで「新宿」で検索してみたが、 

 1/12の新宿デモに関する記事を掲載していた局は1つもなかった

政府の嘘に対する抗議デモ/反政府デモに関して、国外の事案は取り上げるのに国内の事案は一切取り上げないというのは、一体どういうつもりなのだろうか。これではテレビ報道への信頼感が下がるのは無理もないし、報道は地上波放送局の大きな柱の1つなのだから、そんな状態であれば、テレビ離れが進むのも当然ではないのか。


 これらのことから言えるのは、一部の市民だけでなく、メディア、特にテレビ報道もデモ活動を軽視しているのではないか、ということだ。1/13の投稿でも書いたが、先週の金曜日・1/10に首相と報道各社の幹部が会食を行っている。1/13の投稿では「中東訪問の妥当性を強調する報道を」という密談があったのではないか?という疑念について書いたが、1/12の新宿のデモも事前に開催が予告されていたのだから、テレビ各社が一切取り上げないのを目の当たりして、「反政府デモに関しては報道しないで」という話もあったのかもしれない、という疑念も感じる。
 ハフポストは昨日、「メディアへの「不信と期待」の声が460件集まった。現役記者や専門家が「メディアのこれから」を考えます【イベント】 | ハフポスト」という記事を掲載した。


昨年末にハフポストが行った、メディアのこれからに関するアンケート調査に基づいてイベントを開催する、という内容だ。この記事を紹介するツイートでハフポストは、
メディアへの「不信」と「期待」が詰まった460以上の声たち。 ハフポスト日本版は現役記者や専門家とともに議論し、 時に「マスゴミ」と呼ばれるまでになったメディアのこれからを考えます。
としている。
 自分もたまに「日本のメディアは…」と一括りにしてしまうことがある。そのような雑な括りがよくないのも分かるが、メディア各社が信頼を取り戻したいなら、日本のメディア/報道機関という看板を背負っている以上、大手メディア幹部が首相と会食するなどの癒着を疑われる
ような行為を、同業者こそ止めさせるべき、批難するべきだ。
 日本を代表するメディアがそんなことをしていたら、メディア全体に不信が広がるのも当然ではないだろうか。


 トップ画像は、Photo by Chris Slupski on Unsplash を使用した。

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