天邪鬼とは元来、人の心を察して口真似などで人をからかう妖怪なのだそうだが、現代では概ね、他者(多数派)の思想・言動に逆らうような言動をする"ひねくれ者"、"つむじ曲がり"な人の性質を指す表現になっている(天邪鬼 - Wikipedia)。例えば、今から宿題やろうと思ってたのに「宿題やったの?」と言われたからもうやりたくなくなった、とか、「あそこは危ないから行っちゃダメ」と言われると俄然興味が湧いて行きたくなる子ども心は、天邪鬼の典型だ。
禁じられたことを子どもはやりたがる、というのは本当によくある。自分にもそんな思い出がいくつもあるし、甥や姪、近所の子など、自分の周囲にいる子どもたちを見ていても本当にそう思う。前述のWikipediaの解説の中では、天邪鬼のことを小鬼、又は子鬼とも表現しており、鬼の子どもも人間の子どもも殆ど変わらずいたずら好きなんじゃないか?、つまり、人間の子どもも殆どが天邪鬼なんじゃないか?とさえ思う。
子どもの頃に親にあれもこれもダメと言われていた反動で、18歳になった途端にハジける人は結構多い。逆に、子どもに「好きなだけやっていいよ」と言っても、すぐに飽きてやらなくなる、が大半を占める。勿論、本当に好きなことだった場合、大人から見たら馬鹿みたいにやり続けることもある。「さかなくん」などはその典型的な例かもしれない(さかなクンの母親と『宇宙兄弟』に学ぶ 夢を実現する子どもの共通点〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット))。
香川県議会が18歳未満のインターネットやゲームの利用時間を制限する「ネット・ゲーム依存症対策条例」を検討している、という話が先週話題になっていた(【ゲームは1日1時間】香川県ネット・ゲーム依存症対策条例の素案全文 BuzzFeed Japan)。依存症対策を理由に、子どもはゲーム1日1時間、そんな規制を条例化するつもりらしい。
率直に言って馬鹿げている。確かに、家庭用ビデオゲーム黎明期だった1980年代には、メーカー等が「ゲームは1日1時間」と啓蒙していた。しかし「ゲーム規制条例案に高橋名人が苦言「上からの押しつけは意味がない」BuzzFeed Japan」で紹介しているように、1980年代ビデオゲームのカリスマで「ゲームは1日1時間」の元祖でもある、あの高橋名人が、
「1時間の根拠は何?」と言われてしまうと、まったくありません。大体1時間ぐらいだろうと。口から出まかせですよ(笑)と言っている。勿論前述の香川県議会の素案にも規制の合理性を示す根拠は殆ど示されていない。つまり、香川県議会は大した合理性もない昭和な感覚を引きずった条例を検討しているとしか言えない。どんな条例も検討すること自体には問題はないかもしれないが、検討する価値が低いことを検討しているのが一目瞭然であるなら、検討すること自体が批判されて当然だ。極端に言えば、誰かが差別を正当化する条例案/法案を議会に提出し、それを議会が検討し始めたら、批判/非難されるべきだし、寧ろ批判や避難が起きない方がおかしい。また、前述のように子どもとは大概天邪鬼で、「やってはダメ」と言われるとやりたくなるものだ。しかもダメという話に合理性がなければ尚更である。
ゲームに精通する芸能人の草分け的な存在の伊集院 光さんは、この件に関して、
不登校の原因がスマホやゲームってホントかね。ゲームがなかった時代に学校行かなかった僕は、やたら教育テレビ見てたよ。午前中他にやることなかったから。深夜は本読んでた。本と教育テレビが不登校の原因ではなかったなあ。先に学校行きたくないところからだと思うぞ。今も。— 伊集院光 (@HikaruIjuin) January 18, 2020
ゲームが悪いとかスマホが悪いとか、中高年の有権者に受けが良いのだろうか。— 伊集院光 (@HikaruIjuin) January 18, 2020
(僕の場合)ゲーム禁止になったらただぼんやりと壁を見つめて不登校だったと思うし、なんにもうまく行かずに病的に落ちてた時代はゲームに逃げることで、それ以上追い詰められなかったと思ってる。ゲームに感謝してる。— 伊集院光 (@HikaruIjuin) January 18, 2020
とツイートしている。「中高年の有権者に受けが良いのだろうか」とあるが、現在の50歳は1970年生まれで1980年代は10代だったので、歳を重ねることで年長世代の思想に染まった人もいるかもしれないが、ゲーム=悪という認識を未だに持っているのはそれ以上の年齢の人達、つまり高齢者だろうと想像する。香川県議の年齢層を調べてはいないが、地方議会、というか日本の議会はおしなべて高齢者の割合が高く、また高齢議員が実権を握っていることも多いので、こんな条例が未だに検討されるんだろう、と推測している。
そもそも、依存症対策を理由にゲームを1日1時間に制限するなら、1日に何時間も、そして365日ほぼ休みなく活動する部活動にも制限をかけるべき、ということになりはしないか。なぜ野球やサッカー等の運動部、文化系で言えば吹奏楽などの部活なら、1日に何時間も毎日休みなく活動することが問題視されないのに、ゲームやネットは問題視するのか。部活動に関しても活動時間の縮小が叫ばれてはいるが、個人が自主的に練習することまで規制は及ばないので、それと比べても1日1時間などという規制は極端だ。
検討されている条例では、ゲームだけでなくネットの利用についても制限を設けようとしているようだが、学習を行う際にもネットを利用することはある。学校で習うことを調べるのにネットを利用するのは問題なく、例えばプラモデルを上手く作ろうとしたり、ゲームを上手くやろうとしてネットを利用すると「依存症云々」と言い出すのは変だ。学校で習うことだけが学習ではない。しかも昨今はゲームで稼いでいる人だっている。野球やサッカーに打ち込んでプロ選手になる人と、ゲームに打ち込んでプロゲーマーになる人の、一体何が違うと言うのだろうか。
この香川県議会の条例検討に関して、「罰則のない規制なんだから守る必要もないし、規制つくってやった感出したい爺さんらの好きにさせておけ」のようなことを言う人もいるようだが、県議には税金で報酬が支払われているのだから、明らかに必要性のない規制の検討をさせるのはリソースを無駄にしているのに等しい。また、その種の人達は、罰則のない規制を設けて思うようにならないと、今度は「守らないから罰則つけよう」と言いだしかねないので、そんな風に楽観視してはいけない。それは、戦前の悪法・治安維持法が物語っている。治安維持法 - Wikipedia にはこう書かれている。
(治安維持法は)特に共産主義革命運動の過激化を懸念したものだったが、やがて宗教団体や、左翼活動、自由主義、市民運動などへも適用対象が拡大されていった。1/18の投稿で、とうとう首相として憲法改正に言及することを厭わなくなった安倍氏の憲法改正感が、如何に危険であり的外れであるかについて書いたが、安倍氏はこれまで、
9条に自衛隊を書くだけであって何も変わらないなどとも言って憲法改正を訴えてきた(時代の正体〈598〉安倍改憲「変わらない」という嘘 | 時代の正体 | カナロコ by 神奈川新聞)。何も変わらないなら条文を変える必要なんてない。何も変わらないなら憲法改正なんて必要ない。何かを変えたいから条文を変えようとしているのに「何も変わらない」などと言っている、と認識しておかないと、治安維持法のように痛い目に遭わされかねない。
権限も性質も変わらない