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戦死者の尊い犠牲の上に「戦争放棄を明記した憲法9条」を有する現在の日本がある


 戦死者、特に特攻隊について「無駄死・犬死などと言って英霊を侮辱するな」と主張する人達がいる。高須何某などがその種の主張をしばしば繰り広げるので度々話題になる。またこの数日間、別のツイッターアカウントがその種のツイートを盛んに繰り返しており、それを否定するツイートがタイムラインにちょくちょく流れてくる。いつもなら当該ツイートへのリンクを貼るところだが、恐らく目的の半分は反応を集めて悦に入ることだろうし、そのアカウントだけを批判しても仕方がない状況なので止めておく。


 一応、戦死者や特攻隊を無駄死・犬死としても、それは侮辱にはならない理由のいくつかを書いておく。そのように表現する人の多くは、戦死者や特攻隊は「日本軍・旧日本政府によって無駄死・犬死させられた」と言っており、そこには「馬鹿な奴が無駄に死にやがった(笑)」のようなニュアンスはない。日本軍や旧日本政府が兵隊や国民を無駄に死なせた、犬死させた、と言っているのである。
 また、「英霊を侮辱するな」派の多くは、「英霊となった者の尊い犠牲によって今の日本がある」などと言うが、今の日本があるのはポツダム宣言を受諾して敗戦を受け入れた結果だ。特攻隊という馬鹿げた戦法など行わずに、日本軍・旧日本政府がもっと早く敗戦を受け入れていれば、彼らは死なずに済んだはずだ。沖縄で地上戦が行われることもなかっただろうし、広島・長崎に原爆が落とされることもなく、何十万もの非戦闘員の犠牲が出ることもなかっただろう。もっと早く降伏していたら日本は存続していなかった、とはならない。日本が連合国軍に抵抗した期間が短かったら、連合国による敗戦後の日本の扱いが違っていた、と言える根拠は何もない。

 しかし、

 戦死者の犠牲の上に、「戦争放棄を明記した憲法9条」を有する現在の日本がある

とは言えるだろう。戦死者などの犠牲を出さずに「戦争放棄・戦力の不保持・交戦権の否認を明記した憲法」が制定されればそれが理想的だが、もし太平洋戦争での多くの犠牲がなかったなら、その種の条文が新憲法に盛り込まれることはなかっただろう。それは、1947年に発行された中学生向け社会科用教科書「あたらしい憲法のはなし(Wikipedia)」の、六 戰爭の放棄 にある、
  みなさんの中には、こんどの戰爭に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとう/\おかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戰爭はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戰爭をして、日本の國はどんな利益があったでしょうか。何もありません。たゞ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戰爭は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戰爭をしかけた國には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戰爭のあとでも、もう戰爭は二度とやるまいと、多くの國々ではいろ/\考えましたが、またこんな大戰爭をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。(中略)みなさん、あのおそろしい戰爭が、二度とおこらないように、また戰爭を二度とおこさないようにいたしましょう。
という表現からも分かる。太平洋戦争で多くの犠牲が生じたことによって、日本は憲法9条を設けることになったと強く推測できる。


「あたらしい憲法のはなし」は、国会図書館デジタルコレクション で全ページのスキャン画像を閲覧することが出来るが、手軽に内容を把握しやすいのは 青空文庫xhtml版 だ。

 「戦争は何も生まない。戦争は多くの犠牲が生じる」というのは、近代の戦争だけを見ても明らかだ。暴力は正当防衛などを除いて否定されるのと同様に、戦争は避けるべきというのは普遍的な概念だ。だから、戦争を起こす指導者たちも、やりたくないけど相手が何かしそうだから仕方なく戦争する、戦争するしかなくなった、という体裁で戦争を始める。2度と日本にそんな指導者が現れないように、という願いを込め、それを実現する為に設けられたのが、日本国憲法9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
だろう。


 2019年12/10の投稿でも、安倍氏は憲法改正に言及する際、以前は、建前上だけではあったが、国民の代表としての立場・自民党総裁として述べていたのに、最近はなりふり構わず首相として発言するようになっていると指摘した。昨年の臨時国会閉会以来、彼は何かにつけて憲法改正!憲法改正!と言うようになっている。恐らく、桜を見る会の問題やIRカジノ汚職から国民の目を逸らしたい一心で、そのような傾向になっているのだろう。

安倍首相 憲法改正の実現に改めて意欲 | NHKニュース


 昨日の投稿でも触れたように、 1/16に自民党本部で始まった憲法に関する講座でも、安倍氏は演説を行ったそうで、テレビ各社は、政府が国会に提出した「桜を見る会の問題」に関する書類を改竄したことは殆ど報じないのに、これについては日本テレビ/フジテレビを除いた各社が報じている。

安倍首相 憲法改正に改めて意欲 自民「中央政治大学院」で | NHKニュース

安倍首相 憲法9条改正に意欲 TBS NEWS

安倍総理「憲法論争に終止符」 憲法改正に強い意欲 テレ朝news

安倍総理が憲法改正に重ねて意欲|テレ東NEWS:テレビ東京


 これらの中で批判に晒されたのはテレビ東京の報道である。テレビ東京は安倍氏の
先の参議院選挙や世論調査の結果を見ても、国民の皆様の声は憲法改正を前に進めよということだと思う
と述べたことを取り上げて、総理「国民の声は憲法改正」というコピーを用いて報じ、動画のサムネイルでもデカデカとそれを使った。


 しかし、

【産経・FNN合同世論調査】憲法改正、支持横ばい 「桜」とIRが影落とす - 産経ニュース

安倍晋三首相が宿願とする憲法改正に「賛成」との回答は44・8%で、「反対」を4ポイント上回った。賛成の回答は前回調査(昨年12月14、15両日)より微増したが、過半数を占めた昨年11月の水準までは回復せず、(2020/1/13)

「安倍改憲」反対46% 昨夏から増加―時事世論調査:時事ドットコム

時事通信の1月の世論調査で安倍政権下での憲法改正の是非を尋ねたところ、「反対」が45.9%に上り、昨年8月の前回調査より4.6ポイント増加した。「賛成」は0.9ポイント減の31.2%だった。(2020/1/17)
などが示すように、直前の調査でも決して改憲が支持されているとは言えない状況にも関わらず、テレビ東京はそれには触れておらず、首相が目論む改憲推進の雰囲気作りに加担している、という批判が相次いだ。J-Castニュースは2019年12/10の「安倍首相「世論調査、議論行うべきが多数」 改憲への「根拠」はどこまで正確か」という記事の中で、報道各社が2019年11月に行った世論調査で、憲法改正についての質問を設けていたことに注目しており、それを見ても「国民が会見を前に進めろと言っている」という安倍氏の解釈は恣意的と言わざるを得ない。しかも彼は、総理大臣という国家権力の中枢であり、憲法に最も縛られるべき立場にある。

 テレビ各局の報道の中で、そのような懸念材料について触れていたのはTBSだけだった。首相や政府の立ち場から見て都合の悪いことをテレビ各局が伝えないようでは、報道が制限される中国のことなど笑っていられない


 同じことを取り上げた朝日新聞の記事の見出しは「「9条、時代にそぐわない」 安倍首相、自民議員に語る」である。


この見出しは、安倍氏の
時代にそぐわない部分は改正を行っていくべきではないでしょうか。その最たるものが憲法第9条です
という発言による。この発言についてはNHKとTBSが触れており、テレビ朝日やテレビ東京は触れていない。昨日の記事とも合わせて考えれば、テレビ各局の姿勢が分かるだろう。個人的に、現在全てのテレビ局が政権忖度報道をしていると考えているが、その度合いは政権寄り順で、
  1. 日本テレビ/フジテレビ 
  2. テレビ東京/テレビ朝日
  3. NHK
  4. TBS
だ。2と3には殆ど差がない。あくまでこの数週間の話であり、タイミングによる変動は多いにある。


 長々と安倍氏の憲法改正感について書いたが、安倍氏は、戦争による多くの犠牲を前提に設けられた憲法9条は「時代にそぐわないので変えよう」と言っている。しかも、やりたくないけど相手が何かしそうだから仕方なく戦争する、戦争するしかなくなった、という体裁で戦争を始める指導者が二度と日本に現れないように、という願いを込めて、「戦力の不保持」を明記した9条に、総理大臣という指導者の立場から、それと矛盾する「自衛隊を明記する」と訴えているのが安倍氏だ。安倍氏がやっていることこそ、戦争の犠牲者たちを蔑ろにする行為としか思えない。
 にもかかわらず、冒頭で触れた、戦死者、特に特攻隊について「無駄死・犬死などと言って英霊を侮辱するな」と主張する人達の多くは、安倍氏を積極的に支持している。戦争の犠牲者を侮辱するなと言いつつ、戦争の犠牲者たちを蔑ろにしているとも言える内容の憲法改正を推進する安倍氏を、支持するなんて矛盾しているとしか言えない。そんな風に、都合よく戦争の犠牲者・英霊を利用しようとする人達こそ、戦死者を蔑ろにしているのではないか。

 安倍氏が戦争の犠牲者を蔑ろにしている、と言える話は他にもある。沖縄は当時の植民地地域以外で唯一地上戦が行われ、沖縄戦では県民の1/4が犠牲になったとも言われている。沖縄県民はそんな過去も踏まえて、2018-19年の間に3度も、普天間基地の辺野古移設反対の民意を示したのに、安倍氏はことごとくそれを無視してきた。沖縄県民の多くは、沖縄戦で生き残った人達とその子孫だ。つまり、「戦死者や特攻隊など尊い犠牲の上に今の日本がある」と言えるなら、「今の沖縄は沖縄戦の犠牲者の上に成り立っている」と言えるはずだ。ならば、新基地建設に反対する沖縄県民の民意を無視することは、沖縄戦の尊い犠牲を蔑ろにする行為である、とも言えるだろう。


 こんなにも矛盾を孕んだことを言っているのが、安倍氏やその周辺と積極的支持者たちだ。自分に都合よく恣意的な解釈を臆面もなく繰り広げるのは、嘘とならぶ安倍氏の十八番である。言い換えれば、安倍氏の主張の大半は、嘘と恣意的な解釈によるもので、それは周辺と積極的支持者も同様である。
 そんな男に7年も首相を任せているのだから、国が傾くのは当然だ。そろそろ本気でなんとかしないと、本当に取り返しがつかなくなりそうだ。年の若い者程そのとばっちりを受けることになる。

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